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【書評】字引は小説より奇なり。舟を編む天才2人の「生きざま」

おそらく手にしたことがない人はいないであろう国語辞典。その中にあって、国民的辞書の呼び声高い「明解国語辞典」を共に編纂するもやがて決別、それぞれがその後、またも日本を代表する辞書を1冊ずつ作り上げたという二人の「超人」の存在をご存知でしょうか。無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』では、そんな男たちを丹念に追った話題の書が紹介されています。

 

辞書になった男 ケンボー先生と山田先生
佐々木健一・著 文藝春秋

遠藤周作が自著で率直に不快感を述べているのが「生きざま」である。

私の知る限り「死にざま」という言葉は昔あったが、「生きざま」という言葉は日本語になかったと思う。だから「生きざま」なる言葉をテレビで聞くとオヤッと思う。そしてやがて「生きざま」という美しくない日本語が新しい国語辞典に掲載されることを憂えてしまう。そんな言葉は美しくないからだ。
(遠藤周作「変わるものと変わらぬもの」)

「ざま」は「ざまをみろ」などというように、人の失敗などを嘲ることばとして、古くから使われていたから、今でも抵抗感を抱く人は少なくない。わたしも大嫌いな言葉の上位に置く。

ところが「生きざま」を徹底的に擁護したのが三省堂新明解第四版だった。

いきざま生きざま】 その人の、人間性をまざまざと示した生活態度。「ざま」は、「様」の連濁現象によるもので、「ざまを見ろ」の「ざま」とは意味が違い、悪い寓意は全く無い。一部の人が、上記の理由でこの語をいやがるのは、全く謂われが無い

とある。そうだったのか、考えを改めまする。このことを佐々木健一『辞書になった男 ケンボー先生と山田先生』で知った。この本は、国民的辞書、三省堂「明解国語辞典」をともに作ってきた二人の編纂者がなぜ決別しなぜ二つの辞書が生まれたかの謎に迫る。

見坊豪紀と山田忠雄、二人の編纂者の情熱と相克の物語は「ケンボー先生と山田先生~辞書に人生を捧げた二人の男~」と題して、2013年4月29日にNHK-BSプレミアムで放送された。そのドキュメンタリー番組の企画・制作過程での取材内容に、新たな証言や検証を加えて構成したのが本書である。日本を代表する二冊の辞書「三省堂国語辞典」「新明解国語辞典」の誕生と進化を追い、この二冊の編纂者である見坊豪紀(国語学者にして稀代の天才辞書編纂者)と山田忠雄(国語学者にして反骨の鬼才辞書編纂者)いう超人の実像を露わにする、まさしくミステリーといっていい組立で、知的興奮を堪能できる好著だ。

ケンボー先生は「ことばは、音もなく変わる」と言い、山田先生は「ことばは不自由な伝達手段である」と言う。「客観」VS「主観」、「短文」VS「長文」、「かがみ」VS「文明批評」、対立しながら互いに存在感を放ち屹立する。二人が残した国語辞典から、何万ということばの中から、二人の関係や心情の手がかりを探し出すという、途方もない思い込みのアプローチ。そして辞書の中から発見した恐るべき事実。「新明解」に載る奇妙な記述の意味とは。まさに「字引は小説より奇なり」が次々と。面白い! というわたしは国語・漢和・古語の辞書を中学生の孫に押しつけ、専らネットに依存するたわけ者だ。

編集長 柴田忠男

 

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