お酢の国内シェア3位を誇る「タマノイ酢」は、お酢特有のツーンとくる感じがせず「とてもまろやかでうま味がある」と関西を中心に人気を集めています。「テレビ東京『カンブリア宮殿』(mine)」は、放送内容を読むだけで分かるようにテキスト化して配信。商品のお酢をそのまま「企業」にしたかのような、ちょっと風変わりでチームワーク抜群の「タマノイ酢株式会社」の魅力に迫ります。
老舗の寿司店も絶賛~プロが認める“まろやか酢”
JR新大阪駅の構内に「関西のうまいもん」を集めた新名所「エキマルシェ新大阪」がある。駅中グルメの激戦区にあって、一番の老舗は「吉野寿司」。お客がひっきりなしの大阪寿司の店だ。一番人気が「穴子いなり茶巾寿司」(1150円)。一日200個が売れている。
船場にある「吉野寿司」本店。大阪寿司にはしっかり下味がついているので、醤油をつけず、そのまま美味しく食べられる。長い年月をかけて辿り着いた味のポイントはシャリにあるという。7代目の橋本卓児さんは「大阪寿司は東京の寿司に比べてご飯の量が多い。ご飯の味がすごく重要です。どんなお酢を使うかで寿司の味がほぼ決まるんです」と言う。
味の決め手はお酢。この店が使っているのはタマノイという関西のお酢だ。
「まろやかなお酢なんですけど、しっかりしたうま味がある。大阪寿司でタマノイさんのお酢を使っている店は多いと思います」(橋本さん)
その味に惚れ込んでいるのは大阪の店だけじゃない。「大丸」東京店にある「セゾンファクトリー」。手作りのジャムやドレッシングが美味しいと大評判の店だ。
その一角で試飲が行われていた。女性客が足を止めていたのは人気急上昇中の「飲む酢 マンゴー黒酢」(972円)と「飲む酢 柘榴黒酢」(864円)。1本1000円近くするが、これにタマノイ酢が使われている。
年間50万本が売れる「飲む酢」の製造現場は山形県米沢市の「セゾンファクトリー」本社。タマノイ酢の黒酢にマンゴー100パーセントの果汁を贅沢に投入。タマノイ酢を使うのは、「素材を引き立ててくれる酢なので、相性としてフルーツにとてもよく合うと思います。すごく飲みやすく、後に残らない」(「セゾンファクトリー」の村上千鶴子さん)からだという。
飲食業界のプロたちを唸らせるタマノイ酢は東京のスーパーでも売られている。関東では馴染みが薄いが、お酢の国内シェア3位を誇るメーカーなのだ。
その「まろやかな味わい」はどうやって生み出されているのか。
そもそもお酢を作るには、まず米や穀物などを発酵させアルコールを作る。そこに酢酸菌を加え、2次発酵させたものがお酢だ。実はこの酢酸菌によってお酢の味が変わる。タマノイ酢は角の取れたまろやかな味を生む同じ酢酸菌を使い続けてきた。
そしてもう一つの独自の味を生む仕掛けが。「大きいのは原料。米にこだわって作っています」と、谷尻真治常務は言う。厳選した米からはマイルドなお酢ができるが、タマノイ酢はこれをフル活用。例えば他社のリンゴ酢を見てみると、原料はリンゴ果汁だけ。しかしタマノイ酢は、あえて米から作ったお酢をブレンドしている。
「穀物酢も米から作っておりますので、トウモロコシなどから作るよりもまろやかに仕上がります」(谷尻常務)
全てのお酢に米から作ったアルコールをブレンドすることで、まろやかな味わいを出しているのだ。
ユニーク商品を連発~老舗企業の秘策
タマノイ酢の創業は1907年。大阪の中堅お酢メーカーとして伝統的なお酢を作り続けてきた。その一方で、これまでなかった革新的な商品も世に送り出している。
例えば1963年発売の「すしのこ」は、世界で初めてお酢を粉末にした即席調味料。ご飯にかけて混ぜるだけで簡単に酢飯が作れる。発売当時、業界を驚かせた画期的な商品だ。手軽にお寿司ができるので、若い人にも人気がある。
1969年に売り出した「パーポー」は、業界に先駆けて発売した簡単に美味しくなる中華調味料。関東ではほとんど知られていないが、関西では定番だと言う。炒めた具材に混ぜるだけで八宝菜の出来上がり。「ハッ・ポー・サイ」の素だから「パーポー」なのだ。
そしてタマノイ酢最大のヒット商品が、1996年発売の、「はちみつ黒酢ダイエット」。お酢を飲む習慣がなかった時代に打ち出した日本初のお酢ドリンクだ。発売から21年で累計10億本を売る大ヒットを記録した。
こうした画期的な商品を世に出す秘密が、大阪府堺市の本社にあるという。オフィスを覗いてみると、デスクにパソコンがない。パソコンはフロアの一角に10台だけ。それを50人の社員で共有している。他の社員あてのメールやファイルも見ることができる。
