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一見、普通の「土鍋」が異例の大ヒット。その驚きの理由は?

今、ある「土鍋」が主婦たちの間で話題を呼んでいます。その名も「かまどさん」。美味しいけれど火加減が難しいとされていた土鍋での炊飯が、いとも簡単にできてしまうという代物です。「「テレビ東京『カンブリア宮殿』(mine)は、放送内容を読むだけで分かるようにテキスト化して配信。かまどを開発したのは「長谷園」という伊賀市にある老舗の工房。倒産の危機にあったという窮地を救ったのは、「伝統は毎日進化している」という柔軟な発想力でした。

自宅のご飯が絶品に~大人気「魔法の土鍋」

東京・恵比寿にある一見、見過ごしてしまいそうなお店。「イガモノ」という小さな焼き物屋さんが、女性たちに大人気となっている。彼女たちのお目当ては土鍋。ここは大小様々、200種類もの土鍋を扱う専門店だ。

店の一角にお客が集められて始まったのは料理教室。作っていたのは燻製だ。

燻製が作れる土鍋はその名も「いぶしぎん」(大、1万6200円)。土鍋の底にまず燻製のチップを入れ、チーズやうずらの卵などをセット。煙が出始めたら蓋をして、溝になっている淵に水を注ぐ。これによって煙が外に出ないから、食卓で使える。30分燻しただけでしっかりアメ色になっていた。

他にも見たことのない土鍋が続々。3分で温野菜が作れる「ヘルシー蒸し鍋」(大、1万800円)。そして一番人気は、釜戸で炊いたようなご飯が作れる土鍋「かまどさん」(3合、1万800円)。火加減の調整は必要なく、中火のままでOK。13分間熱したら火を止めて、余熱で20分蒸らす。できあがったご飯はふっくらツヤツヤ。お米のひと粒ひと粒が立っている。

かまどさんは土鍋としては異例の75万個を売り上げた大ヒット商品だ。

いつもの味をガラリと変えてしまうこれらの魔法の土鍋は、全て同じ窯元が作っている

その故郷は三重県伊賀市の山里にあった。「伊賀焼の里」と呼ばれる小さな焼き物の町にある長谷園。江戸時代末期の1832年創業で、185年の歴史を持つ老舗工房だ。現在の売上高は6億8000万円。

長谷園7代目当主長谷優磁は伊賀焼には一般的な焼き物とは違う特性がある」と言う。原料の土だ。

「蓄熱することができるし、保温もできる。調理器になったとき非常にいい働きをする」

地元で採れるこの土こそ伊賀焼の要。実は伊賀の里は400万年前、琵琶湖の底にあった。その土は古琵琶湖層と呼ばれ、生物の死骸や植物など多くの有機物を含んでいる。この土を高温で焼くと有機物が燃えて、鍋の中に小さな気泡が無数にできる。結果、発泡スチロールと似たような構造になり保温性が高くなるのだ。

「美味しく炊ける」ランキング1位~「かまどさん」の秘密

この土の特性を最大限に活かして作られたのが大ヒット商品のかまどさん」だ。釜戸でご飯を炊く時のコツは、ご存知のように「はじめチョロチョロ、中パッパ。赤子泣いても蓋取るな」。すなわち最初は弱火、途中は強火、最後は蒸らす。長谷はこの面倒な火加減を気にせず、中火だけで釜戸炊きの味が生まれる土鍋を作ろうと考えた。

そして土鍋の中に様々な工夫を施した。まずは鍋底。通常、土鍋は火の通りを良くするため鍋底を薄くするが、長谷は発想を逆転。一般的な土鍋と比べおよそ3倍の厚さにした。  

その厚い鍋を、今度は伊賀焼の伝統の技術で加工。鍋の外側の表面を薄く削り出す。こうすると、無数の気泡が表に現れ、表面積は2倍になるのだと言う。

この鍋でご飯を炊くと、まず厚い鍋底がなかなか火を通さないので、中火でも「はじめチョロチョロ」の弱火になる。だがしばらくすると表面積の大きい鍋は側面からも熱を蓄え、中の温度は一気に上がる。これが「中パッパ」、つまり中火のままで強火状態が生まれるのだ。

蒸らしの段階では、伊賀の土の保温力が役立った。沸騰後、火を止めた時の鍋の内部は96度。それから20分ほど蒸らして再び温度を測ると93度。20分で3度しか下がらなかった。

開発に長い時間かけたもん旨さはどこにも負けやせん」(長谷)

