いじめ関連の大きな事件が起きると、学校は「第三者委員会」を設置します。これはその名の通り、事件とは関わりのない人達で結成された組織ということですが、その実態は学校が選んで雇った、教授や弁護士などの有識者であることがほとんどで、彼らによって、いじめ被害者はさらに追い詰められているという衝撃の事実を、「いじめ」の実態に迫るメルマガ『伝説の探偵』の著者・阿部泰尚さんが明かしています。
いじめを認めないために設置された「第三者委員会」
第三者というのはつくづく便利な言葉なんだと思う。
第三者を辞書で調べれば、「当事者以外の人」「直接関係のない人」ということになるだろう。
いじめ自殺や重大ないじめ、近くは原発避難いじめなどにおいては、教育委員会が主に主導して第三者委員会を形成するのが一般的だ。
この際、「第三者委員会」という言葉の響きは、あたかも専門家で、何らの利害関係もない平等公平にジャッジができる人たちが選任されているというイメージを世間一般には与えることになるが、その実態はイメージとは大きく異なる。
そもそも論で考えていこう。
そもそもいじめ問題での当事者は、加害者と被害者ということになるが、その責においては施設管理者及び学校の運営者や責任者へも及ぶことはままある。
つまりは、学校教員、管理職はもちろんのこと、特に担任教員や部活の顧問は当然に被害者との関係において当事者となり得るのだ。
その上で、学校を設置した責任者は行政であって、その管理運営には教育委員会が当たるのだから、学校などがその管理責任を問われ訴えられるという事態が発生した場合においては、学校側、教育委員会などは被害者と敵対する関係になる。
そう考えれば、まず、学校は当事者とする解釈もできるわけだ。
これを主張すると、教育世界のみで問題に対処したい村根性のある方々は、「教育の世界を知らぬものに問題を当たらせることなどできない!」と声をあげることになるだろうが、ここでもう一つ、私が提示したいのは、学校で起きるいじめ問題に学校側が当事者意識を持っていれば、自分たちを第三者とはせず、あくまで当事者意識を持った言い方になるのが、自然なのではないかということなのだ。
コンプライアンスを謳えば、それこそ、いじめ問題で重大な事態となった場合、学校が事前に察知できたか?いじめの訴えがあったのに対応しなかったなどの問題の他、本来やるべきアンケートの実施などの基本対策をしていたかなど必ずと言っていいほど、穴がある。
そもそも、スケジュールが平常時で満杯状態の教員にそこまでの業務は命を削らなければやることは難しいし、法や社会、倫理として求められる全てには応じることができない。問題が起きているならば穴は必ずある。
その一方、隠蔽などを平気で行う所は、調べれば穴だらけであり、自殺を止める、自殺までの深刻な被害の前に中止ができたチャンスは多くあったと評価できるわけだ。
つまり、学校側が第三者委員会を教育委員会が形成するまでの間、自分達の落ち度はその実、重々把握しているのだから、ことが進めば、結果、責任問題を問われることになることを予想していると言えるわけだから、それは責任問題においては当事者に当たると言えるはずだ。
その上で、少なからず責任問題においては当事者である学校や教育委員会が、第三者を選任するということに違和感を持つのは私だけだろうか?
