地域の分断が世代をまたいで「人生の満足度」を左右する
国土の発展を一定水準終えた国では、その政治は役割の大半を終え、国家の権限や規模を縮小させる方へと向かうものである。
北欧などがそうであるように、成熟国では政府と市民の距離は縮まり、同時に地域隣国との共存共栄を目指すようになる。そして、そのような地域の市民は、そうでない国の市民より人生の満足度が高い。
他国やその市民を憎むことに人生の時間を費やす無駄と、結局はそれが自らを不幸な結果へと導くパラドックスであること、そしてそれらを避ける努力を怠らないことの重要性を教育を通じて理解する必要がある。残念ながら、日本の教育の場では、必ずしもそのような価値観を育むことへ重きが置かれてこなかった。
生れながら隣人との競争教育にさらされ、社会に出れば隣国とのいがみ合いが待っている。それは地球の裏の大国や、国際利権の「下請け人生」を全うするにはうってつけの環境かもしれないが、外から見るそのような国家国民は最終的にどこまで信頼に値するだろうか。
国際社会では広く正しい世界観を身につけていることが何よりも役に立つ。それは客観的な見地に立って史実を学ぶことで、国内にいながらも十分習得可能な国際感覚である。言語力も必要だが、時にそれ以上に重要な場合すらある。
隣接する国々との良好な関係は、個々の人生に広がりを与えてくれるものである。地域間の国々との自由な往来は、それらの国々を超えてさらに先にある民俗や文化へと導いてくれる。
そこで人々は、自らの地域本来の姿を顧みて世界観を広げ、それがさらに個々の人生の枠を広げていく。最終的に、そのような市民の充実した人生観が自由度の高い社会の発展を支えていくのである。
一つ確実に言えることは、周辺国との不仲は国民不幸であり、それは当事者が気付かないほど大きな不幸なのである。
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