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京大、伊藤忠からの引きこもり。哲学者・小川仁志の波瀾万丈半生

今まで100冊以上の著書を出版し、去年はNHK『100分 de 名著』で哲学を知らない人たちに向けて「ラッセルの幸福論」をわかりやすく紹介したことでも話題になった哲学者の小川仁志さん。しかし、そんな小川さんの半生は、哲学者ラッセルの人生同様に波瀾万丈でした。京大卒、伊藤忠商事入社からのフリーター、引きこもり。さらに公務員を経て、大学院卒、哲学者となり、現在は山口大学准教授に。哲学との出会いがどのように小川さん自身を変え、人生を彩っていったのか、連載全5回で波瀾に満ちた半生を振り返ります。

プロフィール:小川仁志(おがわ・ひとし)
1970年、京都府生まれ。哲学者・山口大学国際総合科学部准教授。京都大学法学部卒、名古屋市立大学大学院博士後期課程修了。博士(人間文化)。米プリンストン大学客員研究員等を経て現職。大学で新しいグローバル教育を牽引する傍ら、商店街で「哲学カフェ」を主宰するなど、市民のための哲学を実践している。2018年4月からはEテレ「世界の哲学者に人生相談」(木曜23時〜)にレギュラー出演。専門は公共哲学。著書も多く、海外での翻訳出版も含めると100冊以上。近著に『哲学の最新キーワードを読む』(講談社現代新書)等多数。 ブログ「哲学者の小川さん

小川仁志の情熱人生―挫折、努力、ときどき哲学 第一回

これから5回に分けて私の半生について書いていきたいと思います。現在47歳なので、ちょうど人生半分くらいかなと思っています。そのメタボ体型で94歳まで生きられると思ってるのかという突っ込みが来そうですが、あくまでこれからは健康に留意して生きていくという前提です。

実は私は、ちょうど今から10年ほど前、37歳のときに、すでに半生記を書いて出版しています。『市役所の小川さん、哲学者になる 転身力』(海竜社)という本です。その本が作家としてのデビューでした。あれから10年ちょっと、いろいろなことがありました。その本も絶版になっているので、その後の話も含めてちょっと振り返ってみようかと思います。

というのも、この10年間、様々な場所で取材を受けるたび、本題よりも小川さんの人生に興味があると言われ続けてきたからです。哲学の特集はもちろん、政治に関するコメントを求められるときもそうです。その都度、「次の機会にぜひ」と言っているのですが、なかなかそういうわけにもいかず、何かせねばと気になっていました。

前置きが長くなりましたが、これが本連載執筆の動機です。題して「小川仁志の情熱人生―挫折、努力、ときどき哲学」。これまで私は、挫折と失敗を努力で克服し情熱的に生きてきたからです。その中にときどき哲学が顔をのぞかせています。30歳以降はかなり哲学の占める割合が大きくなっているものの、やはりそれはすべてではないのです。かつてソクラテスがいったように、哲学の目的は善く生きることであり、哲学はそのためのツールなのです。決して目的ではありません。だからあえて「ときどき哲学」と表現してみました。そのほうが、この連載を読んでくださる多くの方にも当てはまるのではないかという思いもあります。

さて、第1回目は、今私が何をやっているのか、そしてここに至るには一体何があったのか、幼少期にさかのぼり、社会人になるくらいまでを一気に紹介していきます。いわゆる小川仁志エピソードワンです。スターウォーズにならうなら、これはもっと後の回でやってもいいのですが、まぁわかりやすいように時系列でいきたいと思います。

現在、私は「哲学者」と名乗って活躍しています。毎月1冊くらいのペースで合計100冊近くもの本を出し、その多くは海外でも出版され、大学で教鞭をとり、「哲学カフェ」などのまちづくり活動も行っています。その他、講演や連載、全国放送のテレビにも出演し、4月からはEテレの新番組「世界の哲学者に人生相談」にレギュラー出演します。哲学の番組だなんて画期的だと思いません? しかもその指南役です。

ただ、ここまで来るには本当に紆余曲折があったのです。これから徐々に紹介していきますが、大きく分けると、子どものころから就職するまで、商社マン時代、フリーター・引きこもり時代、市役所職員&大学院生時代、哲学者としての10数年という5段階です。これを見ていただいただけでも、紆余曲折を感じていただけるのではないでしょうか?

