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【書評】そもそもボクはやってない。人気作家が暴露する警察の茶番

人気作家・冲方丁氏のDV容疑での逮捕劇。結局不起訴となったこの「事件」ですが、冲方氏によればその取り調べは不条理そのものだったといいます。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』では、編集長の柴田忠男さんが、理不尽な日本の司法システムに翻弄された冲方氏が著した暴露本の内容を紹介しています。


冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置場
冲方丁・著 集英社インターナショナル

冲方丁『冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置場』を読んだ。この本は、「あるとき突然、想像もしていなかった体験へと投げ込まれた作家・冲方丁と、その一件にかかわることとなった妻、警察、検察、裁判官、弁護士、あるいは留置場で出会った人々による、『喜劇の物語』である」と作家自身が定義するものである。

2015年8月22日、冲方は妻へのDV容疑で逮捕された。8月31日に釈放され、10月15日には不起訴処分が決まった。1年後に、その9日間にわたる理不尽、かつ不可解な勾留生活をリアルに、少しユーモラスに語っている。

さすがは作家、すばらしい記憶力である。わたしなんぞ、そんな渦中に巻き込まれたら、たぶん頭がおかしくなって、文章化なんて不可能だろう。だいいち、忘れようとしても思い出せない。

冲方は断言する。「そこで体験した一切はつまるところ、途方もない喜劇であった」。テレビドラマに登場するようなカッコいいかつ頼もしい正義の警察や検察はいっこうに登場しない。どうやら、現実にはまったく存在していないらしい。えー、がっかり。

「その失望感たるや想像を絶するほどです。だからこそ、私はそれら体験をできるだけ笑えるものとしてつづり、こうして読者にお届けすることを決めたのです」と言う通り、刑事の取り調べの様子や、とんでもない留置場の実態、出会った人とのやりとりなどリアルに描かれている。なんという衝撃のアメージングワールドなんだ。ぐいぐい引き込まれていく。

日本警察の比類なき不条理劇の開幕である。刑事は最初から被疑者の言うことをまともに聞く気はない。警察や検察は、あらかじめ調書の筋書きを念頭に置きながら取り調べを行う。日本の刑事裁判では警察や検察が作成する供述調書がきわめて大きな力を持っているからだ。

警察の取り調べとは、当事者から事実関係を聞き出して捜査の参考にするのではなく、もっぱら用意された筋書きにあてはまることを被疑者に言わせ、それを自白として記録することをいう。それ以外の言動は事件と関係ないとして黙殺される。こちらがどれだけ事情を話そうとも、聞き流すか、先に手続だけ進めようと相手にしてくれないのだ。

税金で雇われたシナリオライターたる警察・検察の文章能力、あるいは全国の司法関係者が膨大な時間と税金を費やして培った文章作成のための技術は、作家である私をして驚嘆せしめるレベルなのです。

「冲方丁が妻へのDV容疑で逮捕された」というニュースは週明けに一斉に報道された。刑事が冲方を取り調べている間に、この一件を大々的に世間に流布させるべく副署長がマスコミにリークしていた。冲方を逮捕した渋谷署の面々からすると、冲方という被疑者は「手柄」をアピールするための絶好の獲物だった。署内の官たちは欣喜雀躍していたようだ。

しかし、とんでもない人物を逮捕してしまったものだ。

不条理で一方的な警察の態度に、冲方は激しい怒りを募らせ、結果的にはそれが「こうなったらとことん自分の言い分を主張してやるぞと奮い立たせてしまったのだ。「素直に認めればすぐに家に帰れるんだぞ」という恫喝を含んだ向こうなりの駆け引きに断固、応じなかった。

あとから弁護士に「供述調書には拇印を押さないで」といわれ後悔した。調書は基本的に警察にとって都合のいいことしか書いてない。たとえこちらの主張通りの調書であるように見えても、裁判になったとき、確実にこちらが有罪になるような「何か」が記されているはずだからだ。ここ重要です。大切なことを教わりました。

本当に罪を犯していない人々がポキリと心を折られる仕打ちが必ずある。高圧的な態度はずっと続く。逮捕された被疑者の拘束時間は最長72時間、その間にできるだけ被疑者を締め上げ、精神を圧迫し、なんとしてでも罪を認めさせようと躍起になる。被疑者をいじめ抜き、精神的に追い込んでいるという自覚は警察側にもある。

