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真田家ゆかりの武器も。知恩院の「七不思議」が現代に伝えるもの

浄土宗の総本山として知られる京都「知恩院」。大晦日に毎年恒例の鐘撞きが行われる「大梵鐘」、木造建築では日本最大で国宝の「三門」など、見どころが盛り沢山ですよね。無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、知恩院に古くから伝わる「七不思議」にスポットをあて、先人たちが私達に残そうとしたであろう「大切なメッセージ」を読み解いています。

浄土宗総本山「知恩院」

今回は正面の三門、日本一重い鐘、鴬張りの廊下や忘れ傘などで有名な七不思議など見どころたっぷりの知恩院をご紹介します。

年末のNHKの番組「ゆく年くる年」で各地から除夜の鐘を撞く光景が伝えられます。知恩院はそのうちの1つに取り上げられることでも有名ですよね。大晦日には、17人の僧侶が思い切り背面を反らせ独特の方法で鐘を撞きます

重さ70トンの大梵鐘は日本一の重さを誇ります。高さ3.3メートル、直径2.8メートルもあり京都方広寺や奈良東大寺と並ぶ大梵鐘です。

正面の三門は現存する木造建築では日本最大のものです。寺院の正門は通常「山門」と記されますが、知恩院の山門は「三門」と記されます。これは、「空門」「無相門」「無願門」という悟りに通じる3つの解脱の境地に達するための関門を意味しています。高さ24メートル、横幅はなんと50メートルもあります。門の屋根には7万枚も瓦が使われています。三門は1621年、江戸幕府2代将軍徳川秀忠が建立したものです。

知恩院は市内中心部にある八坂神社から歩いて10分もしない場所にあります。なので、是非足を運んでみる事をオススメします!

知恩院は浄土宗の総本山で、正式名称は華頂山知恩教院大谷寺といいます。開基は浄土宗の宗祖・法然です。法然は浄土真宗の宗祖・親鸞の師匠です。浄土宗系は現在日本の最大宗派を形成しその強大な影響力を誇っています。

知恩院に訪れる際に見て周って頂きたいのは七不思議です。知恩院は平成23年から100年ぶりの大修理に入っていて完成するのが3年後です。なので、ちょっと拝観しづらい感はあるのですが、行ってみる価値は充分あります。七不思議を1つずつご紹介しますね。

鴬張りの廊下

修復中の本堂である御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に至る廊下に施されているのが鴬張りの廊下です。歩くと鶯の鳴き声に似た音が出て、静かに歩こうとするほど、音が出るので「忍び返し」とも言われていました。外部からの侵入者を知るための警報装置で当時最新のセキュリティーシステムです。また鶯の鳴き声が「法(ホー)聞けよ(ケキョ)」とも聞こえることから仏の法を聞く音とも言われたようです。

通常お寺には鴬張りの廊下は必要ありません。鴬張りは二条城など城に施されるものです。寺は侵入者や攻撃者が近づく場所ではないからです。二条城にそのようなものが施されていた理由は、いざと言うときに要塞の役割を果たせるように作られていたからだと言われています。背後は山で高台に建てられていて、戦の時は城の役割を果たせるようにしていたということです。当時京都では徳川の居城として二条城が築かれ、知恩院はそれをサポートする役割を持っていたとされています。

白木の棺

三門楼上2階部分に2つの白木の棺が安置されています。中には将軍秀忠から三門造営の命を受けた五味金右衛門夫婦の自作の木像が納められています。五味は造営奉行で将軍のために立派な門を造ることを心に決めて、自分たちの像をきざみ命がけで仕事にあたりました。多くのエネルギーを注ぎ、とても立派な三門が完成しましたが、工事の予算をオーバーしてしまいました。プロとして命を懸けて取り組んでいたが故の結果だったのかもしれません。しかし、五味夫妻はその責任をとって罪滅ぼしのために自刃したと伝えられています。後に夫婦の菩提を弔うため2人の木像は白木の棺に納めて現在の場所に置かれるようになりました。2人の座った木像の姿には涙がこみ上げてきます。

忘れ傘

御影堂正面の天井の軒裏には骨組ばかりとなった傘が見えます。これには2つ説があります。名工、左甚五郎が完璧なお堂を造ると神様が嫉妬すると魔除けのために置いたという説。このあたりに住んでいた白狐が、自分の棲居を他の場所に確保してくれたお礼にこの傘を置いて知恩院を守ることを約束したという説。

傘は雨が降る時に使う道具で、水から身を守るものです。忘れ傘は火災から御影堂を守るものとして信じられています。禅寺の法堂はっとうの天井に水の守り神でもある龍の絵が描かれているのも同様の理由からです。火災から大切な建築物を守ろうとする昔の人たちの強い想いが込められているのです。

抜け雀

大方丈の菊の間には狩野信政が描いた襖絵があります。紅白の菊の上に数羽の雀が描かれていましたが、あまりも上手に描かれたので雀が生命を受けて飛び去ったといわれています。現存する大方丈の襖絵には飛び去った跡しか残っていませんが、狩野信政の絵の上手さを示したものと語り継がれています。

昔は完璧すぎるものを造ることを敢えて避ける風習がありました。建築物などもわざと柱の数を少なくしたり、柱をさかさまに建てたりと不完全への工夫がされています。これは、物事は完成した時から衰退が始まるという考え方に基づいています。不完全なものは完全を目指すというもの。お月見も満月である十五夜を観賞しますが、少しだけ欠けている十三夜が好まれるのはこのような考え方が影響していたようです。

三方正面真向の猫

方丈の廊下にある杉戸に描かれた猫の絵も狩野信政が描いたものです。どちらから見ても見る人の方を正面からにらんでいるように見える不思議な絵なのでこの名前がつきました。

親猫が子猫を温かく見守る姿が見事に表現されています。親が子を思う心、我々をいつでもどこでもいつまでも正面から見守っている仏の慈悲を表しています。

大杓子(しゃくし)

大方丈入口の廊下の天井の梁に置かれている大きな杓子です。長さ2.5メートル、重さ約30キロもあります。非常に珍しいものなのでその下を通る人が見上げているのですぐに分かります。大阪夏の陣三好清海がこの大杓子を持って活躍したと言われています。

杓子はすくう道具なので、すべての人々を救う阿弥陀様の慈悲の深さを表していると伝えられています。

瓜生石

黒門への登り口の路上にある大きな石は、知恩院が建立される前からあると言われています。周囲には石柵をめぐらしてあります。この場所は境内ではなく、アスファルトの公道の真ん中にあります。知恩院創設は1175年ですが、この石はなんと860年にはすでにこの場所にあったそうです。石には、誰も植えた覚えがないのに瓜のつるが伸び、花が咲き、瓜が青々と実ったという説があります。

また、八坂神社の祭神である牛頭ごず天王が瓜生山(うりゅうざん)に降臨した後、再びこの石の上に現れたそうです。そして一夜のうちに瓜が実ったという説があります。

この石の下を掘ると、地下道があり二条城までつながっているなどさまざまな話が言い伝えられている不思議な石です。

いかがでしたか? 七不思議はただ不思議だと言うだけではなく昔の人の道徳や仏の教えなど貴重なメッセージが含まれています。その多くは現代の我々の心に響く大切なものです。

京都の魅力は深く知れば知るほど、より沢山の場所を訪ねるほど、多くを学び、謙虚な気持ちにさせてくれるところにあります。人を思う気持ちや道徳心、愛情や慈悲の心など本当に大切なものは目に見えないものです。そのようなものを文字という目に見える形でこれからも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

image by: TADAC / Shutterstock.com

 

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