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戦争はなぜ起こるのか? 意外なところにあった「究極の原因」

「戦争」はさまざまな原因が複雑に重なって起こると考えられていますが、なぜ人間は、文明がこれほどまで発達しても「戦争」や「テロ」を無くすことができないのでしょうか? メルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』の著者で、早稲田大学教授・生物学者の池田先生が、京都大学総長である山極寿一氏の著書を取り上げながら、わかりやすく解説しています。

戦争はなぜ起こるのか

経済が上手くいかなくなり、人々の生活が苦しくなると、時の権力は人々の不満が反権力に向かわないように、架空の敵を作って敵愾心を煽り、一時の求心力を得ようとする。これはいつの時代でも、権力の常套手段だが、人々の不安が閾値を超えると、非合理的な熱狂のもとに、破滅に向かって一直線に進んでしまうことが、しばしば起こるのも、歴史が我々に教える教訓の一つである。

破滅の形態の中には、集団自殺などと言ったものも含まれるが、もっとも一般的なのは国と国の戦争であろう。現・京都大学総長の山極寿一は、『ゴリラは語る』(講談社)と題する子供向けの著書の中で、戦争の原因として「所有」、「言葉」、「アイデンティティ」、「過剰な愛」の4つを挙げている。

私はかつて、この山極の説を簡単に解説したことがあるが、ここでは少し詳しく思ったところを述べてみたい。まず「所有」。これはよくわかる。農耕を始める前の狩猟採集生活の時代には、人々が所有している財はほとんどなかったので、集団の存亡をかけた戦争はまず起こらなかったと考えられる。農耕を始めて貯蔵している穀物の量や耕地の面積が大きくなればこれらを強奪するために武力に勝る集団が戦争を仕掛けるようになったのは、ありそうなことだ。人間以外の霊長類は、現在手にしている物以外に所有している財はないので、個体間の、食べ物や性的パートナーの取り合いをめぐる争いはあるにしても、集団間の大規模な戦争はない。

特に重要なのは、土地の所有という概念である。狩猟採集民には、縄張りという概念はあっても、土地の所有という概念は希薄であったろう。獲物がよくとれる草原、魚が沢山いる川、果物が豊富な森は、利用すべき重要な土地だとは思っていても、自分たちの所有物だとは思っていなかったに違いない。農耕や家畜の飼育が土地と強く結びつくことによって土地は死守すべき重要な財となったのだ。さらに、化石燃料をはじめとする地下資源が産業の発展にとって極めて重要な財だということが認識されて以来土地は最も重要な財になったといってよい。国家間の戦争の原因の多くは資源の争奪か、それに伴う領土争いだということからもそれがわかる。

次いで、「言葉」と「アイデンティティ」は後回しにして、「過剰な愛」について。人間ほど「過剰な愛」を持っている動物はいない。愛する者を殺された人の心に芽生えるのは復讐心である。ライオンの群れ(プライドと呼ばれる)は、1頭から数頭の成熟オス、10頭前後のメスと幼獣からなるが、成熟オスが老いぼれてくると、若いオスに群れを乗っ取られてしまう。群れを乗っ取ったオスはまず、群れの幼獣を皆殺しにする。メスは子供を産んだ後、2年間は発情しないため、幼獣がいると、乗っ取ったオスはその間自分の子を作れないのだ。幼獣を殺されたメスは、しばらくすると発情し、自分の子供を殺したオスと交尾して、110日後には通常4頭の赤ちゃんを産むのである。ライオンには愛する子供を殺された後に復讐心は生じないようだ。というよりも人間と同じような「愛する」という感情はないのかもしれない。

しかし、人間は違う。愛する者を殺された人は時に復讐の鬼と化し、場合によっては自分の命と引き換えに、復讐を遂げようとする。アメリカがいくらIS(イスラム国)を掃討しようとしてもイスラム教徒を皆殺しにしない限りテロはなくならないだろう。愛する者を殺された人の復讐心を消すことは不可能だからだ。テロで殺された人の家族もまたテロ組織を憎み、かくして復讐のスパイラルは回り続ける。この悪循環を断ち切るのは、強者の寛容以外にはないのだが、権力は人々の復讐心を権力への求心力に変えて政権を維持しようとすることが多く、テロの後には必ず、報復という話になり、テロはさらに拡大再生産されることになる。

最後に「言葉」と「アイデンティティ」について考えよう。この二つは密接に関係している。「言葉」は不可避的に「同一性(アイデンティティ)」を孕むからである。山極は「アイデンティティ」を帰属意識だと考えているようだ。自分は特定の集団に属しているという意識である。家族への愛は、敷衍されて帰属している集団への愛に代わり、最後は愛国心という話になる。大相撲で郷土力士を応援するのも、高校野球で母校を応援するのも、オリンピックで自国の選手を応援するのも「アイデンティティ」のなせるわざというわけだ。

帰属している集団があることは帰属していない集団もあるわけで、帰属集団への愛は時に帰属していない集団に対する憎しみに変化しやすいのだろうか。対立している他集団へのコンプレックスが強いとき、他集団への憎しみは集団ヒステリーのようになって国を挙げて戦争に突き進む原因となることも多いのは、先の第二次世界大戦の始まる前から敗戦までの、日本の状況を考えればよく分かる。鬼畜米英と叫んで、敵への憎悪と戦争に勝ちたい願望が頭を占拠して、現実が全く見えなくなってしまったのだ。

山極の洞察で一番鋭いのは「言葉」が戦争の原因だと指摘したことだ。言葉がなければ概念もなくしたがって国家などと言う実在しない概念を守ろうなどと考える人もいなかったろう。個々の個物としてのイヌは現象として実在するが、イヌ一般は実在しない概念なのだ。個々のがん患者は実在するし、個々の病状も実在する現象であるが、「がん」という名で表される概念は実在しないのである。

アリストテレスは『命題論』で「名称は約束によって意味を持つ音声で時を含まない」と述べた。この物言いは真に正しいと思われる。名は常に不変の同一性を孕むのである。しかし、すべての現象は不変ではありえず、したがって不変の同一性を孕む名によって表される概念もまた実在しない。残念ながら、このことを理解している人は多くない。もしかしたら、これこそが究極の戦争の原因かもしれない。

image by: Shutterstock.com

 

池田清彦のやせ我慢日記』より一部抜粋

著者/池田清彦(早稲田大学教授・生物学者)
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