これには意外なメリットがあった。個人のパソコンをなくしてから社員同士が話し合って仕事をすることが多くなったと言う。結果、チームワークが強くなったのだ。
「パソコンがないからこそ、人間関係を濃くしないとやっていけない。話し合い、心を開き合うことで、学ぶことはたくさんあると思うんです」と言うのは、この一見不便な仕組みを考えたタマノイ酢社長の播野勤(63歳)だ。
播野は他にも様々な独自の仕掛けを実践している。この日、行われたのは、入社1年目の新人が会社の問題点などを発表する会。それを聞くのは播野を始めとする会社の幹部たちだ。大先輩たちに新人たちが感じたままをズバズバ指摘していく。若手でも意見を言える体質を作ろうと、播野はこんな会を開いているのだ。
「ああだこうだと答えを出すのではなくて、思い切り表現させる。本人たちに力はありますから、『やりたい』という気持ちを引っ張り出すことです」(播野)
若手を活躍させるチームワークの力
若くても意見を言える社風と強化されたチームワーク。この環境からタマノイ酢は若手が活躍する会社となった。最大のヒット商品「はちみつ黒酢ダイエット」は入社2年目の社員が開発。去年発売され「お通じが良くなる」と話題の「はちみつマイルドセンナ」は入社3年目の女性社員が考え出した。
企画課の永井美帆もまだ入社3年目の若手。だが新商品の企画から販売までをまとめるリーダーを任されている。永井が担当しているのは「ビラブド・アジア」(180円)という即席調味料。エスニック風味の黒酢あんかけが簡単に作れる。
その味には「タイ料理は辛くて酸っぱいというイメージがあるけど、毎日食べられる日本人に親しみやすい味に」という永井のこだわりがあった。ただし問題も。まだ馴染みの薄いエスニック調味料をどうやって手に取ってもらうか。永井は他の部署の先輩達からアドバイスをもらうことにした。
「何から始めていいか分からない人向けにレシピブックみたいなものがあれば」「『このあんかけを使ったらこれだけのメニューができる』という提案が必要ではないか」……と、さまざまな意見が。このように部署の垣根を乗り越えて仕事を進めていけるのがタマノイ酢の強みだ。
永井は先輩達の意見を参考にスーパーの実演販売へ。冷蔵庫にありそうな野菜で作ったメニューの提案をしてみることにした。これで手に取ってもらえれば、売り方の可能性が広がる。「日之出屋」堺駅南口店の売り場で、簡単さや子供にも抵抗のない親しみやすい味をアピールした。
「一緒に考えてくれる人が多いので、私が作ったというよりは、みんなで作ったという意識のほうが強いです」(永井)
馴染みのない商品を、どう売っていけばいいのか。チームワークの力で永井はヒントをつかんだ。
社内騒然の人事発表~危機を救った意外な決断
年度末の3月31日。本社の一角がザワザワしていた。社員たちが見入っていたのは人事異動の辞令だ。タマノイ酢ではこんな辞令が何の前触れもなく張り出される。
実はタマノイ酢は極めて人事異動の多い会社。1年で部署が変わるのも当たり前だという。この多すぎる部署移動の仕組みを考え出したのも播野だった。そこには切実なきっかけがあった。
1953年、播野は創業家の親戚の家に生まれた。本家筋ではなかったが、1969年には父親が社長に。その10年後に播野も入社した。しかし世の中にお金が溢れたバブル景気を経て、タマノイ酢は大きな危機に陥る。当時、社長は父親の後を継いだ兄。その兄が投資によって15億円もの負債を作ってしまったのだ。
「不動産投資もあったしゴルフの会員権もありました。金融機関が『どんどんお金を借りなさい』『いろいろなものに投資しなさい』と、典型的なバブルの動きがありました。それがしぼんでいって債務だけが残った」(播野)
会社は倒産寸前という絶体絶命のピンチに追いこまれた。そんな中で立て直しを託されたのが播野。38歳の若さで社長に就任。しかし「何の引き継ぎもなくボンと渡された。工場も荒れていて、はっきり言って何をやったらいいか分からない状況でした」と言う。
播野は末期的な状況を目の当たりにする。営業会議に出席し、現状を把握しようと「今期、営業はどんな感じなんだ?」と聞くと、古参社員から「社長は、営業の事には口を出さないで頂きたい」と、耳を疑うような言葉が返ってきた。
社長の意見さえ聞こうとしない硬直化した縦割りの組織に、播野は強い危機感を抱いた。
