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相次ぐ白人警官の黒人射殺事件。肌の色だけではない人種差別の問題点

7月5日、6日に白人警官が「身の危険を感じた」という理由で、黒人男性を射殺する事件が相次いで発生しました。メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では、黒人への白人警官の射殺に強く反抗する「MLB」活動とそれに反対する意見で米国内が分断されていると解説。未だに人種差別問題が解決しない5つの理由を挙げています。

流血の一週間、アメリカは分断されているのか?

問題の発端は、2014年の8月に発生したミズーリ州ファーガソンでの「白人警官の黒人青年射殺」事件で、その白人警官がこの年の11月に不起訴となったことから暴動が発生しています。その事件の前月、2014年の7月にニューヨークのスタッテン島で起きた「白人警官による黒人密売人の絞殺(?)事件」に関しても12月に同じように不起訴処分が決定し、抗議行動が拡大しました。

その後、2015年の4月には、メリーランド州のボルチモアで、警察に拘束された際に死亡した黒人青年の葬儀を契機として、黒人に対する警察の対応に抗議する住民らによる暴動が発生しています。知事は非常事態を宣言し、州兵を動員した鎮圧や夜間外出禁止令の発動など深刻な事態となりました。

その後は事態は沈静化していたように見えたのですが、今月、2016年の7月5日にはルイジアナ州のバトン・ルージュで、また翌日の6日にはミネソタ州のセントポール郊外で、同様の事件が発生しました。

要するに、何の変哲もない「微罪での逮捕行動」「交通取り締まり」において、白人警官が「身の危険」を感じてしまったために、黒人男性を射殺するという事件が、2日続けて起きてしまい、双方の事件ともに一部始終が動画で記録されていたのです。

そして、その翌日の7日には、5日と6日の事件に対する抗議が平和的なデモとして行われていたテキサス州のダラスで、いきなりプロ級の狙撃手が登場して狙撃を開始、逃げ惑うデモ隊(多くは黒人)を守ろうとした白人警官が狙い撃ちにされて5名が虐殺されるという事件が起きてしまいました。

これによって、全米で起きている議論は2つに収斂しつつあります。一つは、「ルイジアナとミネソタの事件に対する黒人側の抗議行動が過剰であったかどうか?」という問題です。もう一つは「どうしたら白人警官による黒人射殺事件が防止できるのか?」という点です。

具体的には、2014年から全国的な運動として広がってきた “Black Lives Matter (BLM)” という運動への賛否がまず問われています。black lives というのは複数形で「黒人の生命」ということであり、最後の matter というのは動詞で「それは重要だ」という意味です。日本語に意訳すると「全ての黒人の生命は尊重されるべき」運動ということになります。「自分たちが殺されるのはおかしい」という非常に明確なメッセージを発するために発足した運動です。

このBLMですが、発端は2013年にフロリダ州で発生した白人の自警団員が、黒人少年を危険人物として射殺したという「ジマーマン事件」であり、その後は、ミズーリの事件、そしてニューヨーク、ボルチモアなどで、常に運動の先頭に立ってきています。基本的には非暴力で、思想的にはかなり慎重であり、特に言語表現などでは鋭くしかも洗練された「戦闘姿勢」を持っていると言って良いでしょう。

例えば選挙戦の序盤の話ですが、民主党のバーニー・サンダース候補が “All Lives Matter” つまり「(黒人だけでなく)全ての人間の生命は尊重されるべき」だという言い方をした際には、「人種差別の現状を理解していない」として激しく抗議を行い、発言の撤回に追い込んでいます。

ヒラリー・クリントン候補は、言葉遣いには慎重な人でサンダース候補のような「ヘマ」はしていませんが、そのヒラリー候補に対してBLMは「格差是正のバラマキでは、差別はなくならない」ということを追及しに行ったりもしています。一方で、共和党の候補たちからは、忌み嫌われています。

このBLMに対して、主として白人や警察組織からは「黒人対黒人の犯罪、つまり黒人が被害者の問題についても、警察は自分たちの危険を省みることなく治安維持に努めている」のだから、白人警官を敵視するのは止めて欲しいという抗議があるわけです。

