MAG2 NEWS MENU

元TBSディレクターが語る、お化け番組「ザ・ベストテン」ヒットの理由

元TBSディレクターにして、現在はロスで起業した海部正樹さんによるメルマガ、『ロサンゼルスで起業してしまったボクの本気メルマガ!』。今回はかつて海部さんも制作に携わった経験を持つ、一世を風靡したお化け番組「ザ・ベストテン」について。同番組のプロデューサー、山田脩爾さんが先日亡くなったことを受けて、当時の裏話を交えつつ、ザ・ベストテンの舞台裏を詳細に解説しています。山田さんが語った「ザ・ベストテン」成功の秘訣は、いま起業家となった海部さんにとって「重要なことだ」と感じているそうです。

「ザ・ベストテン ~常識を捨てたヒット番組~」

海部正樹です。 皆様は1980年代に一時代を築いた「ザ・ベストテン」という番組をご記憶でしょうか?これは、TBS系列で毎週木曜よる9時から生放送でお送りした歌謡情報番組です。

オリコン順位、JNN系列ラジオ局のリクエストランキング、番組へのおはがき司会は久米宏、黒柳徹子。 私はTBS在職中、約2年半ほどこの番組の制作・演出スタッフでした。

突然ですが、今日はこの話を書きます。 実は、ザ・ベストテンの生みの親だったプロデューサーの山田修爾さんがお亡くなりになりました。 私にとっては、かつての上司。 山田さんの下でAD、中継ディレクター、スタジオディレクター(演出)とテレビマンの経験を積みました。 時代のトップを走る歌手やレコード会社、タレント事務所のマネージャーとも知り合う機会があるわけで、若干20歳台の小僧にとっては過ぎたる環境だったかもしれません。 この時代の思い出の全てに山田さんは登場します。

少し、番組のことを書きましょう。 ベストテンの1週間は、まず毎週火曜日の夕方に次週放送の順位発表から始まります。 実際には「ランキング会議」という会議で順位表が配布され、その場でタレントブッキング担当の久保嶋プロデューサーがノートを見ながら「AさんはGスタ。 Bさんは名古屋コンサート。 CさんはGスタ。 Dさんは映画のロケでフランス。 。 。 」というようにランクインした歌手の翌週木曜日のスケジュールを発表。 この会議はここで終了。 プロデューサーやディレクターは手分けして、それぞれのプロダクションに電話をし、スケジュールを詰めます

その2時間後に「構成会議」が始まります。 ここから放送作家の先生なども加わり、具体的にスタジオの歌前のトークパートのネタや、中継場所の検討が始まります。 進行はスタジオ担当のディレクター。 放送作家の中には、いまや「あまちゃん」にも出演(?)している秋元康さんも居ました。 この会議は朝方まで続くことも稀ではないのですが、山田さんは、いつも最初から最期までどーんとふんぞり返っていました。(笑)

ベストテンにはディレクターが山田さんを含めて6人居たのですが、なんせ平均視聴率30%というお化け番組のプロデューサー兼チーフディレクターです。 まあ、そんなもんだと思ってました。

構成がまとまると、水曜には美術打合せと技術打合せ。 もちろん翌日は生放送ですから、その最終全体会議ともいえる総合打合せもあります。 結構忙しい。

木曜は、本番です。 朝のドライリハーサルからはじまってカメリハ、音合せ、中継場所との回線チェックなどが続き、あっと言う間に夕方です。 いよいよ司会の久米宏さんと黒柳徹子さんがTBS入り。 司会打合せを終えるとランスルーという通しリハーサルを行い、休憩をはさんで本番突入です。

本番が終わると反省会。 そのまま食事+飲み会に入り朝まで続くことも珍しくありませんでした。 金曜は翌週放送分の仕込み。 土日もデザイン打合せやビデオ取材が入り、月曜も引き続きスタンバイ日。 そうこうしている内に火曜日となり、夕方までスタンバイを続け、その後「ランキング会議」。 機械のように、このサイクルが果てしなく続いていました。

そんな日々のかなで山田さんが、ある時言っていた言葉が残っています。 「ベストテンはさあ、それまで音楽番組のプロデューサーが絶対に手放すことができない二つの権利を放棄したところから始まったんだ。 当然の常識を壊したんだな」

二つの権利とは「番組に出演する歌手を決める権利」そして「歌う順番(曲順)を決める権利」です。 確かにこれが無いと番組は成立しません。 ところがベストテンは、この二つの権利を市場に委ねるランキング方式を取り入れたのです。 誰が歌うのか、どういう順番で歌うのか。 番組はラジオリクエストやオリコンヒットチャートなど4つの要素から弾かれる数字に任せた訳です。 そうなると歌う歌手がスタジオに来れないということも発生します。 そこで、中継というテレビ的な手法を使ったわけです。 つまり即時性で、これがベストテンのヒットに繋がったと、私は思います。 歌手が、いま、どこで何をしているか、この全てがショーアップされた訳です。

当然の常識を壊したところからヒットした番組だった訳です。

自分も起業家として、当然の常識に囚われていないか?あらためて自問自答しています。

image by:  Shutterstock.com

 

ロサンゼルスで起業してしまったボクの本気メルマガ!』より一部抜粋

著者/海部正樹(米国法人WOWMAX MEDIA LLC代表 / プロデューサー)
政治家の二世なのですが、テレビディレクターやアニメプロデューサーになりました。親は嘆いたでしょう。しかも42歳で渡米、その後ロスで起業と来た日には、人生どう転がるかわかったものではありません。そんな私が異国で今日も体験している「海外の起業」と「海外での継業」を中心にいろいろ書かせて頂きます。それと「米国ローカルの時事ネタ」や「10年暮らしてわかる生活ネタ」もご紹介します。
<<無料サンプルはこちら>>

print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け