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現代なら異常。偉人・吉田松陰が受けた武家の教育が凄まじかった

歴史にそれほど詳しくない人にとって、吉田松陰という人物は「松下村塾」の創設者というイメージしかないことでしょう。しかし、無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』の著者・佐藤しょ~おんさんによると、彼が幼少期から受けていた「武家の教育」は、現代では考えられないほど厳しいものであり、幕末維新は当時の武士の「精神性の高さ」なくしてはあり得なかったと言います。佐藤さんは今回の記事でそんな「武家の教育」のエピソードを紹介しつつ、現代を生きる私たちに対して「早めに精神性の高さを確立する重要性」を説いています。

精神性の高さ

日本の、そして日本人の歴史をちょっとだけでも繙けば、我々のご先祖さま達って非常に高い精神性を持っていたことが分かります。この話はいつも基本編でするんですけど、基本編だけでは語りきれないので、メールマガジンでも解説してみようと思います。

その前に、この話を理解するためには、『世に棲む日日』や、『武士の娘』を読む必要があるんですけど、読んでいない人ってどれくらいいるんでしょうかね。どちらも幕末維新という時代の話なんですけど、前者が男性を、後者が女性の話になっています。

男性というのが、幕末の思想家吉田松陰なんです。明治維新とりわけ長州藩のあの暴走は彼の存在なくしてはあり得なかったんです。結局現代政治(つまり明治維新後の政治体制)って、あの暴走からスタートしていておまけに長州って今の山口県なわけで(安倍総理を含め歴代最も総理大臣を輩出しているのが山口県ですから)、だから彼の存在を否定出来ないどころか、かなり美化して、偶像崇拝化しちゃっているわけです。

そのため、教科書レベルの日本史しか知らない人には、吉田松陰って何者? 松下村塾を作った人だよねくらいの認識しかないんですよね。彼は、アメリカから来た黒船を見てその技術に猛烈な興味を持ち、友人と二人で黒船に乗り込んでアメリカへの留学を頼み込むんです。もちろん彼はこの時、長州藩の藩士、つまりサムライであって日本国外に出ることはご法度で、見つかったら死刑になることも理解していたんですよ。これだけで、ハ~ァ? って感じですよね。

ところがアメリカ側もそんな日本の事情を理解していて、それでも命を賭して海外で見聞を広めようとする日本の若者に感動するんです。ところが彼らはこれから日本政府と政治交渉をするわけです。その時に、政府(幕府)に隠れて日本の罪人を匿っていることがバレたら、交渉が頓挫してしまうと考えて、彼の願いを受け入れないわけです。そしてこのことが幕府に知られたら死刑になってしまうことが分かっているので、このことは内緒にしてあげるから、このまま帰りなさい、次にまた機会はあるからと説得するんです。

しかしだね、この吉田松陰は、受け入れてくれないのなら生きていてもしょうがない、そもそも犯罪行為だと分かってここにやって来たのだから、ここでうやむやにして逃げるのは武士のすることじゃないと言って、アメリカ側に幕府の役人に連絡するように言うんです。だから助けてやるって言ってるんだから、素直に船を降りて浜に向かえば良いんだっての。結局押し問答の末に、彼は幕府の役人に捕まって、最後は国元に送り返されて牢屋に入れられちゃうんですね。このエピソードだけでも、彼がちょっと常人とは違う思考体系を持っているのが分かるでしょ。

話が先走りました。そのまえに、この吉田松陰の子供時代の話を書きましょう。彼は実の叔父から猛烈な教育というか薫陶というか、指導を受けて、今の人でいうと小学生に上がるかどうかという年齢で、長州藩の藩主の前で軍学の講義をしちゃうんです。現代人で考えたらこれがいかにあり得ない話なのかが分かりますよね。小学生になったばかりの少年が、自分の殿様の前に立って堂々と軍学の講義をして、それがあまりにも見事だったので、殿様から刀をもらっちゃうんですから。

いくらなんでも早熟にすぎるだろうと考えるのは、ウラ事情を知らない人でして、少年吉田松陰(当時は幼名で寅次郎)は叔父(実父の弟)からしごきとも言えるような教育を受けていたんです。これが苛烈というか、非人道的というか、今同じことをやってたら、間違いなくこの叔父さんは警察に捕まっています。

ある夏の日のことでした。吉田寅次郎少年は、実の叔父さん(玉木文之進といいます)からいつものように授業を受けていました。今のようにエアコンもクーラーもない時代です。だから暑いわけですけど、それをグッと堪えて寅次郎少年は勉強していたんです。そこに暑さのあまり汗がひとしずく頬を伝ったんです。寅次郎少年はそれを手で拭ったその刹那、この叔父さんの鉄拳制裁が下ったんです。

