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京都の御朱印は、ちょっと違う。古都を往く、十六社朱印めぐり

毎年1月1日から2月15日まで行われる京都の冬の風物詩、「十六社朱印めぐり」。古都の凛とした冬の空気の中、古くから佇むお社を訪ねる旅は、普段は見られない、そして感じられない京都に出会えると人気を集めています。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者の英学(はなぶさ がく)さんが、「十六社朱印めぐり」の前編として、8か所の見どころを紹介しています。

十六社朱印めぐり

京都十六社朱印めぐりは、毎年、元旦から2月15日までの間に京都市内に点在する16の神社を巡る御朱印巡りです。御朱印を頂く事で厄除け安産健康長寿交通安全学問成就など様々なご利益を頂ける縁起の良いお参りです。

期間中に十六社全てのご朱印を受けた方には干支置物が授与されます。朱印料は1社につき300円、計4,800円かかります。

以下がその場所になります。

今回はこのうちの8か所について詳しくご案内します。

粟田神社(ご利益:旅立守護・厄除)

image by: 京都フリー写真素材

粟田は、京の七口のひとつ・粟田口を指します。粟田口は東海道や、近江、大津から京都に入る入り口です。京都よりも東、江戸などから来た人々は粟田口に来ると「無事に京都に着いた」と安堵したとか。逆に、京都を出る人にとっては旅立ちの場所です。そのため粟田神社に立ち寄り安全を祈願していたと伝えられいるので旅立守護の御利益があるとされています。

粟田神社は、牛頭天王(ごずてんのう)、スサノオノミコトを祀った粟田口の総社だった。社殿は平安初期に創建も、江戸中期から末期に本殿、拝殿が再建されました。

祭礼である「粟田祭」は10月体育の日前々日から4日間行われます。体育の日前日は祭の呼びもの剣鉾18基が飾りつけられ、「阿古陀鉾」「地蔵鉾」の2基が知恩院前の「瓜生石」前で「れいけん」の祭りを行います。体育の日は神幸祭で剣鉾巡行と神輿渡御が行われますが、この剣鉾は祇園祭の山鉾の原形といわれています。

市比賣神社(ご利益:女性の守り神・市場の守り神)

祭神が全て女性の神様である事から女性の参拝者が多く縁結び・子授け・女人厄除けなどのご利益がある神社です。795年、桓武天皇の勅使により京の市(市場)の守護を目的として建てられた事から全国の市場にはこの市比賣神社の分社が多く祀られています。

以前は七条坊門にあり、現在地に移ったのは1591年。清和天皇から後鳥羽天皇に至る27代の間は皇室、公家の尊敬篤く、皇子又は子女の誕生ごとに当社の天之真名井(あまのまない)の水を産湯に加えられたと伝えられています。 

新熊野神社(ご利益:健康長寿・お腹の神・病魔退散)

image by: WikimediaCommons(Bittercup)

京都三熊野社のひとつです。「いまくまのじんじゃ」と読みます。平安時代、天皇家の中で熊野詣が流行りました。熊野詣は紀伊半島南部にある熊野三山の参拝でしたが、一度の参拝に莫大な時間やお金がかかりました。そのため熊野三山は京都に勧請され、京都三熊野社が建てられるようになったのです。

平安後期、後白河上皇が平清盛に熊野の神をここに勧請するよう命じました。清盛は、熊野から土砂材木等を運び社殿を造営し、神域に那智の浜の小石を敷き、熊野を再現したと伝えられています。創建は1160年で、境内の大クスノキは当時熊野より移植したもので、後白河上皇お手植といわれています。また室町時代に、観阿弥・世阿弥父子が足利三代将軍義満の面前で猿楽を演能した地としても有名です。

今宮神社(ご利益:健康長寿・良縁開運)

毎年4月第二日曜日に行われる京都三大奇祭の1つである「やすらい祭」が行われる事でも有名です。やすらい祭りは、春の桜の開花の頃に行う病鎮めの祭事です。

徳川綱吉の生母・桂昌院から崇敬を受け1694年に荒廃していた社殿の造営が行われました。今宮神社は「玉の輿の神様」言われています。西陣の八百屋の娘だった「お玉(後の桂昌院)」が将軍家光の側室となり豪華な輿に乗った事が「玉の輿」の語源になっています。