ですが、こうした抗議に対してBLMは、「そうかもしれない。だが、現実は違う。黒人は自分が被害を受けている局面でも、警察が来たら、自分が加害者として誤解され、最悪の場合は自分が撃たれるという身の危険を感じてしまう。その結果として、緊急通報を躊躇する中で命を落とす人間もいる。こうした事態は即座に是正されなくてはならない」という反論をしてきています。

今回の問題は、最初の2つの事件を受けてBLMは反対運動を強化しているわけですが、これに対する悪質なカウンター暴力というべきダラスの警官虐殺が起きたことから、右派からはBLMへの批判が始まっています。例えばサラ・ペイリンなどは「BLMこそ人種分断の元凶。その自覚がない以上は狂言回しに過ぎない」という言い方で批判をしています。

問題のトランプは、一連の事件が起きる前は一貫して「正しいのは警官。自分は100%警官の側に立つ」と言ってきましたが、さすがに今の状況ではそんな無責任なことを言うわけにはいかないのか、本稿の時点ではダンマリを決め込んでいます。

いずれにしても、問題は根深く入り組んでいます。今回は論点を簡単に整理することで、私としては継続して考えていくしかないというのが実情ですが、少なくとも次のような5つの問題があるように思います。

1つは、どうして「白人警官の稚拙な対応」が増えているのかというと、あくまで推測ですが「リーマンショック以降の不況」のために、各地の警察が高給取りのベテランを解雇して若手を採用している、そこで治安維持行動に関するノウハウの継承に問題が出ているということがあると思います。これに加えて、ここ2年間続いた多くの事件を受けて警官には「スキを見せてはならない」というプレッシャーがあり、同時に警察上層部からは「責任は取るから身の危険を感じたら発砲して構わない」というような指示もあるのかもしれません。

2つ目は、黒人独特の言語やカルチャーについて、白人警官が、正確に理解できていない、そこで多くの局面でコミュニケーション上の誤解が起きるということがあると思います。ルイジアナの事件では巨漢の被害者に対して白人警官の2名が「馬乗り」になっていたわけですし、ミネソタの事件では被害者は従順であったように見えます。それでも、言語面のコミュニケーションが上手く行かず、彼らなりの「反抗姿勢」の「危険度」が正確に伝わらなかった、そこで恐らくは「殺意と誤認される」ということがあったのだと思います。

3つ目は銃の存在です。ルイジアナの事件では、被害者は「お尻に銃を下げて」いた中で、もみ合っているうちに「奴の手が銃に届いたら殺される」という「身の危険」を感じたわけです。そしてミネソタの事件でも、被害者は「自分は銃を携帯している」と口頭で言っています。そこで免許証を出そうとお尻に手を回したら瞬間的に殺されてしまったわけです。銃の存在が前提となっており、警官は「一瞬でも身の危険を感じ」たら「相手を無力化せよ」と徹底的に叩き込まれているからです。銃社会が前提になっての事件という面は大きいと思います。

4つ目は、ビデオの問題です。ルイジアナの事件も、ミネソタの事件も動画が、それも実に生々しい動画が出回っています。そのために、憤激した人間が毎晩のように町に繰り出してデモをしており、その中で偶然に病的な帰還兵がとんでもない凶行に走ったわけですが、いずれにしても動画が簡単に出回るということの弊害は議論されていいと思います。ただ、警官による射殺なり不当な取り調べに抗議しようとした人は、必ずスマホで動画を撮ってしまうことは止められない中で、難しさはどうしてもあります。

5つ目は議論が足りないという点です。BLMもデモをするのではなく、最も強硬な白人警官や、それこそセラ・ペイリンなどを引っ張ってきて、徹底的に討論をすべきだと思います。この問題は、大変に難しい問題ですが、最後は双方が納得するような合意に達しなくては対策にならないからです。

image by: rmnoa357 / Shutterstock.com

 

『冷泉彰彦のプリンストン通信』より一部抜粋
著者/冷泉彰彦
東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは毎月第1~第4火曜日配信。
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