家電雑誌が行った「本当に美味しい米が炊ける」ランキングで「かまどさん」は堂々1位を獲得。10万円前後の高級炊飯器を抑えて頂点に立った。

長谷は他にも今までなかった土鍋を数多く生み出してきた。現代にマッチしたIHヒーターに対応する土鍋や、電子レンジでチンできる「かまどさん」……これまで趣向を凝らした土鍋で10件もの特許を取得してきた。

そのアイデアを形にする場所が工房のすぐ近くにある古民家。長谷は77歳になった今も新しい土鍋を作ろうと研究に明け暮れている。ただ今、試作中なのは、蓋と内蓋、穴の空いた土鍋のセット。今度は土鍋でピザ窯を再現しようとしているのだ。

こうして新しくて美味しい土鍋を作り続ける長谷そのものづくりには信念がある

伝統だからと同じことを続けても誰も相手にしてくれない。求められるものでなければ民具にはならない。民芸品は休むことなく毎日進化していると思わないといけない」

長谷が生み出そうとしているのは、土鍋から生まれる美味しさ。そしてその先にある家族の楽しい食事の時間だ。土鍋があれば、料理はキッチンではなく食卓で作れるから母親も一緒に座っていられる。

「家族だったらお母さんがいる食卓がいい。だから『ながら』が一番。燻しながら、炙りながら、蒸しながら、しゃべりながら。それが団欒やな」(長谷)

老舗窯元を襲った借金18億円の倒産危機

伊賀焼の長谷園には、その原点とも言えるものが残っている。16の窯が連なる「登り窯」。初代の長谷源治が1832年の創業当時に作った窯だ。下の窯から上の窯へと順番に熱が伝わっていく。

長い伝統を持つ伊賀焼の鍋だが実はその名が一般に知られることは最近までなかった

伊賀の周りには焼き物の産地が数多く点在。滋賀の信楽焼、京都の清水焼など有名な焼き物の産地に囲まれている。長谷園はこうした産地の下請けとして、名前を出すことなく皿などを作ってきたのだ。

小さな産地なので商人が育たなかった。信楽焼の商人に頼まれて作って、信楽焼として世に出してきた歴史がある」(長谷)

そんな状況を変えたのが長谷の父6代目の彰三だ。伊賀の土を使って彰三が作ったのが建築用のタイルだった。重厚感のあるタイルは人気を呼び、売上全体の7割を占めるまでに成長。長谷園の屋台骨を支える事業となった。

長谷は大学を卒業後、家業を継ぐべく戻ってきた。だが22歳の時にバイク事故を起こし、大怪我を負ってしまう。ここから長谷園は苦難の時代を迎える。1975年に先代・彰三が急逝。長谷は35歳の若さで7代目当主に就任する。不自由な身体でタイル事業を進めたが、1995年に起きた阪神・淡路大震災が状況を一変させる。ニュースで外壁用タイルの剥がれた映像が繰り返し流され、「タイルは地震に弱いという評判が立ってしまったのだ。

出来上がっていて、後は納品するだけだった商品までキャンセルされ、大量の在庫を抱える羽目に。それでも長谷は窯を閉めるわけにはいかないと、タイルを作り続けた。

「わしはずっと現場にいたから、一緒に汗をかいた職人を放り出せずタイル事業を閉められなかった。経営者としては失格やった」(長谷)

結果、借金が18億円まで膨らんだ。職人に払う給料が遅れだし、地元では「もう長谷園は終わった」と囁かれた。絶体絶命の危機だった。

 

「かまどさん」誕生秘話~家族で挑んだ復活劇

そこで長谷が頼ったのが、当時、東武百貨店で働いていた長男の康弘だった。会社の窮状を伝えると、1997年、東武を辞めて戻ってきた。

「18億という数字を見たときはゾッとしましたが、力になれるものならなりたいな、と」(康弘)

康弘は経営を見直し、タイル事業から撤退。売り上げの3割だった伊賀焼きにかける

ところが頼りにした焼き物の方でも、康弘の予期せぬ手痛いトラブルが起こってしまう。長谷が下請け仕事をもらっていた問屋と大げんか。当時、わずかながらオリジナル商品も作っていたのだが、そのアイデアを真似されて、取引を止めたのだ。

タイル事業はやめ、焼き物の下請け仕事までなくなりまさに八方塞がり。康弘は「本当にもうひとつの地獄に堕ちるような状態でした。もう続かないだろうなと思った」と、振り返る。

それでもなんとか生き残る道をと探し続けた康弘は、ある日、父の研究室できっかけをつかむ。康弘が偶然目にしたのは長谷が書き溜めていた新商品のアイデアメモ。焼肉を作る土鍋に蒸し料理を作る鍋。いろいろなアイデアがあったが、そのひとつに康弘の目が止まった。それが「かまどさん」のメモだ。

