先日、メルマガの配信が200回を超えたという『六本木の公認会計士いきぬき(生き抜き)』。著者のJoJoの奇妙な公認会計士さんは、過去のバックナンバーを紹介することで、約5年間のメルマガ配信で得たものは何かを振り返るとともに「なぜメルマガというメディアにこだわり続けるのか」、その理由について熱く語っています。
著者の成長
有料メルマガ『六本木の公認会計士(生き抜き編)』は今回で200号です。年間40週としても5年も続いたことになります。
ブログを開始した時期はあまりクリアに覚えていないのですが、確か監査事業部からアドバイザリー部門に移転した時期前後で2008年とか2009年とか、そのあたりでしょうか。
当時の文章をちょっと読み返してみると稚拙で見るに堪えないというか、ちょっとチラ見してください、こんな幼稚な文章を書いていたのですよ。
ブログのアクセスがぐんぐん伸びてきたのが2010年くらいで、自分の知っていることを文章にするのが面白くてモチベーションも高かったと思います。
この頃の文章は問題提起がきちんとしており、その裏付けとして情報収集をするようになってきていて、ちょっと成長しています。こちらが入口です。
ブログで文章を書いて、そのアクセス数(結果)をみて検証するというサイクルを経て「サービス」のレベルがどんどん高まっていったのが見て取れます。
実務での役立ち
この頃の僕は、監査からアドバイザリーにキャリアチェンジした後で、実務でも長文の報告書を書いて、報告会でプレゼンして反応を見るということを繰り返していました。
ブログの力を借りて、作文力が高まった影響は実務に対して大きいものでした。
マネージャーやパートナーにレビューされた報告書は、最初は赤ペンで血の色に染まっていましたが、そのうちに多少の表現の好みについて指摘が付く程度になりました。
レポートの色は「血の赤」から所属していたファームの基調色そのままに「海空の青」に変わりました。
こうなると、報告会でレポートを読み上げる役もマネージャーではなく僕になり、プレゼンの技術も向上していきます。
直接発表することで、自分ながらに「いい文章」「説得力のあるフレーズ」「適切な単語」といったポイントが意識できるようになったのです。
プレゼンの雰囲気を活かしてブログでもユーモアを意識するようになりました。2011年2月頃のこうした文章は実務でのフィードバックの成果でしょうね。
こうした文章を見た出版社の方が連絡を下さり、書籍の執筆を提案してくださったりという機会も出て来たりしました。
大震災の発生前後の心境
そして、メルマガの開始は2011年6月でした。
震災の直前に投稿されているブログがこちらです。
震災直前はリーマンショックから経済が立ち直りつつあり、FASではM&Aや事業再生関連のジョブが再度活発化していたのです。ブログにあるように、カツマーの「断る力」を身に付けようとしているくらい激務でした。
3.11の午後に震災が起きて、それらのジョブが軒並みブレークして再度書いているのがこちらの短い記事ですね。
そして、会計士試験の受験生向けにはこのようにネガティブな見通しを発出しました。
直後に、アメンバー限定記事で下記のような感想を書いています。過去に書いたブログを読み返すと、FB等のSNS以上に自分の内面の心境を思い出すことができます。ブログをやっていてよかったと思います。
March 22, 2011
震災と会計事務所
テーマ:アドバイザリー業界
多忙な業務のさなか、大地震が発生した。
実は業務のブレークアウトが3月14日(月)であったところ、前週の11日(金)に地震が発生したのだ。
僕は当日は都内で打ち合わせをしており、高層ビルの高層階にあるとても眺望のいい会議室の一室で地震にあった。
柔構造であるガラス張りの近代ビルにおける高層階の揺れは半端ではなくとても怖かった、というのが感想だ。今後僕がビッグになって自分の組織を構えるようなことになっても、皇居の緑が見下ろせるような眺望のオフィスには居を構えないだろう、今回の記憶が残る限りは。
さて、震災の後、混乱する街を抜けて所属する会計事務所へと1時間余りの徒歩の末帰った。
地下鉄はすべて停止しており、周囲のビルから避難用ヘルメットをかぶった人たちが、徒歩で家路についていた。午後5時ごろだ。
