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体罰を黙認するのは後進国。恐ろしかった「昭和の鬼教師」列伝

昭和生まれの人なら、一度くらい学校の先生にゲンコツやビンタをされたことがあるのではないでしょうか。昔は「竹刀を持った体育教師がいた」という話もよく聞きましたが、今回のメルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』は、著者で米国の邦字紙「WEEKLY Biz」CEOの高橋克明さんが、自身が受けた教師からの体罰の歴史を振り返り、「体罰に愛はあったのか?愛があればアリなのか?」という難しいテーマを扱っています。

体罰は是か否か

先日の日本出張中、入った喫茶店(カフェではなく、喫茶店)でついていたテレビから流れるニュースで気になる報道がありました。

都内の高校のバスケットボール部の生徒が、ペナルティとして炎天下の中10キロ走らされ、熱中症になるというニュースです。

目標としていたタイムを切れなかった為、指導と称して32度の猛暑の中、2日間で20キロを走らされ、救急搬送された時には脱水症状を引き起こし、意識不明の重体だったのだとか。

あいかわらずだなぁ。 。 。 と思ってしまいました。 この国の体罰に対しての意識は僕が渡米する前の17年前から、基本変わってないように思えます。

もちろん僕たちが子どもの頃から比較すると劇的に変わったとも思います。 それは「教育法」であったり文科省からの通達であったり。 書面、ルールの面で。 ただ指導する先生のマインドの部分はあまり変わってないように思えます。「愛のムチ」とやらの言葉でコーティングして、結局は痛みでわからせる」。

この類の報道がされると、必ず少数派ですが「体罰賛成派」の意見も少なからず出てきます。 「人情派キャラのタレントさんに多い気がします。

「自分が子どもの頃は、鉄拳制裁が普通だった。 でもそこには愛があった。 だから恨んでないし、むしろその鬼教師たちに感謝してる」という意見です。

一見、もっともなようにも聞こえます。 で、愛がないから、今の体罰はよくない、と続けます。 だいたい。

ただ、愛があるかないかなんてニュースの資料映像だけではわからない。 たとえ現場に居合わせたとしてもわかる気もしません。

愛が、あるか、ないかー。 そんなのは後付けでどうとでも言えます。 あまりに抽象過ぎる表現で的を得ない。 愛があったとして脱水症状を引き起こすまで走らせていいわけがない

アメリカではこの種のニュースは滅多に聞きません。

アメリカでは半数以上の州が法律で体罰を禁止しています。 もちろんリベラル州の代表格ニューヨーク州もその半数以上に入っています。 国全体でも体罰を受けたことがあると答えた生徒は、この40年間で150万人が10万人に減ったというデータもあるそうです。

体罰を容認、とまで言わずとも、黙認している時点で後進国のイメージが僕にはあります。

…と、ここまで話したのは、あくまで僕個人が体罰絶対反対派」ということを強調したかったからです。

しつこく、もう1回いうと、僕は、もちろん「体罰反対派」です。 そこをまずキッチリ抑えたい。

で、僕が小学校の頃は、体罰だらけでした(笑)。普通に先生にグーで殴られて、親が、殴った先生にありがとうございます、ご迷惑かけました、とお礼と謝罪する、ギリギリ最後の世代かと思います。

とにかく毎日のように殴られました

鼻をグーパンチされ鼻血が吹き出したこともあります。8連発往復ビンタをされ顔が膨れ上がったこともあります。6発目以降は痛みもなく、ただ熱い感覚で首が左右に振り回されました。当時小学校5年生。相手は血気盛んな新任の23〜24歳の男性教師。真冬にほうきの柄で、半ズボンから出ている膝を殴打され腿がミミズ腫れになる日も珍しくありませんでした。野球部のコーチにはほぼ毎日ケツバット(お尻をバットで殴打)され翌日、授業中椅子に座れない日も1回や2回ではありませんでした。頭部をバットの柄で叩きつけられ頭の形が変形し、その名残は40年経った今もあります。

毎日が修羅場でした。ここに書いていることは大げさでなく、むしろ毎日すぎて、その多くを忘れてしまっています(笑)。

あ!そうだ、それこそ、熱中症で倒れたこともあります。鼓笛隊で当時、体の大きかった僕は、音感、音楽センス云々に関係なく、「でかい」という理由だけで大太鼓のパートをやらされました。 小太鼓に比べ大太鼓は全身で掲げます。日中のクラス指導。とにかく大太鼓を基本、体の前面に掲げたままで、先生が違うパート、縦笛や、小太鼓の稽古中も、大太鼓を地面に置いてはいけません(あれって今考えたらなんでなんだろう。全然意味ないよな・笑)。たぶん、30度以上は確実にあったと思います。 意識が遠のき保健室に運ばれました。 当時はまだ「熱中症」なんて言葉も市民権を得てなく(というか「体罰」という言葉自体メジャーではなかったし)、結構、危険な領域だったと思います。

でも倒れたという事実以上に、幼心にショックだったのは、練習中、教頭先生が途中、僕のところにきて「他の生徒の指導中は(太鼓を)地面に置いていいから」と優しく言ってくれ、その言葉に甘えて地面に置くと、向かいの校舎の3階から、運動場にいる鼓笛隊の全体シュミレーションを観察していた強面の鬼教師が大声で生徒全員に聞こえるように「よしあきっ!お前、誰が太鼓、下に置いてええゆうたんならぁ!!! コラぁ!!!」と大声で怒られた時のことでした。 当の教頭にももちろん聞こえています。 でも、完全に「知らん顔」されました。 結構ショックでした。

