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舛添氏騒動の裏で。マスコミが見過ごす「刑事訴訟法改正案」の危険度

冤罪防止を目的とし取り調べの可視化を義務付けた「刑事訴訟法改正案」が成立しました。しかしこの法案についてメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』の著者・新 恭さんは、「公権肥大の危うさをはらむばかりではなく深刻な問題がある」と警鐘を鳴らすとともに、舛添氏騒動にかまけて法案可決・成立を見過ごしてきたといっても過言ではないマスコミを断罪しています。

なぜ捜査権力肥大の刑訴法改正を許したのか

救いがたい公私混同知事、舛添要一相手なら文句はつけぬ―。そんな安倍自民党の空気を感じ取ってか、テレビは日頃の自粛ムードの鬱憤を晴らすかのように、舛添バッシングを続けている

たしかにあの会見は見苦しい。渋々とはいえ都知事選で応援してもらった自民党から「ガス抜き装置」扱いされるのも、うなずける。

だが、大マスコミがこの騒ぎにかまけて、公権肥大の危うさをはらむ刑事訴訟法改正案の可決成立を通り一遍の報道で見過ごしてきた事実は、深刻に受け止めなければならない。

厚労省局長だった村木厚子の冤罪事件で、大阪地検特捜部の検事が証拠を改ざんし、デタラメ調書をつくっていた事実が発覚。それを機に司法改革の必要性が叫ばれ、4年の歳月をかけて昨年3月にまとまったのが、この刑事訴訟法改正案だ。

特捜事件に食いついて厚労省局長の犯罪だと騒ぎ立てていた大手メディアは、検事の不祥事と分かるや、検察批判に転じて責任回避に躍起となる一方、大阪地検だけの問題に矮小化しようとする最高検の策謀に手を貸すなど、微妙な立ち回りを続けた。

それでも、取り調べの可視化など司法改革の必要性をメディア各社が唱えたからこそ、法務省も大臣の私的諮問機関「検察の在り方検討会議を設置し、同会議の提言を受けて、刑事訴訟法の改正に乗り出したのだ。

その結果、実際に出てきた改正法案の中身はどうだったのか。昨年8月に法案は衆議院を通過、参議院でヘイトスピーチ対策法案が優先されたため今国会へ持ち越されていたが、その間、大メディアは読者、視聴者に十分、問題点を指摘してきただろうか。

少なくとも全国紙や在京のテレビ局で、大々的にこの法案の危険性を取り上げた記事番組はほとんどなかったのではないか。記者クラブと検察、警察の、持ちつ持たれつの関係は根深い。ここにも権力になびいて自粛する空気が感じられた。

改正された刑事訴訟法の中身を簡単に説明しておこう。

「可視化を実現した」と見せかけているのがミソである。法務省の「概要」という資料には、こう書いてある。

身柄拘束中の被疑者を下記の対象事件について取り調べる場合に、原則として、その取調べの全過程の録音・録画を義務付ける。

 

対象事件:裁判員制度対象事件及び検察官独自捜査事件

裁判員制度対象事件とは、「死刑又は無期の懲役・禁錮に当たる罪に係る事件」と「法定合議事件であって故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪に係るもの」だ。

具体的には殺人、強盗殺人のほか、現住建造物等放火、通貨偽造・同行使、強姦致死傷、身の代金目的略取、強盗致死傷、傷害致死、危険運転致死などがあげられる。

検察官独自捜査事件は、言うまでもなく、警察を経ず特捜検察など検事が直接捜査する事件である。

これまで多くの冤罪被害者が出ている痴漢や選挙違反などは含まれない。なにより問題なのは「任意の取り調べも除外されることだ。

実際には「任意」や「別件」で聴取され、虚偽自白に追い込まれる例が非常に多いのだ。

参院法務委員会の審議で、この問題について意見陳述した浜田寿美男・立命館大学特別招聘教授(心理学)は甲山事件で逮捕された保母の特別弁護人として裁判に参加して以来約40年間、心理学的アプローチで冤罪の問題に取り組んできた立場から、次のように意見を述べた。

一般には捜査官の拷問、暴力でやむなく自白していると思われているが、実際には自ら犯人を演じざるを得ない状況に心理的に追い込まれているケースが多い。日本の取り調べは、謝罪追及型だ。足利事件の場合、冤罪被害者は任意同行の初日から落ちている。被害者の女の子の写真を見せられ「これに謝れ」と迫られる。捜査官から有罪前提で「やっただろう」と追及され、いくら「やっていない」と言っても聞き入れられず、無力感を味わう。無実の人はこの無力感で落ちる。

