なぜ「タダ同然」で食べられるのか? 日本の未来を救う2つの定食屋

 

 

こども食堂が生れた背景~知られざる“子供の貧困”

この国には生活に困っている人が想像以上にいる。埼玉県川口市が運営するリサイクルセンター。市民から要らなくなった衣類や文房具などを回収し、欲しい人に無料で渡す施設だ。やってきたのは3人の親子連れ。40代の母、西野京子さん(仮名)と中学2年の長女、中学1年の次女。西野さんは10年前に離婚。以後、女手一つで子供たちを育ててきた。生活は厳しいと言う。次女は足りなかったスカートを手にしていた。

西野さんは毎月はじめ、大事なお金が振り込まれたかどうか、郵便局で確認している。約22万円の生活保護の支給日だ。家賃や光熱費、食費、生活費は全てこのお金でまかなっている。入金前の残高は691円だった。

西野さんは4年前に癌を発症。勤めていた会社を辞めざるを得なくなり、生活保護を申請した。西野さんが何より不安に思うのが子供たちの将来だ。「ご飯もお腹いっぱい食べさせてあげられない。塾にも行かせられない。このままの状態だと、子どもたちも学力が追いついていかず、高いレベルの高校には入れないと思う。貧困は貧困を呼ぶんです」と言う。

今、日本の子供の6人に1人は相対的貧困状態にある。親子3人なら可処分所得217万円未満。こうした「貧困家庭で暮らす子供が300万人以上もいるのだ。

夕方、西野さんの子供たちがある場所へ向かった。ここに来るのを楽しみにしていたと言う。中にはすでに同じくらいの年頃の子供たちがいた。そこに用意されていたのは、焼きたて熱々の焼きそば。ひな祭りにちなんだちらし寿司も。それを子供たちはもの凄い勢いで食べていく。集まった半数は生活保護を受けている家庭の子供たちだ。

この場所の名前は「川口こども食堂」。地域のボランティアが中心となって子供50円大人250円で食事を提供している。

「川口こども食堂」は去年スタート。決まった場所はなく、市の施設などを利用し、学習支援も行っている。ただ、実施できるのは月に1、2回程度。代表の佐藤匡史さんは「ご飯をちゃんと食べられていない子が、数字とは別のところで、たくさんいるという実感があります」と言う。

全国で急増中~子供を救う100円定食

今、こども食堂は全国に広がり、その数は300を超えた。貧困がすすむ中、子供たちを支える新たな居場所」として注目されている。

「こども食堂」という名前は東京都大田区で生まれた。それが5年前に開設された「こども食堂だんだん」。週に1回、木曜日の夕方にオープン。中は全ての席が埋まり大盛況だ。

この日、用意されていたのはマグロの漬け丼。子供なら100円で食べられる。お小遣いほどのお金でお腹いっぱいになれるのだ。マグロはご主人が築地で働いている近所のおばちゃんの差し入れ。こうした食材の寄付が毎回のようにあるのだ。

近藤博子が店主を務めるこの店のコンセプトは「子供一人でも安心して入れる食堂」だが、大人も大勢、食べに来ている。中には「私は孫がいないので、孫と一緒に食べているみたい。一人で食べるよりずっと美味しいです」と言うおばあちゃんも一人で来ていた。  

貧困の子供に限定せず来てもらうと決めたのには理由がある。

子供は困ったと言わないし家の困ったことを隠します。親を庇うから、朝ご飯を食べてなくても『食べてきた』と言うんです。だから“貧困の子供”に食べてではなく、“みんなに食べてという考えだと食べられる。全てに網をかけるから、本当に支援が必要な子を拾えるということだと思う」(近藤)

閉店は午後8時過ぎ。この日はおよそ50人が来店し、売り上げはいつもより多めの1万5900円に。持ち出しになることもあるが平均すると赤字にはならないと言う。

近藤の本業は有機野菜などを扱うこだわりの八百屋さん。自分の店の商品をこども食堂で使うこともある。

「全てを私一人でできるとは全然思っていません。できることをできる人がやればいいと思っているので」(近藤)

7年前の夏。小学校の先生が近藤の八百屋に立ち寄り、「うちの学校に、給食以外はバナナ一本で過ごしている児童がいるんです」という話をした。母子家庭で、母親が病を抱えている子供だった。

「日本にそういう子供がいるとは思っていませんでした。バナナを食べている後ろ姿を思い浮かべただけで切なくなって。じゃあここで、温かいご飯と具だくさんの味噌汁だけでもみんなで食べれば、と」(近藤)

こうして2012年、こども食堂は始まった。わずかなお金でお腹いっぱい食べられるとすぐに子供たちが集まるようになった

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