子宮頸がんの感染を防ぐHPVワクチンの安全性に関する「正しい情報」を広める活動を行ってきた医師・ジャーナリストの村中璃子氏が先日、科学誌「ネイチャー」主催の世界的な権威を持つ賞を日本人で初めて受賞しました。しかし日本国内ではほとんど報じられることはなく、新聞に至っては産経、北海道新聞の2紙のみしか取り上げていません。アメリカ在住の作家で世界のメディア事情にも精通する冷泉彰彦さんは、自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』でその裏にある「深い闇」をあぶり出しています。
身体的な感情論をどう低減したら良いのか?
元WHO(国際医療機関)の医療社会学者として活動し、その後医師兼ジャーナリストとして活動している村中璃子氏が、名誉あるジョン・マドックス賞を受賞しました。このジョン・マドックス賞というのは、権威ある科学雑誌「ネイチャー」が主催している国際的な賞で、風評や妨害、ニセ情報などと戦いながら正しい情報を導き出し、科学的な貢献を社会に対して行った人物を評価するための賞です。
村中氏はヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンについて、そして子宮頸ガンに関する正しい情報を広める活動を行ってきた功績が認められての受賞です。ところが、この受賞のニュースは、日本の主要なメディアでは余り報道されていません。
日本の新聞でマドックス賞を報じたのは結局、12月2日付けの道新と産経のみ。もう一紙取材を取っていた某紙は記事は書いたのに日馬富士と天皇で没になったそう。取材は今からでも受けます。正しい報道への方向転換のチャンスです。どうか海外の専門家やメディアの評価といっしょに記事にしてください。
— 村中璃子 RIKO MURANAKA (@rikomrnk) 2017年12月4日
これはある意味では、理屈には合った話です。というのは、日本の主要なメディアは、HPVワクチン接種による副反応を散々報道してきており、その結果として一時は70%程度確保されていた接種率が、数パーセントにまで下がっているからです。正に、メディアと村中氏は、お互いに「敵対」していたわけで、受賞報道がスルーされたのは、筋は通っています。
この問題ですが、HPVについては性行為によって感染するわけで、その年齢以前に接種が望ましいわけですが、日本の親や祖父母世代には、「十代前半の若い女性が性行為が可能になる準備」としてワクチン接種をするということへの本能的、つまり感情的・身体的な抵抗感があるわけです。ですから、接種後に疼痛を経験したというようなニュースには、感情的・身体的に飛びついてしまったわけです。
この問題ですが、科学と感情論というイシューに一般化することができます。
日本特有の現象として、例えば遺伝子組み換え植物への(これは欧州も多少そうですが)頑固な忌避感情があります。よく考えれば、大昔から人類がやってきた、そして日本の場合は特に先進的であった交配による品種改良の場合も、突然変異や生態系への撹乱という可能性はあるわけです。
ですが、交配というのは「目に見える」のですが、遺伝子操作というのは「目に見えない」一方で、「本来のありのままの自然を人間の作為で変化させている罪深い行為」だと感じてしまうわけです。それを言うのなら、交配でも同じなのですが、そこは身体的・感情的直感でOKということなのでしょう。
また原子力の平和利用にしても同じです。ブリーダー(高速増殖炉)の「もんじゅ」に関しては、それこそ東日本大震災の当時には「事故を起こしたら西日本が吹っ飛ぶ」などと言う風評に晒されて、廃炉に追い込まれましたが、今回は廃炉しようとすると危険だという報道が出ています。
ブリーダーは危険だから廃炉しろ、ブリーダーは廃炉も危険だとなると、一体どうすれば良いのか、とにかく人々の科学リテラシー不足につけ込んで、身体的・感情的な不安を煽ればビジネスになるのですから、やれやれとしか言いようがありません。
ちなみに、村中氏の受賞に関しては、産経などは報道しているようですが、それは「左派の感情論が破綻した」というニュースは、右派には心地良いからであって、それ以上でも以下でもないと思います。日本の右派が身体的・感情的な反応に対して自制的かと言うと、全くそんなことはないわけです。
身体的な感情論という問題は、とにかくこれを政治的、あるいはメディアの場合はビジネス目的で悪用しないことが最優先です。その上で、医学にしても、原子核物理、バイオテクノロジー、国際政治などについて、社会全体のリテラシーを高めることで、身体的感情論を全体として抑制して行くことが必要です。
そこで問題になってくるのが、その方法論です。身体的な感情論が走っているのに対して、理詰めの「正論」を一本調子に投げかけても、相手には伝わりません。まして、批判的に責めてしまうと、相手はそれこそ防御本能と、名誉防衛の本能から全面的に反撃してきてしまいます。
だからと言って、相手の反応を「あれは身体的な反応であって、生物学的に対処するしかない」と断じてしまっては、今度は「それは人間を人間として扱っていない」ということで、やはり批判の対象になってしまいます。変化球作戦的に相手の身体的反応に寄り添いつつ誘導するということも考えられますが、それも政治的などの理由で反発を食らう場合には「アンチ・ヒューマニズム」だとか「世論操作、印象操作、無意識下の誘導だ」などと激しく反発されてしまいます。
この問題の解決ですが、やはりコツコツと地道に基礎理論からの教育を広範に施して、共通理解を広めて行く、その努力しかないように思います。ワクチンの問題に関しては、HPVだけでなく、風疹も麻疹も、異常なまでの低い接種率の世代を作った歴史があるわけで、生活科学の一環としての、あるいは保健体育でもいいですが医学の受益者教育ということが問われると思います。
遺伝子組み換えにしても、原子力の平和利用にしても、同じことです。周期表や分子生物学というと難しそうなイメージですが、中学の理科でちゃんと内容的には出てくるのです。その指導法を工夫して、社会全体のリテラシーを高めて行く、そんな地道な努力しか解決策はないのだと思います。
ちなみに、フェイクニュースの暴走メカニズムにも、その奥にはこうした身体的な感情論の問題があると思います。身体的な感情論に支えられると、事実でないことも「もう一つの真実」に見えてしまうわけで、この問題に関しては、右派のポピュリズムも、左派のポピュリズムについても全く同じと思います。
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