超高齢化社会といわれ、高齢化率は上昇の一途を辿っている日本。その一方で、高齢者介護の現場では介護士の人手不足が大きな問題となり、解決の糸口は見えないままです。米国育ちで元ANA国際線CA、さらに元ニュースステーションお天気キャスターだった健康社会学者の河合薫さんは、自身のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』で、高齢化者介護の問題について執筆したコラムに対する現役世代からの反響が、あまりにも「他人事」だったことに驚嘆。河合さんは「誰もいつかは老いる」という現実をもっと直視するべきと訴えています。
そもそも介護は必要なのか?
昨日、日経ビジネスオンラインに、「食堂に3時間放置、朝3時に着替えの介護現場」というコラムを掲載しました。
内容は「今の介護施設の問題」を最新のデータと91歳の入所者(私の友人です!)の証言から紐解くもので、ちょっとばかり切なく、そして考えてもらうためのコラムです。
これまでにも介護施設の問題や介護と仕事の両立の難しさを、幾度となく取り上げてきました。
介護問題の真の問題は「実際にその状況に直面した人じゃないと、ストレスの雨の冷たさがわからない」という点です。
どんなに大変だ、どうにかしないと、と騒ぎ立てても、経験のない人たちはちっともリアリティを持てないのです。
かくいう私も父がすい臓癌に侵され“プレ介護”状態を経験するまでは、その中のひとりでした。
「良かった、もう大丈夫!」と安堵する日と「嗚呼、どうしたらいいんだろう」と途方に暮れる日が入り乱れ、「親の変化と向き合うのは、物理的にも精神的にも容易じゃない」ことを痛感し、出口の見えない孤独な回廊に足がすくみました。
「追い込まれるから必死にやるんでしょうに……」と、以前、私が介護問題について書いたコラムに寄せられたこのコメントの言葉の重さを、つくづく感じたものです。
で、今回。予想どおり“他人事”のコメントが散在。
「そもそも介護ってする必要あるんですか?」
「老いたら誰かに面倒みてもらえるという考えが甘い」
「醜い死に方はしかたがないこと」
「平均寿命を縮めるべき」
「安楽死サービスを始めるべき」
「人としての機能を失っているのに人として扱わなくてはならないからストレスがたまる」
etc etc……・
読んでいて虚しくなってきました。
きっとこういう人たちは年老いた親が「死ぬのは難しい」と嘆くのを、聞いたことがないのだと思います。年老いた親が「ごめんね。ごめんね」と謝るのを見たことがないのだと思います。
もちろんどれもこれも議論すること自体は、多いに結構だし、意義あることかもしれません。
しかしながら、平均寿命を縮めるってどうしろというのか?
かつて100歳双子の「金さん、銀さん」がどれだけ日本を明るくしたか、勇気をもたらしたか?
高齢者がニコニコしている“景色”がどれだけ安心感をもたらすのか?
そういったことを考えたことがあるのでしょうか?
そもそも平均寿命の長さに関係なく健康寿命(自立して生活できる年齢)との間には10年前後の差が出るというメカニズムを人間はもっていることが世界各地の調査からわかっている。
つまり、平均寿命を短くしたところで、「他者の力を借りて生きる時間」が減るわけではないのです。
また、尊厳死を認めている国を調査すると、老いていない状態でははっきりと「延命治療は辛いし、家族にも経済的負担が大きいから要らない。尊厳死をさせてほしい」と言っていた人が、実際に老いが進んでいくと「どういう形でもいいから生きていたい」と考え方を変えるようになるといった「高齢者特有の現象」が何件も確認されています。
つまり、どうやたって人は老いるし、どんな鉄人であれ死ぬ間際は人の手をかりるのが人間なのです。
だというのにリアリティを持てない人たちは、「自分だけは老いない」「自分だけはひとりで最後まで生きていける」と妄信するのです。
本当に悲しい。“共感”とか“寄り添う”という感情を持つ人がどんどんと減っているような気がするのは私だけでしょうか?
いずれせよ私のコラムが訴えたかったのは「まだ出来ることがあるのではないか?」(今回の場合はIoTの利用)であり「どういう老後を迎えるのが望ましいのか、自活できなくなったときの尊厳を守るにはどのような条件が必要なのか」という難しい問いに正面から向き合い、議論する必要があるのではないか? という提案であり、警鐘なのです。
最後に日経ビジネス内に掲載した91歳友人の語りの一部を以下に抜粋しますので、みなさんのご意見もお聞かせください。
「夫のような車いすの入所者は毎朝、6時過ぎになると食堂に連れて行かれます。70人近い入所者の配膳、投薬などをわずか3~4人のヘルパーが行うのですが、ヘルパーの中の2人は夜勤を終えたまま引き続き働いているので、気の毒で見ていられません。
人手が足りなすぎて物事が進まず、結局、車いすで部屋へ連れ戻されるのは9時過ぎ。つまり窮屈な車いすに3時間近くも座らされているのです。午前3時頃はぐっすり眠っている時間なのに、無理やり起こされて おむつ替えなどさせられている夫が哀れでなりません。
ヘルパーに文句を言っても『今から始めないと朝食に間に合わない』というのです。昨年6月、某有名銀行支店長の奥様が入所しました。
食事の席が同じだったので、私は早速、彼女に話しかけ、彼女はホームに入所した経緯や子供の話、他界されたご主人のことなどをよどみなく話してくれました。ところが入所後は自室でぼんやりと過ごし、娘さんも滅多に姿を現しません。
そして、半年が経過する頃、私は彼女の脳細胞が破壊されていると感じました。
とんちんかんな返事をしたり、髪は乱れたまま、服のボタンは掛け違ったままで食堂に来るようになった。
歩行も困難になり、杖、そして車いすを使うようになっていきました。
わずか1年で変わり果てた姿に驚いていますが、彼女だけではなく、他にも同じような人が数多くいます」
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