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「R」と「L」が区別できぬ日本人は欧米人より人間的って本当?

言葉を話すことができないイヌは、名前で呼びかけられても、相手が友好的な存在か否かを即座に判断し、敵意を持つ相手には吠えかけるそうです。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、著者で早稲田大学教授・生物学者の池田清彦先生が、1歳未満の幼児やイヌなどの動物の事例を参考に、知力やコミュニケーション能力と言語能力の高さに直接関係があるのかどうか検証した最新研究の話を紹介しています。

言葉はコミュニケーションを阻害する

先日、私が評議員を務めている、中山人間科学振興財団の創立25周年記念シンポジウムが開催された。テーマは「人間科学における二人称的アプローチ」。乳幼児発達心理学者のヴァスデヴィ・レディが基調講演を行い、霊長類学者の松沢哲郎と認知心理学者の下條信輔がミニレクチャーを行った。

レディは乳幼児の心の研究者で、『驚くべき乳幼児の心の世界 −「二人称的アプローチ」から見えてくること−』(佐伯胖 訳、ミネルヴァ書房)の著者で、乳児と対面でコミュニケーションすること(二人称的アプローチ)により、1歳未満の乳児が、恥じらい、見せびらかし、おどけ、からかい、さらには他者の行為や応答への期待や予測を見せることを発見した女性である。

従来いわゆる「心の理論」すなわち他者の心の状態(目的、意図、志向、疑念など)を推測する心の機能は、ヒトでは4歳くらいになって出現すると考えられていたが、レディは1歳未満ですでにこの機能が獲得されることを示したのだ。そのためには他者との二人称的かかわりが極めて重要らしい。このかかわりが何らかの理由で阻害されると、乳児の心は上手に発達せず、自閉症に代表されるような状態が現れるという。

一般的に乳幼児は1歳くらいにならないと意味のある言葉を喋らないので、心の発達は言語の獲得に先行するのである。多くの人は言葉によってコミュニケーションするので、言葉がないと正確なコミュニケーションはおろか、相手が何を考えているかも分からないと思いがちだ。しかし、事実は言葉がない方が深いコミュニケーションができるのではないかと、私は思う。

ペットを飼ったことがある人なら良く分かると思うが、ペットは飼い主の喜怒哀楽がよくわかる。飼い主とペットは言葉を介してコミュニケートしているわけではなく、動作や顔の表情を読んでいるのである。ペットも人間も扁桃体などの大脳辺縁系を共有しているので、喜怒哀楽が互いに理解可能なのであろう。人間は特に表情筋が発達しているので、表情を読むことで相手の気持ちがある程度分かるのである。

普通の筋肉は骨に止まっているが、表情筋は顔の皮膚に止まっているので、これを動かすことで、微妙な表情の違いを作ることができる。人間ほどではないがイヌも表情筋がある程度発達しているので、顔をよく観察すると、喜怒哀楽が分かる。ネコはイヌほど表情筋が発達していないので、鳴き声だったり、毛を逆立てたり、牙をむいたりといった動作で、感情を表現することが多い。同じペットでもカブトムシやクワガタムシは外骨格でおおわれているので、表情がなく、大脳辺縁系もないので、喜怒哀楽は(あるのかもしれないけれど)人間には理解不能である。だから、ペットのイヌやネコが死んで、ペットロス症候群になる人はいるが、ペットのクワガタムシが死んで、ペットロス症候群になる人はいない。

ゴリラやチンパンジーなどの類人猿は、脳の機能がさらに人間に近いので、言葉は通じなくとも、人間と感情的な交流が可能である。ゴリラ研究の第一人者・山極寿一によれば、ゴリラは顔を近づけてお互いの目をじっと見てコミュニケーションをするという。ひとたび信頼関係になると生涯信頼し続けるというから、信義を重んじることでは人間よりずっと上である。人間は、なまじ言葉を使うから、ウソをついたり裏切ったりするのであろう。

多くの人は、記憶力といった知的な能力に関して、他の動物に比べて段違いに優れていると、思い上がっているようだが、必ずしもそうではないのだ。冒頭で述べたシンポジウムで、チンパンジー研究者の松沢哲郎が披露してくれたビデオを見て、私はびっくりしてしまった。チンパンジーに1から9までの数字の順番を覚えさせて、パソコンのパネル上にランダムに配置して、指で順番にタッチして正解だとご褒美(ちょっとした食べ物)がもらえるというゲームをしてもらう。チンパンジーは即座に正しく答えてご褒美をもらい、飽きると立ち去っていく。人間なら子供でもできるゲームで、これだけならチンパンジーも少しは賢いようだ、くらいにしか思わないだろう。