熱中症事件も含め、鼻血も、ミミズ腫れも、頭の形が変形したことも、今だと立派なスポーツ新聞ワイドショーネタです(笑)。

仮に、誰かに今、「10歳の男の子の顔面を感覚がなくなるまでビンタしろ」と言われても、普通はできません。普通出来ないということは、連中は普通じゃなかった。 たぶん、バカだったのだと思います。 今、冷静に考えても、あまり深いところまで思慮した指導ではなく、あきらかにストレス発散に10歳くらいの児童を利用していた。 あるいは、当時の田舎の「医者と学校のセンセは絶対!」という君主感に無意識に酔っていた気もします。

だからといって。

恨んでいるか。

いや、恨んでいない。

誤解しないでください。 前述の人情派タレントのように「愛があるから感謝してる」なんて言うつもりもありません(だって「愛」なんて絶対ないしw)。感謝なんてこれっぽっちもしてない(笑)

でも「あの体罰があったから今の自分がある」というポイントに関してはほんの少しだけ賛成せずにはいられない部分もあります。

もう1回、しつこく言うなら僕は「体罰反対派」ですよ。 ここはちゃんと誤解されないよう、何度も念を押すけど(笑)。

当時の鬼教官が懐かしい、またあの鉄拳を喰らいたい、、、、なんて微塵も思ってない。

でも、今でいうなら「過酷なサバイバルゲームを生き抜いた変な優越感みたいなものもある。 同窓会で集まったみんなそう言います。 笑いながら酒の肴(さかな)にする強さが同級生のメンバー、みんなの特徴です。

決して、体罰は美化しない

絶対ない方がいい

でも、刑事や民事の事件になってない程度であれば、 今ところ無事で生きているならば(頭の形は今も変形してるけど)、笑える思い出話にする強さを持っていたい、とは思います。

重症で病院に運ばれる。ストレスが引き金で精神的な疾患を抱える。その危険性がある限り、絶対、体罰は許せない。

これから先、体罰はこの世から消えた方がいい、と心より思います。

でも、過去は変えられず、過去に体罰を受けた事実があるなら、そして今、無事であれば、もう何十年前のことに恨みつらみは言わないほうがいい

恨んでない代わりに、笑いのネタにしてやりたい。 幸い、僕個人は、体罰の思い出はシリアスなドラマというよりコメディ映画になっています。

もし何十年ぶりに例の先生方にお会いするなら、「あの頃の体罰のおかげで今があります、ありがとうございます」とは言えない。「おたく責任とってもらえますか、でないと民事訴訟起こしますよ」とも言わない。ただ「ジジい、生きてたのか、このやろう(笑)。8回分を1回でいいからビンタさせて(ハート)」とお互い笑い合いたい。

(※もちろん、くどいようですが、体罰を強さに変換できた稀なケースだと自覚しています。 従来は取り返しのつかないケースにもなりうるので、このコラムで体罰を肯定しているように見えたなら、それはあくまで誤解であるということをここに強調しておきます)

で、体罰反対派の僕ですが、人生でたった1回だけ体罰を受けたことを感謝している体験があります。

小学校2年生か、3年生の頃だったかと思います。

当時、実家で商売をしていました。 親父は洋品店で、時代の流れから店の半分をファンシーグッズ屋に改築しました。今で言うところの東急ハンズに置いてあるような商品をサンリオから仕入れ、おふくろが売っていました。

そこには毎日、仕事終わりに通ってくれる常連のお姉さんがいました。 おそらく20代前半か、後半か。

毎日、夕方、同じ時間帯にそのOLさんはお店に来てくれて、田舎の商店なので、よく店内で椅子に座りおふくろと世間話をしていました。

とても綺麗なお姉さんでした。

そのお姉さんは、今考えると、右足に障害を抱えていて、いつも左足をワンテンポ遅れて引き摺るように歩いていました

6歳か7歳の僕には、その歩き方が特徴的に映ってしまい、なんの悪気もなく、そのお姉さんの前で、こともあろうか、その歩き方をふざけて真似して歩いて見せてしまいました。 笑顔で。 笑ってもらいたくて

次の瞬間ー。

頭部に衝撃を受け、天地がひっくり返り、気づくと、さっきまで下にあった地面に這いつくばってました。

なにが起きたかわからず、痛みではなく驚きで号泣する僕を置いて、親父が彼女に謝罪していました。

「全然、ええんですよ~、それより、僕、大丈夫?」とそのお姉さんは笑顔で、僕を立たせて、膝についた砂埃を払ってくれました。

体罰はもちろん、よくないけれど(反対派ですよ!←しつこい?)、今、心の底から体を半回転するくらいの勢いでぶっ飛ばしてくれた当時の親父に感謝しています。

もし、このとき言葉だけで「障害を持っている方に対してそんなことしてはダメなんだよ~ わかるよね?」って言い聞かされたとしても、ここまで強烈な思い出には残らなかった。 殴られたことによって人間が絶対にしてはいけないことを刷り込ませてくれた

この体罰だけは、僕の中で、よかった体験です。

(だからといって体罰賛成派ではないですよ! ←くどすぎる?)

image by: shutterstock

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全米発刊邦字紙「NEWYORK BIZ」CEO 兼発行人。同時にプロインタビュアーとしてハリウッドスターをはじめ1000人のインタビュー記事を世に出す。メルマガでは毎週エキサイティングなNY生活やインタビューのウラ話などほかでは記事にできないイシューを届けてくれる。初の著書『武器は走りながら拾え!』が2019年11月11日に発売。

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【著者】 高橋克明 【月額】 初月無料!月額586円(税込) 【発行周期】 毎週水曜日

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