無力感で投げやりになり「やりました」と言ったあとは、「こいつが犯人だ」と確信を深める捜査官に対して、犯人を演じるしか自分の心を守る手立てがなくなるのだ。

一般には犯行の筋書きを捜査員がつくって語らせるように思われがちだが、自分で想像して語るんです。そして現実には、任意の段階で自白するケースが多い。自白後、オレが面倒見るから心配するなと捜査官に言われ、ある種の人間関係ができた時点で、録音、録画する。それでは、(それを法廷で見ても)虚偽自白は見抜けない。

だからこそ「全過程を録音録画しておかねばならない」と浜田教授は断言する。

しかも、改正法の「可視化」には例外規定がある。「取り調べの録音・録画義務」の項で、録音・録画をしなくていいケースを4つあげているが、そのうちの1つは、以下のようなものだ。

被疑者が記録を拒んだことその他の被疑者の言動により、記録をしたならば被疑者が十分な供述をすることができないと認めるとき

被疑者が記録を拒んだときは仕方がないが、「その他の言動というのは食わせ物だ。どんな言動でも録音録画をしない理由としてこじつけ得る。要するに、録音録画するかどうかは捜査側の判断しだいとなりかねない。

浜田教授は言う。「部分的な可視化、例外をもうけるような可視化、編集された可視化は非常に怖い」

改正法には、さらに深刻な問題がある。

警察や検察は「取り調べにおける可視化のデメリット」を強調し、それを補うための交換条件のようなかたちで、「司法取引通信傍受を法律に潜り込ませたのだ。

不起訴にしてやるから喋れ、などと持ちかける「司法取引」は、ウソの証言で無実の他人を事件に引き込む恐れがある。

「通信傍受」は、これまでの4類型に詐欺や窃盗まで9類型を追加し、盗聴による捜査を大幅拡大するもので、市民のプライバシーにとって脅威であるばかりでなく、冤罪に巻き込まれる可能性も強まる

それにしても、もともと冤罪を防ぐのが目的だったはずなのに、どうして捜査権力の焼け太りを許すような結果になったのだろうか。

ここに1つの「証言記録」がある。映画監督、周防正行の著書『それでもボクは会議で闘う』だ。

周防は2011年6月、刑事訴訟法改正案をまとめるための法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会の委員に選ばれた。民主党の江田五月が法務大臣だったこともあって、冤罪を扱った映画「それでもボクはやっていない」の監督である周防に白羽の矢が立った。厚労省の村木厚子も同じ一般有識者の委員として加わった。だが、会議が始まる前、メンバー構成を見て周防は苦戦を覚悟した。知り合いの法曹関係者は「絶望的なメンバーですね」とため息まじりだったという。

メンバーは42人。そのうち、一般有識者が周防ら7人、警察関係者が5人、法務省から検察官を含めて9人、内閣法制局1人、裁判官や元裁判官が4人、日弁連5人、学者11人。周防は「率直に言って、日弁連が主張する『全事件、全過程での取調べの録音・録画』といった改革を積極的に推進できるメンバー構成にはなっていない」と感じたという。

特別部会の発足後2年半を経たころ、村木から周防らに提案があった。有識者委員としてまとまって意見書を提出してはどうか、と。周防は思った。このままでは小手先の改革、いや改悪を阻止できない。自分たち一般有識者が賛成することで、広く国民の意見を取り入れたことにされるのでは、多くの人を裏切ることになる。村木の提案を受けて、5人の有識者がとりまとめた意見はおよそ次のような内容だった。

裁判員裁判対象事件に限定する理由はなく、原則としてすべての事件が対象となるべきである。ただし実務上、段階的実施もやむを得ないなら、裁判員裁判対象事件については取り調べの全過程の録音録画、検察官の取調べについては全事件、全過程の録音録画を行うことからスタートすべきだ。

しかし、周防らは役人話法に翻弄され悪戦苦闘を続けた。この本の中から周防の感じたことをいくつか抜き出してみよう。

会議の最中に、どれくらい呆気にとられるような警察、検察関係者の発言を聞いてきただろうか。…警察庁の坂口幹事が「カメラを突きつければ人は口が重くなります、警戒します。その人が白であっても黒であってもです。録音・録画すれば、取調べが持っている真相解明機能に障害が出る」と熱弁をふるった。ここまで来ると、徒労感しか覚えなかった。一体、誰がカメラを突き付けるのだ。