ところが、今度はランダムに配置した数字をほんの一瞬だけ見せて数字があった位置だけを黒く塗りつぶして示し、チンパンジーに順番にタッチしてもらうゲームをする。驚くなかれ、チンパンジーは迷うことなく正しく答えるのである。次に別のパターンでやってもチンパンジーは直ちに正しく答える。これは、見た瞬間に1から9までの数字のあった位置を正しく覚えたことを意味する。

同じゲームを人間にさせると全くできないのだ。松沢さんの話では東大生10人にやってもらったところ誰もできなかったという。人間でもカメラ眼を持つサヴァン症候群の人(ある能力だけ際立ってすぐれている人)がいるが、チンパンジーはこのサヴァンに近い。一般的な人とは異なる脳の機能を持つのだろう。ヒトの脳は平均1350ccとチンパンジーの平均370ccよりはるかに大きいとはいえ、必ずしもすべての脳機能においてチンパンジーより優れていることはないのだ。

特に異なるのは、音の差異を見分ける能力である。私は子供の頃、コロという名のイヌを飼っていたが、私が「コロ」と呼べば、しっぽを振って挨拶してくれるが、たまたま遊びに来た私の友達が「コロ」と呼んでも、見向きもしなかった。優しい声で「コロ」と呼びかけても反応せず、頭に来た友達が大声で「コロ」と怒鳴ると、敵意をむき出しにして、わんわんと吠えた。

イヌは言語を介さないでコミュニケートするので、自分に向かってくる人が友好的かどうかを判断する能力は人間よりずっと上である。人間が言葉だけのおべんちゃらに、いとも簡単に騙されるのとえらい違いである。以前住んでいた近所に、たいそうイヌに好かれるご婦人がいらして、どんなイヌもこのご婦人の前では恍惚として、中には嬉ションをしてしまう(嬉しさのあまりおしっこをしてしまう)イヌもいたくらいなのだ。だから、私の友達が優しい声で「コロ」と呼びかけても、あまり反応しなかったのは、友達のイヌ嫌いを見抜いていたのかもしれないが、もう一つの可能性としては「コロ」と友達が呼びかけた音声が、自分を呼んでいる音声とは思わなかったのかもしれない。

コロが私の呼びかけに反応するのは、私の声の音程や音色を見分けているからであろう。しかし友達が呼びかける「コロ」という音は私の「コロ」とは全く違う音だとコロは感じているはずだ。人間にとってはどんな音でも「コロ」は「コロ」だが、イヌにとっては全く違う音声に聞こえるに違いない。昔、「違いが分かる男の…」というコピーが流行ったが、違いが分かる男は動物的で、違いが分からない方が人間的なのであろう。

人間は生まれたばかりの時に一番細かく音韻を分節する能力を持っているらしい。それが、周りの言語環境によって、分節できていた異なる音韻を同じ音韻と見做すようになるのだ。たとえば、日本語の話者に囲まれて育つと、日本語の音韻を習得するし、英語環境で育つと英語の音韻を習得するのだ。言語を習得するとは、故に違いが分からなくなることなのである。多くの日本語のネイティブ・スピーカーはRとLの音の区別がつかないが、英語のネイティブ・スピーカーにとっては、RとLの区別は自明なので、なぜ区別ができないか理解できないだろう。

そこで、区別ができない日本人を低級だと思ったらこれは大間違いで、先に述べたように、区別ができる方がより動物的で、区別ができない方が人間的なのである。東京の下町で育った私は「し」と「ひ」の区別がよくできないので、小学校に上がる前までは(私は小児結核で幼稚園や保育園には行けなかった)、クリスマスのころ、「きよしこの夜・・」が聞こえてくると、私の夜だと思っていた。「きよしこ・・・」と「きよひこ・・・」が同じ音に聞こえたのである。日本語の母音は5つであるが、タイ語では10以上ある。私がかつて住んでいた茨城県では4つ(ア、イ、ウ、オ)で、母音に関しては日本で一番進んでいるよと言ったら、茨城県の友人は不機嫌であった。

連続的な音をどこで切断して、まとまった同一性を有する音韻を作るかに関しては、言語ごとに多少とも恣意的なので、この恣意性を共有していないと、言葉が通じない事態になる。言語にとってさらに重要なのは、この恣意性は音韻ばかりでなく、単語が指示する同一性のレベルでも起こることだ。こうなると、同じ単語を使っていても、時に自分と相手が想定している意味が、齟齬をきたすことになり、共通了解が難しくなる。(つづく)

image by: Shutterstock

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