反日教育を受けてきた韓国人女性が、日本への帰化を選んだ理由

 

急に怒り出した八百屋さん

日本に来て最初の一年は、良い日本に感激した時期であった。それは韓国で教えられていた日本の姿とはまったく違っていた。しかし、2年経ち、3年を経て、日本の内部に入っていくようになると、呉さんはしだいに文化や習慣の違いからくる摩擦に悩まされるようになっていった

十条のアパートの近くに小さな八百屋があった。ご主人が親切にしてくれるので、野菜はいつもその店から買っていた。ある日、キムチを作ろうと、その八百屋に白菜を買いに行った。呉さんは店先に積まれた白菜を、一つ、また一つと触って品定めをしながら、「おじさん、今日は白菜をたくさん買いますからね、いいのを選んで下さいよ」と言った。

すると、主人は急に怒り出して、「悪いけど、うちのものはあなたには売りませんよ」。何が気に障ったのか、わけがわからない呉さんが「なぜそんなに怒るんですか」と聞くと、プイと横を向いて「朝鮮人にはものを売りませんよ」。同じようなことが美容院やお寿司屋さんでもあった。ようやくその理由が分かったのは、それから数年後のことだった。

韓国ではものを作る人、売る人を一段下に見る風潮があり、また店の方でもいい加減なものを作ったり売ったりする傾向が強い。そのため買い物をする時に、品質について念を押したり、自ら商品に触って確かめるという事が一般的である。八百屋にいけば「いい野菜をください」というのが、ごく普通の挨拶であり、それが店の人への親しみの表現なのであった。

しかし、日本では八百屋は八百屋なりに、うちでは悪い野菜など売らない、という誇りがある。韓国流の「いい白菜をくださいね」という挨拶は、その誇りを傷つけるのだ。こういう場合は「キムチを作りたいんだけど、どんな白菜がいいかしら」などと、相手を専門家として持ち上げてやることが日本流である。

こういう対人関係の有り様は、右側通行か、左側通行か、という交通規則と同じで、優劣の問題ではなく、一つの文化内の暗黙のルールなのである。左側通行の社会で右側通行をしたらあちこちで衝突する。呉さんが悩んだのは、こういう文化の違いだった。

消しゴム事件

日本人の友だちができて、本格的につきあい始めると、ここでもさまざまな摩擦が生じてきた。たとえば、韓国ではご飯もスープも食卓に置いたまま、スプーンですくって食べるのが食事作法である。お茶碗を手に持って食べるのはたいへん行儀の悪いことである。

それが日本の作法だと知っていても、目の前でそうされると、生理的な嫌悪感を抑えることができない。日本人はなぜそんなおかしな事をするのか、嫌な人たちだ、と思えてしまう。

大学に入ってから、とても気のあう日本人の友だちができた。しかし、その友だちは一緒に勉強していて、呉さんに消しゴムを借りる時に「ちょっと消しゴム、貸してくれる?」と聞くのである。返すときもいちいち「ありがとう」と言う。そのたびに呉さんは「この人は私のことを本当に友だちだと思っているのだろうか?」と不安な気持ちに襲われるのだった。

韓国では親友や家族の間には距離があってはいけない。私の物はあなたの物、あなたの物は私の物、それでこそ親密な間柄と言えるのである。だから友だちの間で「消しゴムを貸して」とか、いちいち「ありがとう」などと言うのは、とても失礼なことなのだ。

呉さんのほうは、友だちの消しゴムが横にあれば、まるで自分の物のように断りもなしに使い、返すときもいちいち「ありがとう」などとは言わない。ある日、呉さんがいつものようにそうしたら、友だちは耐えかねたのか、明らかにムスッとした表情を示した。なぜそんな顔をされるのか、分からないまま、呉さんはいいようのない暗く沈んだ世界に一人取り残された気分に陥ってしまった。

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