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ホンダを世界企業に育てたヒューマニズムとロマンチシズム

技術への飽くなき探究心で産業立国ニッポンを牽引してきた本田技研工業。静岡の一町工場が世界的な大企業にまで成長した秘訣は、本田宗一郎と藤沢武夫という「経営オンチと技術オンチ」の2人が守りぬいたある約束と、そこから生まれた企業文化にありました。無料メルマガ『戦略経営の「よもやま話」』に詳しく記されているホンダ・ストーリー、感動的ですらあります。

ホンダ技研工業の「たて糸」

本田技研工業の初代の社長は本田宗一郎さんですが、経営はしていません。本田技研工業の経営者は藤沢武夫さんです。

本田さんは、会社の実印を藤沢さんに預け「技術開発」に没頭しました。ホンダという会社は、この2人が織りなした独特の色合いで出来上がった稀有な会社です。

2人の名コンビで急成長した会社には、パナソニックとソニーもあります。ソニーはよく知られているように井深大さんと盛田昭夫さんです。パナソニックは松下幸之助さんがあまりに偉大で、もう1人は表に出なかったのですが高橋荒太郎という名経営者がおられました。

経営には守られなければならない原則があります。経営を行うためには多様な才能が必要で、地位の如何にかかわらずその才能がより集い各々に協働して発揮されなければなりません。

アメリカの鋼鉄王アンドリュー・カーネギーの墓碑銘に「自分より賢い人間を自分の周りにおく方法を知っていた者ここに眠る」の名言があります。

本田さんは屈指の技術者です。技術では超一流でしたが、経営では全くオンチでした。オンチというより、興味がないということでしょう。そんな訳で、自分にない才能については藤沢さんにすべて委ねました。アンドリュー・カーネギーの「自分より賢い人間を自分の周りにおく」の究極の形を取った最も賢明な経営者とも言えるかもしれません。

前置きが長くなりましたが、本田技研工業の実際の経営指揮者は藤沢武夫さんで、本田さんの領分である技術以外のすべてをとり行いました。

しかし、ホンダという会社は、初代からずっと「技術者」が社長になっており「技術」を経営の柱とし、よって立つ位置を示しています。それも「技術」にかけることを「夢」としています。「パワーオブドリーム」がコンセプトです。

ホンダは「技術」が主の会社であり、ソニーように損保サービスは行いません。

ヒューマニズムとロマンチシズム 

企業にはそれぞれの文化があります。ホンダには際立った企業文化があります。

それは1人の創業者がつくったものではなく、2人の創業者の絡み合いで出来上がったものです。それは、2人がコンビを組んだことによって出来上がりました。

片方は経営オンチで、片方は技術オンチです。そして本田さんはヒューマニストで、藤沢さんはロマンチストです。

この2人のアクは強いが上質な人間の気質が、経営のたて糸になって強みの根源である企業文化が形成されました。

先に書いたように、ホンダの社長は歴代「技術者」が就任しています。ソニーはそうではありません。一般の企業では、技術畑の人だけが社長になるというのは異例です。だからと言って、技術だけに偏った経営は行っていません。技術だけに偏っては企業の成長はおろか存続さえおぼつきません。

ホンダには、技術のほかに主軸があります。それがマネジメントの系譜です。しかし、この系譜は自らが「社長」になろうする企業文化ではありません。といいながら、ホンダのマネジメントは隠れた主流として技術に劣らないレベルの高さを持っています。

マネジメントの底流をつくったのは藤沢さんです。藤沢さんは、剛腕だがロマンチストです。本田という稀有な技術者を礎石として、思い切り夢を見たかったのです。だから、企業経営の至る所にロマンある合理的な試みがちりばめられています。

一方、本田さんは自分の技術を心置きなく世に発揮したかったのです。マネジメントなんて重荷でしかなく、経営に関してはおっぽり出しました。

「技術」は本田「経営」は藤沢に、それぞれがお互いに掣肘(せいちゅう)しないとの約束で運営されました。すごいのはお互いが、不満がおこってもこの約束を守り抜いたことです。

「技術」は本田さんの意気地で、どこまでも模倣をせず一番の高みを目指しました。この高みの成果は、マン等のTTレースの完全優勝にはじまり、F1レースの快挙、そして世界で最初のマスキー法クリアのCVCCエンジンの開発で実現されて行きました。

「マネジメント」は、興味のある人なら知っているホンダの独創な強みを形作りました。

藤沢さんの独創的なマネジメント

企業が中核企業になるには、2つの要件があります。1つは、独自の強みとなる企業文化を持っていることであり、もう1つは強みとなる組織論理を持っていることです。

ホンダの企業文化の核は、本田宗一郎が持っていた品の良いモノづくりセンスです。

藤沢さんが、軽三輪が飛ぶように売れていたとき「つくってくれないか」と依頼したところ「よそうよ」と一蹴した話があります。また「車は、箪笥だの呉服を売るのとは違って、人間の生命に関することだから」という言葉もあります。それよりも何よりも、自動車をつくるのが好きで好きで仕方なかったのです。

ホンダの企業文化の最初は、本田と藤沢の出会いの時に「近視的にものを見ないようにしましょう」と言う同意です。

2人のヒューマニズムとロマンチシズムがホンダの企業文化の中心になっています。

さきに言いましたように、経営は藤沢さんが担当しました。組織づくりを行ったのも藤沢さんです。と言っても「組織は人なり」の考えのもとに、みんなで頭を絞って少しずつ形作られて行きました。その中から先駆的な独自な組織が形成されます。

藤沢さんが、まず考えたのは「技術」のことです。ホンダの強みは「技術」であり、これをいかに現実組織の中に取り込んで行くか。とくに、本田宗一郎亡き後の技術の強みをどのようい維持していくかということです。

このなかで2つの制度が生まれました。ひとつは研究部門の分離、株式会社ホンダ技術研究所の設立です。この組織は文鎮型組織でトップの下に研究者がいて、本社から役員が行っても挨拶をしなくてよいという専門家の研究集団です。「技術」の開発だけに専心するホンダの元本です。

もう1つは専門職制度です。現場の専門家は、一般の職制のもとではそのスキルが埋もれてしまいがちになります。しかし、現場ではエキスパートのもつ能力は必須です。そのため、「エキスパート」が自由に能力を発揮でき「誇り」がもてる仕組みが必要になります。そこで、「エキスパート」の処遇と活躍の環境づくりを明確にした専門職制度が発足しました。

さらに、組織制度で特に有名で特異なのは「役員の大部屋制」です。最近では、優良企業のなかにこの制度を取り入れるところも出始めています。役員が身1つで大部屋役員室に集まってもらおうというのがこの制度です。そこでは、実務から解放され行うのは高所な見地のムダ話です。各分野の高質なエキスパートが行う経営についての話です。そこから「ホンダの将来構想」が生まれ、緊急時には共通認識のもとに変化に対応した対策が即断実行されます。

ホンダは個性と専門は違うものの、上質で同質な2人の人間によって生まれました。この2人は老害が生まれそうになったとき引退し、その上質さが引き継がれました。

image by:HONDA

 

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