貴様、何をした!! というが早いか、叔父さんは寅次郎少年をぶん殴ったわけですよ。それも一発や二発じゃないんですよ。少年が気を失うまで殴り続けたんです。

ここで、その理由が分かる人はいますか? なぜこの叔父さんは寅次郎少年を殴ったんでしょうか? これが分からないと、当時の人たちの精神性の高さが理解出来ないんです。

玉木文之進曰く、自分が施している教育は世のため国のため民のためである。つまりこれは、「のためにやる仕事であり、それを成し遂げるのが武士という人間である。武士は公のために命を尽くし、生涯を公に捧げるのだ、そのための教育を今やっている。ということは、この授業もまた、公のための授業である。

しかし今の寅次郎の態度は如何であろうか? 彼は暑さによって流れた汗を気にかけたのだ。汗が流れるのは「私」であり、その流れる汗が不快だという感覚もまた「私」なのだ。公のための授業をやっている最中に公よりも私の不快を優先したということが、授業中に汗を拭うという行為なのだ。つまりこの瞬間に寅次郎は、サムライの魂を捨てて下賤に落ちたのだ。そのような者はサムライとして生きる価値はない。だからその腐った性根を叩き直すために、殴らなければならないのだ。

と考えて、子供が気絶するまで殴り続ける実の叔父さんってどうですか? こんなのは現代では全く理解されないでしょうし、こんなことに耐えられる子供なんてほとんどいないでしょ。さしずめ今の子供なら、

 ■ 暑くて汗が出たんだからしょうがないじゃん

でおしまいですよ。ところが当時はそうじゃなかったんです。そしてこの考え方は吉田松陰のところだけじゃなくて、(厳しさの度合いは差があるにしろ)武家での教育上、躾をする上での常識だったんです。

例えば、『武士の娘』に出てくるエピソードもご紹介しましょう。根っこは同じですから。

この『武士の娘』を書いた杉本鉞子(エツコと読みます)さんは明治6年に、今の新潟地方になる長岡藩の家老の娘として生まれるんです。サムライのしかも国家老の娘ですから、当時としては最上流に所属する家柄ですね。当然彼女にも子供の時から家庭教師のような先生がついています。

公の教育機関がなかった頃は、武士は自分たちで、学問を授けてくれる人を探さなきゃならなかったんですね。そしてまだ6歳だった鉞子ちゃんも、寅次郎少年と同じようにマンツーマンの授業を受けていたわけです。

その2時間の稽古中はずっと畳の上に正座です。もちろんお師匠さんは座布団に座っているんですよ。そして稽古中に一度だけ身体を動かしたことがあったんですって。ちなみに書くと、稽古中はお師匠さんも手と唇を動かす以外は身動き一つしなかったみたいです。その時の模様を引用すると、

唯一度、私が体を動かしたことがありました。丁度、お稽古の最中でした。どうしたわけでしたか、落ち着かなかったものですから、ほんの少しばかり体を傾けて、曲げていた膝を一寸ゆるめたのです。

6歳の子供が畳の上に正座して2時間じっとしていろというのが、無理な話だと今ならいうでしょうね。ところが昔の人たちはエラかった。引き続き引用します。

すると、お師匠さまのお顔にかすかな驚きの表情が浮かび、やがて静かに本を閉じ、きびしい態度ながら、やさしく「お嬢さま、そんな気持ちでは勉強はできません。お部屋にひきとってお考えになられた方がよいと存じます」とおっしゃいました。

おいおい、ちょっと膝をゆるめただけで授業中止かい! と今なら言いそうですが、この鉞子ちゃんはエラかった。というか、私はこの次の行を読んでぶっ飛びましたから。

恥ずかしさの余り、私の小さな胸はつぶれるばかりでしたが、どうしてよろしいものやら判りませず、唯、うやうやしく床の間の孔子様の像にお辞儀をし、次いでお師匠さまにも頭をさげて、つつましくその部屋を退き、何時もお稽古が終わると父のところへゆくことにしていましたので、この時もそろそろと父の居間へ参りました。時間が早いので、父は驚きましたが、事情を知らないままに「おや、随分早くおすみだね」と申しましたが、きずついた私にはまるで死刑をつげる鐘の音のように響いたものでした。

恥ずかしさの余り」ですよ。たった6歳の少女が、2時間の稽古中に畳の上でちょっと足を崩しただけで、叱責を受け、そのことを恥ずかしいと感じる気位の高さというか、精神性の高さをかつての日本人は持っていたんですね。

これが何を意味するのか分かりますか?

