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なぜ生まれ育った国で「宗教」が決まるか。武田教授の「先入観」論

宗教の選択とプロ野球ファン、一見何の関係もないように見えますが、その根底には非常に似た部分があると語るのは、メルマガ『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』の著者で中部大学教授の武田先生。「自分の意見とは何だろうか?」という難しいテーマに対して、武田先生が先入観や選択の自由について考察しています。

自分の意見とは何だろうか? 先入観と脳の構造

宗教選択の自由はなし? 生まれ育った国で自分の宗教が決まる現状

どの人も「自分の考え自分の意見」というのがある。人によってはごく穏やかで他人の言うことに合わせる人もいるけれど、逆に意見が違うと、激高するならまだ良いけれど、中には刃傷沙汰になることすらある。国同士の戦争などは刃傷沙汰になる場合だ。

現在でも、「森友問題」というのが騒がれていて、「絶対に許さない」という人がいるかと思えば、「憲法問題や子育てなどを優先すべきだ」とする意見もある。大相撲でも、八角親方をトップとする理事会と貴乃花親方の考えは全く違う。同じ相撲界、同じ横綱の経験者でも相いれない。なぜ人間は意見が違い、争いをするのだろうか?

この問題を少し考えてみる。まず第一回は先入観と脳の構造を整理してみたい。

それにはまず2つの例を挙げる。

第一は、イギリスのEU離脱の問題である。イギリスはヨーロッパ大陸からドーバー海峡を挟んだ島国なので、その歴史や考え方は大陸のほうのドイツやフランスとは少し違う。狭いドーバー海峡ではあるが、第二次世界大戦でも空軍が強く、V2ロケットまで持っていたナチスドイツですら、イギリスに攻め込むことはできなかった。古くはジュリアス・シーザー、そしてナポレオンもドーバー海峡には手を焼いたものである。

だから、イギリスはキリスト教国でもイギリス国教会が支配する特殊な宗教環境にある。一見、カソリックのようでもあり、国教会にはプロテスタントの団体も所属している。ところが、EUに加盟して以来、東欧から多くの労働者がイギリスに移住した。イギリスに移動してきた多くのポーランド人はカソリック教徒であるし、チェコは無宗教と言ってよいほどで、カソリックが人口の10%にしか過ぎない。

だから、東欧からの人が増えると毎週の礼拝さえままならない。イギリス人にしてみれば、就職先は奪われ、日ごろの生活の様式も違う。日本のように「ゴミの日」などがあったら、それこそ大変で、なかなか単一民族ならではの社会習慣を守ることはできない。

そんなことでEUの中でもギクシャクしていたのに、中東の危機が訪れて大量の難民がヨーロッパに流れてきた。大陸の国はドイツに代表されるように移民歓迎の政策をとるところがあり、その国を経由してEU内を自由に移動する。だから、どんどん他国民が増えてくる。

移民の多い環境では、「国をよくすると移民が増えて自分たちの生活はよくならない」ということが起こり、それだけでも不満がたまる。まして、カソリックとプロテスタントでも問題があるのに、イスラム教徒となると相当違う。

それは日常生活で大きなストレスとなっていた。

時事問題としてイギリスのEU離脱をみると、このように見えるが、「人間の考え」として整理すると、

1)イギリス人の多くが、どういうわけか「イギリス国教会」の信徒

2)ポーランド人の多くが、どういうわけか「カソリック」の信徒

3)シリアから来た人のほとんどが、どういうわけか「イスラム教」の信徒

なのである。ここで「どういうわけか」としたのは、イギリス人、ポーランド人、そしてシリア人が強い信仰心を持っているとしても、それは「どの国に生まれて育ったか」に関係していて、決して自分で聖典を読み、お説教を聞いて、慎重に選んだという結果ではないのだ。

なにしろ「信教の自由」というと絶対に守らなければならない、他人の宗教の悪口などいうのはもってのほかと強く信じられているが、よくよく事実を見てみると「自分が強い信念を持つほどの理由はない」と言ってもよい。なにしろ、偶然にどこで生まれるかによって信じる宗教が違っているのは間違いない。

東京なら巨人。大阪なら阪神。根拠のない偶然で決まる身近なもの

このようなことはもっと軽いものでも多く見られる。

一つはプロ野球のファンだ。この頃は野球もずいぶん人気がなくなってきたが、かつては「東京なら巨人」「大阪生まれ大阪育ちならほぼ熱烈な阪神ファン」、そして最近では「広島に行くと広島カープを応援しないとにらまれる」という感じだ。

でも、野球というのはスポーツだから、どの球団のファンになるかは自分が住んでいるところとは関係なく、好きな選手がいるとか、戦い方が潔いとか、そういう理由がいるはずだが、現実は「どこに住んでいるかでほとんど決まってしまう。もっと極端には、かつてテレビ放送では巨人戦しかやらなかったので、日本全体で巨人ファンが特別に多かったという現象まであった。

結論を急いで、まず整理をしてみると、

1)人には自分の好き嫌い、意見などがある。

2)でも現実には宗教のようにその人の考えを尊重しなければならないものも、根拠のない偶然で決ま っているように見える。

ということになる。宗教戦争や国同士の争いで死をかけて戦うことすらあるのにその根拠が行き当たりばったりに見えるのはどういうわけだろうか?このような傾向は人間だけで動物はまた別なのだろうか?自分が正しいと思ったり、好きだと感情が動いたりするのはなぜだろうか?(つづく)

image by: shutterstock.com

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中部大学教授の武田邦彦です。主に環境問題や資源に関して研究を行っております。 私のメルマガでは、テレビや雑誌新聞、ブログでは語ることが出来なかった原発やエネルギー問題に鋭く切り込みます。

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