止まったエレベーターをのぼり、何重ものセキュリティーロックに守られた、我々のフロアーに入ると驚いたことに、全員何事もなかったかのように仕事を続けている。
ある意味、尊敬と畏敬を覚えた。と、同時に、あまりにも仕事好きばかりが集まりすぎたこの部署は、危機管理が足りないのではないか? と、疑問に思った。
例えが不謹慎だが、ご飯の時間だからとお茶の間にくるように呼ぶお母さんを無視して、ドラクエに熱中する子供のようだ。街の喧騒から隔離された場所で、ターゲットのバリュエーションについて議論する会話が相変わらず行われている。
しかしながら、後日聞いたところによると、同じグループでも監査をしている方々(いわゆる監査法人)では、早々に仕事を切り上げて、あとはしばらく自宅待機となったようだ。
結局、僕はというと、翌週の月曜日にせまった成果物の提出を放り出すわけにもいかず、恐ろしい震災の絵をテレビで見ながら、週末は仕事をした。
ところで、義援金の募集がグループ内で行われた。内部情報で聞いたところによると、我が部署の一人当たりの拠出額は、監査をしている人々を余裕で上回るようだ。
監査をしている人々のなかには驚くことに1円も拠出しない人も多いらしいが、我が部署では最低でも諭吉以上は払っている。
文章をみて、当時のことがとても懐かしくなりました。仕事が楽しかったし、ブログを書くのも楽しかったんだと思います。
この文章にも見られますが、僕は監査にしがみ付く公認会計士が嫌いで、「一人前になっても監査法人にしがみ付くのは恥ずかしいことだ」と考えていました。監査法人のパートナーという職階は「監査以外の新しい領域の仕事が務まらなかった人が消去法で至るポストである」という認識でした。
震災があっても仕事を続ける人々と、早々に切り上げて自宅待機している人々。後者の方がたくさんテレビ等で悲惨な映像や被災者の境遇を得ているはずなのに、義援金すら少ない。
本来は公共性が高い業務であるべきはずが、公共心が少なく保身的な人物により営まれていることに対して強く反発心を持っていました。
独占業務は既得権だということを改めて思ったんですよね。
メルマガを始めた初心
この直後、僕の不徳の致すところでブログに書いた正直な内容が一部の人を不快にして、匿名掲示板で炎上に近い状態になりました。
ブログの内容はコピペされて一人歩きしている。著者の意図を外れて、一部の人には他人を批判するための材料に使われている。
そのため、ブログはamebloで相互承認した人間しか見れない限定記事として、アクセスを落として閉じたコミュニティーを作り続けるつもりでした。
しかし、ミクシー以外のSNSが発達していなかった当時、見ず知らずのブログ読者からの相互承認が殺到。機能不全に陥りました。
そこで開始したのがメルマガなんです。
僕の考えとしては、ブログの読者が2000人~3000人くらいはいるとして、そのうち2%~3%の課金で月2万~3万円くらいの収入になれば、これをまとめて震災の義援金にでもできれば成功で、1年くらいで辞めるつもりでした。
ところが、メルマガは開始してみると読者数がどんどん増加していき、きちんと確定申告しなければならない程の売上を出すようになってしまいました。
1年後に独立後、それまで得た収益の残りを赤十字に義援金として入金して、その後、メルマガを辞めようか悩みましたが仕切り直して続けていくことにしました。
メルマガが必ずしも本業の負担にならずに、プラスになりつつあることを独立して強く感じ始めていたからなんだと思います。
「表のプロ」と「裏の太郎」の関係
ブログ時代、常に文章を書いて人に見てもらうことでスキルアップして、実務で長い作文が上手になっていたWin-Win関係は今も続いています。
メルマガ時代の今は「表のプロ」の活動が停滞していると「裏の太郎」は面白い文章が書けない関係にあります。
ブログは毎週書かなければならない。お金を払ってもらっている以上は責務がある。僕は「読者の債務者」であることをいつも意識しています。
その立場の太郎は、表の僕にネタを集めるよう要求します。
もちろん表の僕は面白そうな人を見つけるとアポをとり、面白そうな仕事を見つけると引き受け、業界団体や監査法人の集まりにも顔を出します。