こういう精神性の高さがあったから明治維新後の急速な文明開化が成し遂げられたんです。

ちなみに、この幕末頃に教育を受けた人たちが、維新後に海外の大学に留学して、そこで学んだこと、身に付けたことを日本で展開したんですね。そんな彼らの多くは、海外のそれぞれの派遣された大学で卒業時に首席だったりするんです。入学時には言葉もままならなかった後進国ジャパンから来た留学生が卒業する時には首席ですよ。これは彼らが優秀だったからでもあるんですが、もっと土台のところに精神性の高さがあったからでもあるんです。彼らの多くは、

 ● 国費で留学させて頂いて、首席にもなれずに日本に帰るのは恥ずかしい

と考えていたんです。国の名誉を背負って、そしてその学んだことを日本で広めるという使命に燃えて、勉学に励んだから、文字通り寸暇を惜しんで勉強したわけで、その結果現地の学生をごぼう抜き出来たわけですよ。今の日本人留学生でこの精神性を持っている人なんて、一人もいないと思いますよ。恥ずかしながら、私だって全く意識したことありませんから。

そしてこの傾向は年を追うごとに顕著になっていると思うんです。丁度今月は成人式があったわけなんですけど、みなさんがニュース番組で目にした通り、今年も全国でおバカな新成人が恥ずかしいことをやりましたよね。本人たちはあれが恥ずかしいことだとは思っていないんです。どころか、あれを武勇伝だと考えているフシもあるんです。20歳にしてその程度の精神性ですから。

私が新成人になった頃は、さすがにあのような振る舞いはカッコ悪いものだという認識がありました。だからスゴいというつもりはなくて、私の頃はそれが中学生で発露していたんです。時はちょうど校内暴力が盛んな頃でして、中学の卒業式を妨害してぶち壊すのがカッコ良いことだって考えていた世代なんです(私は根性なしだったから全くその世界に関与していませんけど)。

これだって私の父親世代から見たら、堕落そのもので、彼らに言わせたら、

 ● 中学生にもなってまだそんなバカなことをやっているのか

なんですよ。だって昔は「仰げば尊しを地で感じて、あれを歌いながら、在学中の恩師にこころからの感謝を表すのがフツーだったんですから。そう感じている人が、卒業式を妨害しようなんて、やるわけありませんよね。そんな世代の人が校内暴力のシーンを見たら理解不能だったと思います。それだけ私の世代の精神性が低く幼くなったということです。

ところがそれが年代とともにドンドン下に下がってきたわけです。私の頃にはさすがに高校の卒業式であれをやっちゃ恥ずかしいでしょ、というようなことが私の下の世代では当たり前になったわけです。そしてそれが今や、成人式になっちゃったんですわ。つまり私の頃よりも5歳くらい精神年齢が下がったといえるんです。

同じことは我が家の甥っ子を見ても感じるんですよね。高校生にしては、とにかく発想や思考が幼いんです。高校生なんだから、もうちょっと考えてから行動したほうが良いんじゃないの? とよく言うんですが、それが全然ピンと来ないようなんです。自分の欲望と感情に流されるまま、後先考えず反応しちゃうんです。

それでも最近はようやく1手先を考えるようになりました(これはつまり、これをやったらその直後にどういう結果になるのかを考えて、やるかやらないかを決めるということ)。しかくまだ3手先を考えたり、ましてや来週のこと、来月のこと、1年後のことなんて思考の範囲にありません。

これ、私の中の仮説では、平均寿命の伸びと相関しているんだと思います。明治の頃は人生50年って言われていて、その50年で生涯のやるべきことをやっていたんです。それが今では80年ですから、増えた30年分、濃度が薄まるという現象が起きているんじゃありませんかね。当時の5歳、6歳で身に付けた精神性を、15歳で身に付ければ、80年という人生ではトータルで辻褄が合う、みたいな自然の摂理が働いている、と書いたら言い過ぎでしょうか。

もしそうであれば、この80年に伸びた人生で早めに精神性の高さを確立出来た人は人生を非常に豊かに暮らせるということになると思うんです。

どうせ身に付けなきゃならないのなら、意識してこれを前倒しでやってしまった方が、トータルではお得だと思うんですよね。ということに、気付いたのが10年くらい前でして、それから10年経ってようやく少しだけマシになった、と思ったらもうこんな歳になっていたという感じなんですよ。まさに光陰矢の如し。人生ってちょっとボケっと生きていたら、ホントにロクなことにならないんですね。

若い人はこの点について、早めに気付いた方が良いですよ。

 

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【著者】 佐藤しょ~おん 【発行周期】 平日刊

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