「縦割りですから仲が悪かったんです。同じ営業でも東京と大阪で喧嘩をしている。製造、管理、営業と、みんな上同士が喧嘩しているんですね」(播野)
悩んだ末、播野は「縦割りの組織を一度壊すしかない」と決断。そこで始めたのが大胆な人事異動だった。
まず、東京と大阪の社員を半分入れ替えた。すると、今まで喧嘩していた同士が「急に静かになった。反対側に行ってみて初めて分かる。相手の立場に立ってものが考えられるわけです。これで現場の理解が深まっていったと思います」。
1985年入社の松田好司は、播野の改革をこう振り返る。
「やはり最初は反目する人もたくさんいたし、辞めた人もたくさんいました。そういうことを繰り返して、社内活性して改善されていきました」
人事戦略で生まれ変わり、危機を乗り越えたタマノイ酢。そこには副産物のメリットもあった。
奈良工場では他の部署から異動してきた社員の提案で「働き方」が変わったという。4年前から週休3日制になったのだ。ずっと1日8時間・週5日だった勤務が、社員の提案で、1日10時間・週4日に。「すでに決まっていることは気づきにくい。それが当たり前になっていた。そこに新しい意見が出て、『それはいいな』と」と、原田泰工場長は語る。
週休3日になって社員の生活にも変化が起きた。生産技術課の吉井秀樹は「まとまった休みでちょっとした資格を取りに行ったり、プライベートは有意義になりました」と言う。
普通の会社じゃない?~最先端すぎる「働き方改革」
播野は新人研修による人材育成も変えた。4日間、新人たちは自分の限界に挑み、ギリギリの所では助け合う。播野はこうして団結力を養う仕組みも作った。
さらに今、話題の「働き方」でも特徴的なルールがいっぱいある。
本社の中にスポーツ・ジムが。この日、社員がやっていたのはボクササイズ。こうして毎日30分間、勤務時間内のどこかで運動することを会社のルールにしている。播野も毎日欠かさず参加。「運動の後で会議をやると、みんな明るくなるんです」と言う。ジムには冷蔵庫もあり「はちみつ黒酢ダイエット」が飲み放題。みっちり健康的な時間を過ごせる。
午後8時前になるとオフィスは消灯。社員は帰らなければならない。残業を減らすこの制度は3年前に導入した。
さらに播野は他にはない雇用システムも作った。毎日夕方6時になると、一人帰る社員がいる。総務渉外課の田中かれん。彼女はタマノイ酢独自のキャリア制社員。最長5年間働ける契約社員だ。キャリア制社員に残業はなく、終業後、夢に向かって活動できる。
会社を出た田中はとある専門学校へ。始まったのは先生と生徒に分かれてのシミュレーション授業。そこは日本語教師を育てる学校だった。
「日本語教師になるという目標があるので頑張っています」(田中)
キャリア制社員は、正社員と同じ仕事を与えられ、福利厚生なども受けられる。現在34人がこの制度を利用しているという。5年間勤め上げた人には驚きの特典も。退職金に準じたお金として、50万円から100万円が貰えるのだ。
この制度を利用した人たちが現在、様々な分野で活躍している。神戸市の玉津中学校で教鞭をとる平井邦佳さんもその一人。教員採用試験に合格するまでの間、キャリア制社員としてタマノイ酢で働いていた。その時の経験も役立っていると言う。
「目上の方とのコミュニケーションの取り方を学ぶことができた経験は大きいかなと思います」(平井さん)
社会人としてキャリアを積みながら夢に向かって歩いていける。そんな応援をする会社があってもいいと播野は考えている。
一連の施策について、あらためて播野はスタジオでこう述べている。
「みんな『自分のために頑張りたい』と思っている。そのための道具、手段として会社があるという考え方が根本にあります」
~村上龍の編集後記~
給与が上がらない時代、従業員のやる気を引き出し、維持するのはむずかしい。
播野さんは、社長になってから1年間、全国の営業所、問屋を回り、数千人と会って営業のトレーニングを積んだあと、社員研修に着手した。
「恐竜ではなくゴキブリになれ」と、最優先で変化への対応力を求め、人の生きがいこそが目的で、会社はその手段に過ぎないと明言する。
酢は、なくなることはないが、今後大きく消費が増えることもない。
そんな状況でどう生き延びるのか、タマノイ酢の成果は多くのことを示唆している。
<出演者略歴>
播野勤(はりの・つとむ)1953年、大阪府生まれ。1976年、成蹊大学卒業後、ソントン食品入社。1979年、タマノ井酢(現タマノイ酢)入社。1991年、代表取締役社長就任。
source:テレビ東京「カンブリア宮殿」