学校世界の方に言う。私以外、かなり多くの方、高率で違和感を持っている。
一方、私立は教育委員会が無いために、自校で第三者委員会を形成しようとするがそれに被害保護者や被害者が推薦する人物を委員としないのならば、すでに確定バイアスがある調査となろう。
つまり、第三者委員会を選任する教育委員会などの立場が場合によっては責任を問われることになるから、その委員会自体の成立段階から、不安定であると言えるのだ。
ある私立校では、いじめ自体を認めないために第三者委員会を雇い入れ、名ばかりの聞き取り調査をやって、不十分な情報で、文面内容はいじめ容認そのものなのだが、言葉の上では「いじめではない」とした。
この件では、権威ある大学教授などにのちに彼らの報告書などをセカンドオピニオンとして評価をしてもらったが、「いじめ法を理解していない」「いじめの定義を理解していない」「いじめを隠したいのだろう」と評価された。
つまり、依頼側と受任側には利害関係が生じるのだから、金主の言いなりだったのだろう。
第三者委員会において機能していると言えるのは、企業の問題についての委員会ではないだろうか、その理由は、企業には別のステークホルダーとしての株主がいると言うところではないか。それでも中には、あれ?となる報告もあるようだが・・・。
学校社会には、株主のような存在はいない。
だからこそ、企業で行われる第三者委員会の調査などとは大きく異なるのだ。
利害関係で言えば、学校において重大ないじめがあることが不都合だと考えるのであれば、学校関係者は加害者側のいじめだとされることに不都合があるものと利害は一致するのだ。
一方、傍観者層は、波風を立てず、我関せずなわけだから、株主的な不利益が生じると言う意見は持ち得ないだろう。
こうなると、被害者側は孤立しやすくなり、被害者側が正論で責めれば責めるほど、問題を拗らせているモンスターだと教育委員会は認知しやすくなる。
さて、第三者委員会特に調査委員会となる組織には大きな欠点があることをご存知だろうか。
多くの方はびっくりするだろうが、第三者委員会の調査には強制力もなければ、調査権限もない、学校側へは多く書類などの提出義務を課すことはあるが、あくまで書類であり、それを作成するのは前述の通り教員である。
つまり、その段階で書類にはフィルターがかかってしまうということだ。
そして、肝心の児童や生徒への個別聞き取りは、未成年の人権問題もあるから、保護者や本人が理由なく拒否すれば、聞き取りは行われないのである。
故に、言葉では第三者委員会、調査委員会となっていてもそこは一般的に想定する事件調査の様相ではなく、机上のことであって、その結論を出そうとする根拠となる情報収集は、極めて不十分な条件しかないのである。
現段階は相談段階であるため、詳細は明かせないのだが、あるいじめ自殺事件において立ち上がった調査委員会(第三者委員会)では遺族側の要望はすべて却下され、その理由を遺族が委員長へ説明を求めると、委員長は激昂し、権限がないのだと怒鳴りつけたと言うものがある。
ちなみに中間報告はなし、これまでの報告などを求めると真っ黒塗りの書面が提出された。いわゆる「のり弁一色弁当」である。
その他においても、横浜市の私立小中高一貫校では、第三者委員会が学年と部活を含む全生徒への聞き取りを時間的に不可能として拒否し、アンケートについては学業の支障が出ると加害者側の保護者が懸念をしたことを理由に、実施がされなかった。
加害者側生徒への聞き取りは、保護者同伴の上、加害者側2人の生徒へ同時に同室で行うと言う、まるで口裏を第三者委員会と合わせましたという状態で聞き取りを行った。
ちなみに、この委員会構成の委員は、交通費のみならず一部は高額なタイムチャージで学校側から報酬が支払われている。
これを第三者と言えるだろうか。私には、この問題では学校の教員も強くいじめに加担した要素があり、学校側のいじめ対策が無実施であったことなどから、学校として、重大ないじめがあることが不都合と考え、大学教授や弁護士を含む実務経験がない専門家に弁護を依頼したとしか思えないのだ。(この件については、被害生徒側の許可が出次第、校名他を公開の上、問題提起する予定である。)
確かに学校は警察ではないし、捜査するという環境ではないことは理解できる。
だからこそ、大きな期待はしていないが、人権への配慮は配慮としつつも、以降のいじめ防止のためにも、粘り強く調査をすることは重要なことであるし、聞き取りに大きな不備があったり、そもそもでバイアスがかかっている、利害関係があるという状態で、第三者委員会の名を使ってはならないと私は思うのだ。
これは、社会やそれを報道などで知ることとなる世間一般を騙すことであり、耳障りの良い、勘違いしやすい言葉なのではないだろうか。
だから、「第三者委員会」が出てきたら、誰が選任したのか?どういう権限があり、どういう調査や情報に基づいて結果を出したのか、詳しくチェックする必要があるだろう。
ただし、第三者委員会がいじめの事実を認めるケースもある。
これは、第三者委員会を持ってしても、認めざるを得ないだけの目撃者があり、証拠が揃っていて、到底否定することはできないケースだろう。
故に、まだ第三者委員会を設置しているケースは幸運とも言えるのだ。
なぜなら、未だいじめに関する条例がない地域では、第三者委員会を設置する根拠となる条例がなく、その設置すらできないからである。
この件については、別の機会で報告したい。
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