副次的に、それらの活動はいつも僕に成長の機会や仕事の受注機会を与えてくれます。
読者に日頃、情報が集まる仕組みを持つことが大切だということを説いてきました。僕にとり、メルマガを毎週書かなければならないこと自体がそうした仕組みの一部となっているのです。
僕のメルマガの実態
現在のメルマガの読者数は400人~500人くらい。過去のバックナンバーも好評で、新読者が入ってくる時期にはまとまった数が出ているようです。
有名メルマガの規模に比べればまったく少ないですが、1万人の受験生と1万人の新人や若手会計士に向けたマーケットを考えれば、当初の意図を大きく超えて支持していただいています。
あらゆる成果は努力の賜物です。
ブログを書き始めた当初は、それがどのように結実するかはまったくわかりませんでしたし、今も分からないまま続けている面があります。
しかし、いま過去5年間を振り返ってみると、点と点の努力が次に繋がり、線となっていたと認識することができるというのは、まさに自由な士業である公認会計士のキャリアを体現するものだと思っています。
大切なことは、知力でも体力でも、そして流行のコミュニケーション能力でもなく、努力を続ける才に尽きるのだと思います。それを僕は身をもって読者に知らせたい。
いかなる方向性であって先が見えなくても、努力が継続していればそれは点と点が繋がり線になる。スティーブ・ジョブズが言っていたとおりです。
公認会計士試験に合格した人は、試験でそのエッセンスを学んできたはずです。その時の努力を継続すれば大抵の者にはなれて、それを世間の人は「成功」とか「勝ち組」と評価します。
いろいろな販売方法あれどメルマガにこだわる理由
ところで最近、やさぐれさんがNoteで過去のメルマガを配信しているようです。また、有料メールマガジンをやっている多くの有名人が課金することのできる新しい仕組みを利用しています。
ただ、僕はあえてメルマガで配信することに拘っていこうと思っています。
僕たちのキャリアにとって、自動的に情報が集まる仕組みを作ることが勝敗を決めます。5年前、「【035】戦略的キャリア形成」で以下のように僕は書いています。
例えば、経営財務という雑誌を定期購読するということは、毎週月曜日に会計に関する情報が定期的に届けられることになります。自動的に紙でポストに届くのです。
日経新聞を読むこともそうです。顧問契約という仕組みもそうです。役員会が必要なときでなく定期的に開かれるのもそうです。一番大切なのは、自動化された仕組みなのです。
◯◯会とかが定期的に開催されており、その主要メンバーであるというメディアもあるでしょう。限定記事をメールマガジンという形式にしたのも、このことを体験してもらおうとしたからです。
経営財務やメールマガジンも過去の情報を後日買うこともできるでしょう。こうすれば、面白そうな回だけコストを払えばよいのですから、一見経済的ですが、それは誤りです。時間は、不定期はダメです。定点観測が必要です。
出版社の人がなんと言おうと、僕の記事なんて、後でまとめて本にして読んでも駄本に過ぎないけど、定期的に自動的にくれば充分有益です。
今でも同じ考えです。
確かに、過去のバックナンバーがよく売れていることからは1本ずつ購入できるような課金メディアで販売することで満たされるニーズがあると思います。
しかし、僕はやはり定期的に自動配信されるこのメルマガというメディアの有効性を確信しています。当面は有料メルマガ一本でやります。
むしろ、単発メディアで発出する場合には書籍を売るようなものですから、バックナンバーを再編集して一定のテーマに沿う読み物にしなければなりません。プロとしてはそうした点に拘った上で実施したい。
image by: Shutterstock
『六本木の公認会計士いきぬき(生き抜き)』
著者/JoJoの奇妙な公認会計士
事業会社、ベンチャー企業を経て大手監査法人へ。採用担当やIPO担当、大企業の主査業務を経験後にアドバイザリーチームに移籍。さまざまな業界とつながりを持つ著者のメルマガは具体的ですぐに使えるビジネスヒントに満ち溢れている。
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