アジア最貧国に自社工場。日本版マザーテレサが挑む貢献ビジネス

 

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アジア最貧国で自社工場~女性起業家の貢献ビジネス

バングラデシュ。日本の半分以下の国土に1億6000万人がひしめき、その75パーセントは1日2ドル未満の生活を余儀なくされているアジアの最貧国だ。この数年、政情不安から市民の暴動が頻発。ライフルを手にした警察官があちこちに立つ。

一方、バングラデシュの安い労働力を世界が求め、街中にはアパレルの縫製工場が林立する。しかし、バングラデシュの労働者は賃金が安いだけでなく、その環境も厳しい。ある工場では2つしかない扇風機が止まり、室温40度。蒸し風呂状態だった。

こんな現状を、山口は変えてきた。

「『安いですよ』『早いですよ』ばかりの製造業だったら、絶対、競争に負けてしまう。その国なりのゴール、輝き方はあるから、それを見つけるのが使命だと思っています」(山口)

首都ダッカから車でおよそ2時間。山口が自社工場に到着した。委託ではなく自社製造する会社は、この国では異例だという。

山口は1年の半分以上を途上国で過ごしている。彼女の顔を見た従業員は笑顔になり、声をかけてくる。「山口さんをとても愛しています。いつでも明るくて、なんでも相談に乗ってくれるんです」「あんなに一生懸命に働く人は今まで見たことがありませんよ」と言う。

マザーハウスの工場で目につくのが、その高い技術力だ。ミシン掛けをしている職人を見てみると、縫いにくい柔らかな革なのに、難なく立体的に仕上げていく。しかもミシンを巧みに動かし、速さは一級品。それでいて縫い代は一定している。流れるようなフォルムのバッグは、バングラデシュの高度な職人技によって生まれているのだ。

この工場では「テーブル制」というシステムを導入している。

「他の工場だと、例えば糊付けだけとか、分業制になる。完成品まで自分たちで作れるようにしたいと思い、テーブルごとの仕組みにしました」(山口)

テーブルごとに6人でチームを組み、一つのバッグを裁断、部品作り、組み立てなど、最後まで作り上げていく。決められた仕事だけの分業制と違い、ここで職人はあらゆる工程の技術を身につけられモチベーションアップにも繋がるのだ。

工場の一角にあるサンプルルームでは、山口が東京で作ってきた紙の模型を革のサンプルにしようとしていた。東京に来ていた職人のモルシェドとの共同作業だが、モルシェドに言われた通り、助手のような仕事もこなす。現地人の工場長マムンに対しても、作業の了解を得るのは社長の山口の方だ。「自分の社長というポジションは関係ない何だっていいんですゴールが達成できれば」と言う山口。作らせているのではなく、ともに作っているのだ。

そしてこの日は従業員たちが待ちに待っていた給料日。その額はバングラデシュの製造業の平均月給が1万1000円なのに対して1万6500円。また、この国では珍しい医療保険や無利子の社員ローン制度も導入した。

「前の会社は給料をちゃんと払ってくれませんでした。よく遅れたしね。ここは毎月決まった日に払ってくれるからありがたいです」と、ある男性社員が言う。

マザーハウスで働くと従業員の生活は変わるという。その一人、ジャハンギの家を見せてもらった。

アパートで家族4人暮らし。以前はハウスキーパーの仕事をしていたが待遇の良さからマザーハウスに移った。家にあった冷蔵庫は社員ローン制度を使って買ったもの。ハウスキーパー時代の月収は5000円。今は3倍になった。

「ビジネスとして成り立たせつつ、みんなが一緒にハッピーになる。それができたら社会が変わるんじゃないかなって」(山口)

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いじめ、非行、柔道~波乱万丈!格闘の半生

1981年、埼玉県に生まれた山口。小学生時代はいじめに遭い登校を拒否したこともあった。その反動から非行に走った中学時代。授業をサボるのが日課になった。そんな彼女が立ち直ったきっかけは柔道との出会い。金髪を黒く染め、日夜練習に打ち込んだ。

「小学校のときにいじめられていたので強くなりたかったのと、道場の前を通ったとき、男の子が女の子に投げ飛ばされているのを見て、すごいなと思って」(山口)

その道を極めようと、高校は埼玉では強豪の大宮工業高校を選んだ。男子部員しかいない柔道部の門を叩き、創立以来、初めての女子部員となった。当時の柔道部顧問、勝部武さんは、「毎日泣いていました。練習の途中に『もう嫌だ』と言って道場を出て行って、さすがにちょっと心配になって3年生に『見てこい』と言うと、水飲み場で泣きじゃくっていた。その3年生に抱えられて、ダダをこねるように肩の上で『ヤダヤダヤダ』と」と、振り返る。辛い練習は実を結び、3年生の時には全国で7位となった。

その後、柔道部を引退すると猛勉強。大宮工業高校は大半の生徒が就職組だったが、山口は大学受験にまっしぐら。開校以来初めて受験で慶應大学に合格した。その慶應での授業が、山口の転機となる。

「もともといじめられていたので教育に興味があったのですが、経済学の授業で、そもそも教育を受けられない子供が何億人もいて、そういう途上国には国際協力が必要だということを聞いたんです」(山口)

国際貢献に興味を持った山口は、大学4年の時に、途上国を支援するアメリカの国際機関でインターンとして働く。そして途上国の現状を自分の目で見てみたくなり、ネットで「アジア最貧国」を検索。バングラデシュに飛び立ったのだ。

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