被疑者にとって最悪のシナリオは、拷問のような留置所の環境に音を上げ、犯してもいない罪を認めてしまったうえに、金銭を支払わなければならなくなり、さらには社会的に汚名をこうむり、その後も長い間、経済力を失ったまま生活せねばならなくなることです。

再び言うが、警察はとんでもない人物を逮捕してしまったものだ。善良な市民に知って欲しくない、司法の実態が暴かれてしまったのだ。この本は「いざというときのための留置所マニュアル」として非常に有効である。時系列に沿った記述が非常に実用的だ。留置所は誰でもが入る可能性がある場所である。まさに全国民の座右の書だ(笑)。

司法組織に属する「公僕」たちは、苛烈な階級社会の出世競争ストレスを国民にぶつけてくる。そして、硬直した司法組織をよしとし、あるいは無知なまま自分とは縁のない世界だと思い込んでいて、「逮捕されるような悪人はひどい目に遭え」という短絡的な考えを疑わない大多数のわれわれ国民がいる

さらにその思念を増幅させて派手に演出し、自分たちは正義であって悪はいじめ倒すべきだと思うよう仕向けるマスコミやエンタメの数々。こんな現状をどうしたらいいのか。

日本の司法がなかなか近代化できないのは、いまの司法制度を無意識に尊重し変えてはいけないといったシンプルな心理に支配された人々(=我々の大多数の存在があるからだ、というのが今回の一件で様々な人から学んだ筆者の実感であった。

じゃあどうすればいいのか。この本では「大いに笑い倒してやれ」という結論になっているが、なんだかなーという気もするんだよなー。そもそも何の訴えだったか、当事者がわからないという意外な展開もなんだかなー。

この本には、2007年公開の映画「それでもボクはやっていない」で痴漢冤罪事件を扱い、日本の刑事司法の問題点を浮上させた、周防正行監督との対談も入っている。この映画は以前に見たことがあるが、すでにおおかた内容を忘れていて、本を読んでからもう一度見た。読んでから見るか、見てから読むか、どちらも有効であるが、わたしのケースが一番理解しやすいと思う。本でも映画でも、いわれのない罪で逮捕されてしまった人が主役で、冤罪を雪ぐための戦いを描いている。冲方は社会的立場もあり、経済力もあったので、まだ恵まれていたほうだったが、社会的弱者である痴漢冤罪の青年は裁判まで行って……。

周防は「もし万が一、いわれのない罪で逮捕されてしまった場合、重要になるのは、まずいい弁護士に出会うことです。その次にいい検察官にあたり、それでも万が一不起訴にならず裁判になったら、最後はいい裁判官にあたること。でなければ、冤罪を回避することは困難でしょう。それがこの国の現実です」と言う。いい弁護士って、経済力がないと難しいのではないか。それからあとは運次第かい。確率的に冤罪の回避は不可能だということだ。捕まってしまったら、警察も検察もまともに話は聞いてくれない。彼らがいう捜査とは、自分たちが作ったストーリーに合う証拠を当て嵌めていく作業に過ぎない。

わたしは今でも裁判員制度は大反対だが、裁判員裁判に該当する事件は録音・録画が必須となったので、取調室が可視化された。従来の捜査システムは変えざるを得なくなった。これは画期的ことだ。映画が公開された後、痴漢冤罪で捕まった人がいて、その奥さんは映画を見ていたから「私はあなたを信じているから、やったと認めて早く出てきて」と言ったそうだ。否認し続けることの弊害を映画で学んでしまったわけだ。周防はそれを聞いて、果たしてこの映画を作ってよかったのか悪かったのかと語る。映画公開後、ある痴漢冤罪事件が最高裁までいって逆転無罪になった。これは映画の影響に間違いない。

日本の刑事司法システム腐敗のおおもとは裁判所、というところで二人の意見は一致する。裁判所は自分たちが仕事をしやすいように、警察や検察を指導してきたからだ。「裁判所というのはもはや人権を守る最後の砦ではなく。『国家権力を守る最後の砦』だということ。だから、現状のシステムがまかりとおっているうちは、冤罪に巻き込まれたらまず勝てない」と周防。ああ、無力感がどっと押し寄せてくる。冲方みたいに「笑うしかない」というのも、効果があるかどうか。わたしは交通機関内の痴漢冤罪は回避できる。なぜなら、交通機関をまったく利用していないからだ。自慢することじゃないが。

編集長 柴田忠男

image by: Shutterstock

 

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