人気大河ドラマ『真田丸』を語る上で欠かせないのが、大坂の陣で奮闘した「大坂城五人衆」と呼ばれる強者たちです。ドラマでは個性的な顔ぶれの俳優たちが演じている彼らは、どんな歴史的背景をもつ人物たちなのでしょうか。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』では、川合和史さんが真田信繁以外の4人を取り上げ、豊臣家・徳川家との関係性や、それまでの活躍などを振り返っています。
ざっくり日本の歴史
明石全登(あかし・てるずみ 生没年不詳)
『真田丸』HP情報!
★インタビュー★明石全登役はEテレで子どもに大人気“オフロスキー”でおなじみの小林顕作さん。初体験となる大河ドラマの感想を聞きました!https://t.co/pBskXUDO54#真田丸 #明石全登 #小林顕作— NHK大河ドラマ 真田丸 (@nhk_sanadamaru) 2016年10月23日
名前もその読みも諸説ありますが、『真田丸』に従って、全登(てるずみ)で。宇喜多家に仕えていて、その縁で豊臣に臣従。関ヶ原の戦いでは宇喜多秀家の下で西軍に従軍。敗戦で秀家とも散り散りになり、そのまま出奔します。
『真田丸』で描かれているように敬虔なキリシタンで、信仰の自由を求めて、大坂城入りします。まあ元々が豊臣方ですしね。
大坂城五人衆のひとりとして大坂の陣でも活躍しますが、夏の陣の最後、仲間たちが倒れると決死の突破で包囲網をくぐり抜け、そのまま消息不明に。歴史の表舞台から姿を消しました。その結果、日本中に明石全登の子孫を名乗る家があります。真偽は不明です。
後藤又兵衛(ごとう・またべえ 1560年-1615年)
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★インタビュー★五人衆の中でも特に幸村と意見を戦わせる後藤又兵衛。哀川翔さんが語る、又兵衛の心中とは!?https://t.co/43vrxaAXhm#真田丸 #後藤又兵衛 #哀川翔— NHK大河ドラマ 真田丸 (@nhk_sanadamaru) 2016年11月6日
又兵衛は通称で、名は基次(もとつぐ)。大坂城五人衆のひとりです。元々は黒田家の家臣でしたので、『軍師官兵衛』を観られていた方には懐かしくも。
『軍師官兵衛』では黒田長政と兄弟のように育てられていたのに、その長政とそりが合わずに黒田家を離れます。そりが合わず、なんてどころじゃないほど長政には嫌われたようで、長政は「奉公構(ほうこうかまい)」という通達を全国に出して、他家に仕えることを妨害しました。
だから浪人として大坂城に流れてきたんですね。まあ兄弟のように育ったエピソードは脚色で、官兵衛にかわいがられ、息子には疎んじられたというところでしょうか。
『真田丸』では哀川翔さんがまあなんとも粗野な感じで演じられていますが、講談などでは「槍の又兵衛」の異名を取る豪傑として描かれています。
又兵衛の最期は少し悲しいものなので、次回か次々回どのように描かれるのか楽しみです。なお、幸村もそうなんですが又兵衛も生存説があり、あちこちに落ち延びた先とされる場所が残っていたりします。また家康を討ち取ったとの説も講談などで語られていて、堺の南宗寺には家康の墓まであります。
毛利勝永(もうり・かつなが 1578年-1615年)
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★インタビュー★五人衆の中で、最も冷静で底知れなさを感じさせる毛利勝永。演じる岡本健一さんに、役柄を語っていただきました!https://t.co/DOpeOg2vGr#真田丸 #毛利勝永 #岡本健一— NHK大河ドラマ 真田丸 (@nhk_sanadamaru) 2016年10月30日
「幸村」と同じく、「勝永」という名前は当時の資料にないそうで、資料では毛利吉政という名前が残されています。また元は森という名字で、秀吉の指示で毛利になったと言われています。『真田丸』を観ていると、大坂の陣で急に出てきた感じがありますが、割と古くから秀吉に仕えています。
関ヶ原では西軍に付き、勝永は前哨戦などで活躍したのですが、実家の豊前も小倉城を官兵衛(黒田如水)に落とされるなどし、お家は改易。加藤清正や、山内一豊の元を転々としながら保護を受けていましたが、大坂の陣を迎えるにあたって秀頼から請われ、徳川の手伝いに行くと嘘をついて出奔します。