グンとさかのぼって、幼少期からいきましょう。正直幼少期の私は、内向的でした。おばあちゃん子で、外ではいじめられてさえいました。言い返せない、やり返せない。特に小学校時代は転校生なうえに、好き嫌いが多くて給食が食べられない子だったので、なおさらいじめられます。挙句の果てには両親が離婚し、もう最悪です。

それでも、というかそのせいでというか、創造性は豊かだったので、いろいろアイデアを出して面白いことができる子という認識はされていったようです。先日35年ぶりに小学校の同窓会があったのですが、ある女の子(といってももう47歳ですが)にこう言われました。「昔からちょっと変わってたよね」と。高学年になるころには、結構目立つのが好きになっていました。そしてそのまま中学では目立ちたがり屋キャラが悪い方向に発展していきます。こういうのをルサンチマンというのだと思います。昔いじめられていたのが災いしたのでしょう。ルサンチマンとはドイツの哲学者ニーチェの概念で、弱者の抱く怨恨(えんこん)のようなものです。そして復讐に走るわけです。

ヤンキーが多い公立中学校だったこともあって、一時期は不良になりかけましたが、なんとか更生することができました。そうして徐々に勉強に目覚めていきます。これは決して勉強が好きだったわけではなく、勉強をしていると誰も何も文句をいわないし、それだけで尊敬されることに気づき、心地よかったからだと思います。受験競争が激しくなっていく80年代の悪い風潮に悪乗りしていた感じです。塾や家で勉強をして、学校ではふざけているという感じで。

ビーバップハイスクール並みに荒れた学校でしたが、それでも私が勉強を続けられたのには、もう一つ理由がありました。それは祖母が厳しかったことです。本当にきっちりとした人で、外で働いている母の代わりをしてくれていましたから、必然的に大きな影響を受けました。物事をきっちりやること頑張り抜くことを教えてくれたのはすべて祖母でした。もう他界したのですが、「なにくそ」が口癖で、「なにくそばあさん」と呼ぶ人さえいました。戦時中は、体の弱かった祖父に代わって、軍事訓練に行っていたほどの人です。4人の子を育てあげ、その後は私を含む兄弟3人を育てあげた人です。自分も何があってもくじけることなく、「なにくそ」の精神で頑張ってきたといいます。そして人に対しても厳しく、私も事あるごとに「なにくそで頑張れといわれてきました。

そんなふうに祖母の教育が厳しすぎたこともあってか、大学生になって以降、合コン等でその反動が出ましたが、それは仕方ないのでしょう。後にイギリスの哲学者ラッセルの幸福論』を読んでそう思いました。ラッセルもまた、祖母に厳しい教育を受けた結果、後にその反動が出てきます。彼の場合は4回結婚することになりました。私は幸い結婚は1回ですが。

さて、話を戻しましょう。先ほど勉強が好きだったわけではないと書きましたが、国語だけは例外でした。これは作家・小川仁志にとって見逃せない過去です。国語は本当に好きで、成績もよかったし、作文が選ばれたりということもありました。今思うと、文章を書くのは嫌いじゃなかったのでしょう。近年、小学校の時の卒アルを発見し、そこに掲載されていた卒業文集の作文を見てびっくりしました。我ながらかなりのハイレベルだったのです。これに早く気づいていれば、紆余曲折ももう少し楽なものになっていたかもしれません。