5人の意見書が出たあと、元検事総長但木敬一委員はこう言った。「この紙に書いてあることを一文字でも外したら俺は反対だなんて言わないで、やっぱりみんなで非常に貴重なものを出していただいたわけですから、これを1つの軸に…」。

一見やんわりとではあるが、これが全部認められることはないですよと、しっかり釘を刺されたのである。この会議を通して、僕には一体何本の釘が刺されたことであろうか…。

最終的な取りまとめ案を全会一致で承認したのは2014年7月9日の第30回会議においてであった。

周防は「裁判員制度対象事件に検察独自捜査事件を加える事務局案では、対象事件が全体の2~3%と少なすぎるし、検察独自捜査事件というくくり方に危うさを感じる」と強く主張したが、押し切られた。

事務局の法務省司法法制部官僚が委員の意見を取り入れながら試案をつくり、会議で提示して、改訂を繰り返すプロセスは、どこの審議会でも似たようなやり方だが、結局は、長い時間を費やした末、事務局の考える「落としどころに決着してしまう。

会議終了後に有識者5人で臨んだ記者会見で周防は思わず「民主主義は大変ですね」と口にした。そのときの心境を巻末でこう綴っている。

もともとは検察の不祥事が原因で開かれた会議であったはずなのに、その不祥事に対する批判も反省も忘れている人たちを相手に、改革の必要性を訴える日々は、虚しさに満ちたものだった。言葉を重ねても、手応えなく素通りしていったり、強く跳ね返されるばかりで、およそ意見を闘わせたという実感はない。

この長期にわたる審議の間に、「可視化」を捜査に有利に使う方法を検討していた最高検察庁は2014年6月16日、「取調べの録音・録画の実施等について」という依命通知文書を出し、先行して取り調べの録画映像を立証に積極活用し始めた。

しかしこれは、検察官にとって都合のよい場面、有罪の立証に役立つ部分しか録画しないという危険性の高いものである。

これに関して最近、問題になったのは、7歳の女の子が殺害された今市事件の裁判員裁判で、直接証拠がないために、検察側が被告の自白場面の録音録画映像を立証の手立てとして使い、無期懲役の判決に持ち込んだケースだ。

被告は台湾生まれで日本語が十分に話せず、女の子の連れ去りや殺害について、身ぶり手ぶりをまじえて説明する姿が映し出された。

被告は2014年2月18日に初めて検事に殺害を自白したが、その場面は録音録画されておらず、別の検事による4月24日~6月23日までの取り調べ映像が証拠として再生された。被告はその後、無罪を主張している。

この判決のあと、中途半端な可視化の危険を懸念する声が強まっている。

近畿大の辻本典央教授(刑事訴訟法)はこう語る。

取り調べ可視化が議論されているが、公判でどのように使うかははっきりしていない。今後も、検察側が自白部分を中心に調書替わりに使ったり、被告側が強圧的な取り調べがあったと主張した場合、その部分を見せて自白の任意性を立証するのに使ったりする可能性がある。

(産経2016年4月9日)

これが検察の本音だろう。「可視化」を逆手にとろうというのだ。いわば悪用だ

刑訴法が改正されて、裁判員制度対象事件と検察官独自捜査事件に可視化が義務付けられても、その件数はごくわずかだ。しかも、例外規定があって、録音録画するかどうかは捜査側の判断しだいとなりやすい。

恣意的に都合のいいところだけを録音録画し、調書代わりに自白映像を使って、声や映像の迫真性を悪用する。そんなことがまかり通れば冤罪被害はいつまでも無くならない。

名ばかりの刑事司法改革まさに改悪と言っていい法律が成立してしまった。司法取引、通信傍受の拡大で捜査力はアップするかもしれないが、その代償として、国家の秘密と監視のもと、国民は息苦しい社会に住まなければならない。

image by: Wikimedia Commons

 

国家権力&メディア一刀両断』 より一部抜粋

著者/新 恭(あらた きょう)
記者クラブを通した官とメディアの共同体がこの国の情報空間を歪めている。その実態を抉り出し、新聞記事の細部に宿る官製情報のウソを暴くとともに、官とメディアの構造改革を提言したい。
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