994年に船岡の上に創立され、疫病の神として信仰が厚い。「阿呆賢さん」と呼ばれる神占石は撫でて軽くなれば願いが叶うとされています。徳川五代将軍網吉の生母 桂昌院の氏神社として、良縁開運「玉の輿」のご利益を願う人で今も女性達の間で人気です。

御霊神社(ご利益:厄除・心しずめ・学業成就)

創建は794年。桓武天皇が平安京の守り神として弟・早良(さわら)親王の神霊を祀ったのが始まりとされています。当時起こった天変地異は、早良親王の祟りだと考えられていて、この事により心を静めるご利益があるとされています。

その後仁明、清和天皇時代を経て7柱が合祀され、863年悪疫退散の御霊会が勅命で催されています。また、1467年に勃発した応仁の乱発祥の地でもあります。

吉祥院天満宮(ご利益:受験合格・開運招福)

菅原道真公が亡くなって31年目に当たる934年に道真公誕生の地に朱雀天皇の勅命により創建されました。全国に点在する天満宮は学問の神様で有名な菅原道真が祀られています。道真は朝廷に仕えていた人物で天皇からも重宝されていました。しかし、時の左大臣・藤原時平と対立し、左遷され悲しい運命の持ち主です。道真は最期まで京に戻る事が出来ず、不遇の死を遂げました。その事から当時は後の公卿の死や落雷などは道真の祟りだと考えるようになりました。そこで、彼の怒りを鎮める為に全国に天満宮が建てられる事となったのです。

吉祥院の由来は道真公の祖父清公卿にあります。清公卿は遣唐使の命を受けて唐へ渡航中暴風に遭遇してしまいました。しかし、船上で吉祥天女の霊験を得て入唐、無事任務を終えて帰ってきました。帰国後、自邸内にお堂を建て吉祥天女の尊像をまつったと伝わり、これが吉祥院の地名の起源にもなっています。境内には道真公のへその緒を埋めたと伝えられる「胞衣(えな)塚」があります。また、少年時代に習字に使用したという「硯の水」や顔を写したと伝える「鑑(かがみ)の井」などがあります。

熊野神社(ご利益:縁結び・安産・病気平癒)

image by: 京都フリー写真素材

新熊野神社、熊野若王子神社と同様、京都三熊野社の1つです。朱印のカラスは熊野社の神使である八咫烏です。三本足が特徴の八咫烏は、日本サッカー協会のシンボルマークにも使われています。

811年、修験道の始祖役小角(えんのおづぬ)の十世僧日圓が、国家護持のために紀州熊野大神を勧請したのに始まります。1090年、白河上皇の勅願により創立された聖護院は、熊野神社を守護神として祟め、別当職を置いて管理していました。白河法皇は度々熊野詣を行われ、この地にも特別な思い入れがあったと伝えられています。応仁の乱の後は1666年、聖護院宮道寛法親王によって再興されました。現在の本殿は、1835年に下鴨神社から移築されたな流れ造りの建築です。御祭神は、我国最初の夫婦神である伊弉諾尊・伊弉冉尊であり、縁結び・安産のご利益があります。

熊野若王子神社(ご利益:学業成就・商売繁盛)

こちらも、新熊野神社や熊野神社と同様京都三熊野社の1つです。室町8代将軍足利義政がこの地で花見を開いた事でも知られています。1160年、後白河法皇が熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請した正東山若王子の鎮守でした。境内より若王子山に奥に分け入ると新島襄・八重夫婦の墓所があります。また境内のすぐ脇は哲学の道の南の端です。まっすぐ北に向かえば銀閣寺に辿り着きます。

いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

さらに8か所をご紹介する後編もご期待ください。

image by: 京都フリー写真素材

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【著者】 英学(はなぶさ がく) 【発行周期】 ほぼ週刊

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