その国語のおかげもあって、有名私立高校の進学クラスに滑り込むことができました。京都の洛南高校です。陸上の桐生祥秀選手も出身の学校です。桐生選手があの同じグランドを走っていたかと思うと光栄です。もちろん私は体育の時間にバタバタとペンギンのように走っていただけですが。

その洛南高校の有名大学を目指すクラスに在籍していたので、部活にも入れず、ただひたすら勉強の3年間を過ごします。というのは嘘で、実は中学の頃から始めていたバンド(エレキギターやボーカル)を続けていましたし、女子高に通う年上の彼女までいました。

そうなると普通は成績もやばくなるのですが、試験のたびに順位が出るので、負けず嫌いの私はそのためだけに勉強していました。当時「なんでも一番」とからかわれていたのを覚えています。これは決して一番だったというわけではなく、なんでも一番じゃないと気が済まない面倒なやつという意味です。当然なんでも一番になれるわけはなくいつもストレスを抱えていたように思います。

でも、その性格が功を奏して、なんと京都大学法学部に合格したのです。なぜ法学部か? それはどの分野に進んでも潰しが効くというだけの理由です。哲学には当時1ミリの興味もありませんでした。大学合格という最大の目的を果たした私は、自分へのご褒美?として、4年間の大学生活を100%遊びに費やしました。1989年入学だったので、6月にお隣の中国で天安門事件が起きて、多くの大学生が殺されているのを気に掛けることもなく。ただひたすら合コンやイベントサークルに熱中し深夜はバンドの練習をしていました。大学ではたしか「合コンキング」などと呼ばれていました。

考えてみると、ここから私の人生はすでに転落を始めていたのです。受験競争の弊害を絵に描いたように、合格後ははじけまくっていたのですから。ところが、当時の京都大学は恐ろしいところで、ほとんど大学に行かなかったのに、なぜか無事卒業させてくれました。バカな奴は早く放り出したかったのかもしれません。

そして、おそらく合コンで鍛えたトークとバイタリティだけを評価されて、いやバブルの残り香のおかげで、なんの実力もないのに伊藤忠商事から内定をもらったのです。人気の高い大手総合商社です。遊んでいたのに大学も卒業でき、大手商社に内定をもらったことで、私は完全に人生をなめていました

プライドもビンビンに高くなっていたと思います。もう天狗です。ドイツの哲学者ヘーゲルの概念でいうと、絶対精神が鼻に宿っていた感じです。ヘーゲルは自由が発展していく様子を描きましたが、私もこれでついに実家から解放され、高給取りになってこの世の自由を手に入れたと感じていたのです。とにかくあの時は、春からの花の東京でのビジネスマンライフを夢見て、毎日ワクワクしていたことだけを覚えています。これから訪れる波瀾万丈の半生が幕を開けようとしていることも知らずに……。(第2回に続く)

image by: shutterstock.com

小川仁志

プロフィール:小川仁志(おがわ・ひとし)

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1970年、京都府生まれ。哲学者・山口大学国際総合科学部准教授。京都大学法学部卒、名古屋市立大学大学院博士後期課程修了。博士(人間文化)。徳山工業高等専門学校准教授、米プリンストン大学客員研究員等を経て現職。大学で新しいグローバル教育を牽引する傍ら、商店街で「哲学カフェ」を主宰するなど、市民のための哲学を実践している。また、テレビをはじめ各種メディアにて哲学の普及にも努めている。2018年4月からはEテレ「世界の哲学者に人生相談」にレギュラー出演。専門は公共哲学。著書も多く、海外での翻訳出版も含めると100冊以上。近著に『超・知的生産術』(PHP研究所)、『哲学者が伝えたい人生に役立つ30の言葉』(アスコム)、『悩みを自分に問いかけ、思考すれば、すべて解決する』(電波社)、『突然頭が鋭くなる42の思考実験』(SBクリエイティブ)、『哲学の最新キーワードを読む』(講談社現代新書)等。ブログ「哲学者の小川さん

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