最近、世の中には「善い人」「悪い人」のほかに、「善意の悪い人」という最もたちの悪いタイプの人がいると気付いたというのは、無料メルマガ『人間をとことん考える(人間論)』の著者で薬剤師の小原一将さん。臨床心理学についての知識も豊富という小原さんは、毎号「考える」をテーマに日常の出来事を深く掘り下げながら、「人間として考えるべきこと」を誰にでもわかりやすく投げかけてくれています。さて、私たちの周りにもいる「善意の悪い人」とは、一体どんな人を指すのでしょうか?
人間論 「善い人と悪い人ともう一人」
世の中には色々な人がいる。
善い人も悪い人もいて、悪い人には気をつけなさいよと昔から母親にうるさく言われてきた。知らない人について行ってはいけませんとか悪いことしている友達とは付き合わないようにとみなさんも言われていたはずだ。私も悪い人には気を付けようと思って生きてきたように思う。
しかし善い人と悪い人だけではなく、その他に第三の人がいることを最近身をもって知った。
それは善意で悪いことをする人である。様々なパターンが考えられるが、基本的には善いことだと思って周りの人に悪影響を及ぼす人をあらわす。
これが非常にたちが悪い。悪いことをしようと思って悪いことをする人なら、初めから距離をとったり、だまされてしまっても悪い人間にひっかかったのだと納得できる。
しかし善意で悪いことをする人は、そもそも悪い人ではないので仲良くなってしまったり、害が及ぶと思っても善意で近寄っている分、正面から不満を言いづらい時がある。
社会にはこういった善かれと思って迷惑をかける人が意外と多いことに改めて気づく。こちらが迷惑だと思ってその人の提案を断ると、向こうはその行動を善意で行っているためにこちら側を非難し始める。
善いことだと思って行っていることなので、申し出を断ると善意を受け取らない人だとみなされてしまうのである。受け入れても受け入れなくても損をしてしまう可能性があるという恐ろしい状態なのだ。
私の場合は善意の悪い人からお互いが得をするという提案をされていたのだが、ふたを開けてみるとその人しか得をしない内容になっていた。
「私は得をしていないのですが」と伝えると、そこでその人は初めて気づいたようで「そう言われてみると自分しか得をしていないですね」という反応だった。
相手のことを考えているつもりで、自分のことしか考えていない人とも言えるだろう。この「考えているつもり」というのが厄介なのだ。
私のメルマガのテーマになっている「考える」ということは非常に難しく深いものだと思わされる。
いつの間にか周りの人に善意で迷惑をかけてしまわないように、自分が考えていることをもう一歩下がって客観的に捉えてみることも重要であると言える。
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