「土鍋で炊いたほうが美味しいことは、僕らは小さい頃から知っていた。一般家庭でも美味しく便利に炊けたらきっと売れる。あの美味しさはみんな知らないから、と」(康弘)

そして私財を切り崩して会社を守りながら「かまどさんの開発を進め4年後の2000年ついに完成。最初は売れなかったが、人気料理研究家の有元葉子さんがテレビや雑誌で「かまどさん」を使うと状況が一転。主婦の間で口コミ人気が広がり大ヒットとなったのだ。

その後も長谷は、溜め込んできたアイデアを次々と商品化。焼肉ができる陶板焼きの土鍋「やきやきさん」、蒸し焼きができる土鍋「ふっくらさん」……これまでなかった調理器を作り出しヒットを連発した。

こうしてどん底時代に別れを告げ見事にV字回復。185年の歴史を持つ窯は親子で作った新しい土鍋によって生き残った

「作り手は使い手」~知られざる土鍋活用法

長谷が社員に繰り返し言葉にして伝えているモットーがある。それは「作り手は真の使い手であれ」。繰り返し伝えた考えは社員に浸透していると言う。

最古参の女性社員、事務営業部の中森知子は伊賀焼き使いの達人だ。「本当に陶器が大好きです」と言う中森が、普通とは違う土鍋の使い方を見せてくれた。

まず土鍋の蓋に氷を入れ、さらに水も入れる。鍋本体にはそうめんを盛り付け、その間、蓋は放置。そして氷水を捨て、冷えた蓋を土鍋に戻す。こうすると「中の食材が冷えるんです。卓上冷蔵庫と呼んでいます」。熱を蓄える土鍋は冷気も蓄える。これで90分は冷えたまま。食材が乾くこともない。「お造りを盛ったり果物を盛ったり。ショートケーキにもいいです」と言う。

もうひとりの伊賀焼き使いの達人、製造事業部の佐藤和彦の十八番はカレー。炒めた鶏肉や野菜を肉厚の土鍋に移し、トマトソースなども加えていく。土鍋の蓄熱性を活かした煮込み料理だ。そこへ投入するのはカレールー。土鍋の遠赤外線効果が旨味を引き出すという。

こうした社員のアイデアから新商品、カレー専用の「カレー鍋」(8640円)も生まれた。

もちろん長谷も、使い手のことを考え、新しいニーズを探り続けている。「陶珍」(小、4644円)は伊賀の土で作った「おひつ」だ。電子レンジ用に開発。これでご飯を温めれば、普通にチンしたものとは別物になると言う。

ポイントは蓋を水に浸すこと。伊賀の土には気泡がたくさんあるので、蓋はたっぷり水を吸う。レンジにかければ、蓋の水分が蒸気に変わり、器の中を蒸し上げる。余分な水分は伊賀の土が吸い取ってくれるのでベチャベチャしない。

使い手となって新しいニーズを見つけ出す進化するライフスタイルと競争するように長谷園の土鍋もまた進化し続けている

一度使うと病み付きになってしまう長谷園の土鍋。だが土鍋は落とせば割れる。そこで長谷園は、業界に先駆けてパーツ販売を行っている。これならたとえ蓋が割れても、全部を買い直さなくても良い。しかもパーツを全部買えば、ちょうど鍋1個分になる正直な料金設定だ。

買い直してもらった方が儲かるが、鍋を長く愛用して欲しいからと始めた。

~村上龍の編集後記~

新素材の鍋が次々に開発されている。土鍋は、対照的で、人類最初の土器という説もあり、誕生は1万6000年前に遡るという。

長谷さん親子は、そんな土鍋に改良を加え、魔法のような商品を生み出してきた。

「かまどさん」の開発には4年かかった。確信があったわけではない。だが、「無理だ」とは決して思わなかった。

重要なのはできるだろうかという問いではない。「やるだろうか

寝ても覚めても考え続けることで、「完成」のイメージが生まれる。

だから、長谷園の土鍋には調理器具を超えたアートのような風格がある

 

<出演者略歴>

長谷優磁(ながたに・ゆうじ)1939年、三重県生まれ。1962年、法政大学工学部卒業後、製陶業を修業。1966年、長谷園の7代目に就く。1975年、長谷製陶代表取締役社長就任。2007年、代表取締役会長就任。

source:テレビ東京「カンブリア宮殿」

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テレビ東京「カンブリア宮殿」

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