「刺激」を求めて勉強会に出向く人がいつまでたっても二流なワケ

 

以前、こんな方がいました。とある卸業の経営者で、某有名コンサルタント(名前は伏せます)の弟子だ、という、どうでも良いことをやたら自慢するのです。弟子といってもたくさんいるでしょうし、そのうちのどの程度の関係なのか? どのくらいの期間なのか? 分かりません。また、弟子になったことで、どの程度の結果が出たのかどうかも話してくれませんでした。ただ、弟子である、凄いでしょ? みたいなことだけを豪語します。もう完全にその有名コンサルタントに依存しています。

ほかにもまだいます。著名人を招いて、話を聴き日本の経済、社会について勉強する、という素晴らしい勉強会があるのですが、そこに出席しては、講演中居眠りをし、質疑もせず、懇親会で、「もっと我々中小企業に有利な政策をとってください」みたいなことを直談判する人。いってみてば、「自分では何もできないけど、あなたがんばってね。あなたががんばってくれたら僕もがんばるよ」みたいなことを平気で言っているのです。もう目も当てられません。そんなバカな経営者も結構いるのです。

新たに人と出会い、知らなかった知識を得る、成功者や権力者、実力者に会い、言葉を頂く。確かに刺激的です。ためになることもたくさんあるでしょう。ですが、それに依存してはいけません

刺激という言葉に覆われていて本人は気がついていない場合が多いですが、依存してしまうということは、単に不安や悩みなどを一瞬打ち消したいだけで、一種の痛み止めと同じです。つまり、刺激とは名ばかりで、その実は…「ごまかし」でしかないのです。

刺激という言葉の意味は、生体に作用してなんらかの現象や反応を起こさせること、特に知覚や感覚に作用して反応を起こさせること、またその原因となるもの、とあります。

ごまかしは、ポジティブな反応を起こさせるものではありません。その一瞬の快楽に浸るだけのことです。

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