大坂城に入ってからは『真田丸』のとおり、又兵衛たちと共に、大坂五人衆として活躍します。岡本健一さん演ずる勝永、かっこいいですよね。ジャニーズで男闘呼組のメンバーとして活躍されていたと聞けば、私たちの世代には納得。息子は同じくジャニーズで、「Hey! Say! JUMP」のメンバーです。
長宗我部盛親(ちょうそかべ・もりちか 1575年-1615年)
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★インタビュー★五人衆の中でも、寡黙な印象の長宗我部盛親。阿南健治さんが盛親の背景を語ります!https://t.co/hv4gKVDOoE#真田丸 #長宗我部盛親 #阿南健治— NHK大河ドラマ 真田丸 (@nhk_sanadamaru) 2016年11月20日
四国の雄、長宗我部元親の四男です。長兄が豊臣との戦で亡くなった後、父親の後押しもあり、兄弟を押しのけて若くして家督を相続。家督相続後、父親と共に領国経営にあたります。豊臣との関係は微妙なものと言えば微妙なもので、扱いは低かったとも言われていますが、だからこそなのか関ヶ原では西軍に。
で、西軍に付くも、前方に布陣した毛利の陣は東軍に内通しており、どうやら敗色が濃いということもあり、動けないままに終了。親交のあった徳川重臣の井伊直政に勧められて家康に謝罪するも、なんだかんだで結局改易に。
家臣たちとも散り散りになり、京都で蟄居生活を送っていましたが、大坂の陣を迎えるにあたって、これまた徳川に味方したいんだと嘘をついて京都を脱出。大坂城に入り、長宗我部家の再興を期する旧家臣団も盛親の元に集まります。そのため大坂五人衆の中では、最も大きな勢力を従えています。
『真田丸』では阿南健治さん演じる盛親の濃い顔がなにより印象深いですが、12月4日の放送でもあったように、お家の再興が悲願です。そのためならなんでもします。最期の最期まで命を繋ごうと、敗戦後も自刃しませんでした。
井伊直政(いい・なおまさ 1561年-1602年)
最後に、徳川方からひとり。徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑に数えられ、「井伊の赤備え」として名高い徳川家臣団最強の精鋭部隊を率いる武将です。没年から分かるように、大坂の陣より前に亡くなっていますし『真田丸』には直接は登場しません。『真田丸』で真田丸が完成し「完封」した回、真田丸を包囲する徳川勢を見て、
高梨内記「あちらにも赤備えがおりますぞ」
真田幸村「あれは井伊直孝(なおたか)の陣。かの井伊直政の次男坊じゃ」
高梨内記「井伊でございますか」
真田幸村「向こうにも、ここにいたるまでの物語があるのだろうな」
高梨内記「一度、聞いてみたいものですなあ」
というやり取りがあったのを、覚えてらっしゃいますでしょうか。井伊家の「ここにいたるまでの物語」が、来年の大河ドラマ『おんな城主直虎』そのものなんです。あのくだり、実は番宣だったわけですね(笑)。
赤備えは元は武田家が用いていたもので、武田四天王のひとりとして武名高い山県昌景(やまがた・まさかげ)や、その前は飯富虎昌(おぶ・とらまさ)が用いていました。井伊直政が赤備えなのは、武田の旧家臣団を吸収したから。真田の赤備えは、真田家も武田の重臣だった流れからでしょうね。
井伊直政については、来年の大河を観てください(笑)。
次男の井伊直孝は、大坂冬の陣では真田の挑発に乗って真田丸に突っ込み惨敗。夏の陣では活躍して名誉挽回しました。
井伊家は長男の直勝(なおかつ)が継いでいたのですが、出来が今ひとつ悪く、家康は井伊家を二つに分けて、直政の彦根藩は直孝に継がせ直しました。その子孫が桜田門外の変で暗殺された大老、井伊直弼です。
直孝が鷹狩に出た帰り、手招きする猫がいたのでその猫につられて小さな寺に入ると、突然の雷雨。雨宿りしつつ話し込んだことをきっかけに和尚と仲良くなり、その寺は井伊家の菩提寺として立派に改築され、豪徳寺となりました。
猫が招いた縁によるものということで、豪徳寺では招猫堂を立てて猫を祀り、後にその話が、ひこにゃんを誕生させました。ひこねのよいにゃんこ、も。
【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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http://manikabe.net/
image by: cowardlion / Shutterstock.com
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