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これぞ日本人。800人の彷徨うロシア難民の子供を救った男たち

日露戦争の記憶も鮮明でロシア人に対する反感が根強かった1920年、革命のため難民と化したロシア人800名を、「陽明丸」という船で危険を顧みず祖国に送り届けた日本人をご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、あるロシア人から依頼を受けそんな男たちを探し当てた書家・北室南苑さんの言を引きながら、彼らの「義侠心」を讃えています。

100年間埋もれていた日本の偉人たち

名利を顧みることなく、大義に生きることを潔しとした古きよき日本人の男たち。そういう男たちの実話が100年ぶりに明らかになりました。

1920年のロシア革命時、難民となって広大なアジア大陸を彷徨っていた800名のロシア人の子供たちとその教職員を、貨物船を改造した大型船「陽明丸」に乗せ、太平洋、大西洋を横断して3か月をかけて無事親元に届けたのが、勇敢な日本人の船会社社長と船長でした。

彼らは世界のどの国も断ったアメリカ赤十字からの救援依頼を引き受け、人知れずその危険な務めを為し遂げたのです。

「陽明丸」の探索はふとした出会いから

「陽明丸」の救出作戦は驚くべき内容ですが、この貴重な史実を発掘したのは歴史家でも研究者でもありません。石川県の書家・北室南苑さんです。

特別に歴史を学んでいたわけではない書家によって事実が明らかになった点も特筆に値します。北室さんは国内外で個展を開催していますが、2009年、ロシアの古都・サンクトペテルブルクでの個展の折、あるロシア人女性から「実はある人を探していますぜひ協力してほしい」という相談を受けます。

女性の名はオルガ・モルキナさん。オルガさんの祖父母は子供時代、「陽明丸によって救出されていて、オルガさんはカヤハラさんという船長の子孫にどうしてもお礼が言いたいとずっと願ってきたというのです。余りに唐突な相談でしたが、そこから北室さんの執念ともいえる探索がスタートします。

探索の取っ掛かりは「ヨウメイマル」という船を特定することでしたが、これは早い段階で、大正時代に運航していた外国航路の大型船「陽明丸」にほぼ間違いないことが分かりました。その系統に繋がる船会社に話を聞くなどする中で浮上したのが、当時の経営者(船主)だった勝田銀次郎という人物の名です。

 

さらに調べていくと、ごく簡単な記述ながら、勝田船主は「子供たちを救ってほしい」というアメリカ赤十字の依頼を受けて貨物船だった陽明丸に客室を装備、人員輸送に必要な装備を施した上でロシアに船を差し向けていたことが分かりました。

 

人望の厚かった勝田船主は経営の一線を退いた後、神戸市長を2期務めていますが、それだけの人物でありながら、古書店で入手した評伝などを紐解いてみても、

 

陽明丸や子供たちの救済に関しては、なぜかごくごく限られた情報以外に見つけることはできません。

 

神戸に行けば何か新しいヒントがあるのではないかと考えた私は、毎月3回ほど石川から神戸に足を運び、市立図書館に籠もっては勝田船主に関連する資料の収集に当たりました。1日に取るコピーの数は約百枚。なかなか核心は掴めないまでも、私の心は勝田船主の人物像が少しずつ明らかになっていく喜びに満たされていました。

 

一方、肝心のカヤハラ船長については全くといってよいほど情報が得られませんでした。手始めに「カヤハラ」を漢字変換しながら該当人物をインターネットで検索してみましたが、全くのお手上げ状態でした。

北室さんは、オルガさんから依頼されたカヤハラ船長の名が茅原基治であることを突き止めるまでに2年の歳月を要しました。そして2011年10月、オルガさんは来日し、岡山県笠岡市の子孫を訪ねて、夢にまで見た茅原船長の墓参を果たすのです。

危険な航海を成し遂げた船長の手腕

800名の子供たちを乗せた陽明丸ですが、3か月の大航海の中でも最大の難所は最終目的地のフィンランドに向かうバルト海でした。バルト海は第一次世界大戦中、連合国軍とドイツ海軍が激戦を繰り広げ、おびただしい数の機雷が敷設されていました。この危険極まりない海を無事抜けることができるのか。すべては茅原船長の腕一つにかかっていました。

バルト海航海に臨むに当たって茅原船長はまず、機雷の実態に詳しい地元の熟練のパイロット(水先案内人)を探し出して協力を求めました。茅原船長や水先案内人をはじめとする船員たちは、24時間態勢で目を皿のように凝らし、全神経を水面に集中させながら、ゆっくりと船を進め、約一週間をかけて無事コイビスト港に投錨するのです。

 

この辺りのいきさつは茅原氏の手記には詳しく記されていませんが、心身ともに極限状態を強いられる持久戦だったことは想像に難くありません。茅原氏はこのような卓越した能力の持ち主でありながら、一方ではとても優しく温かい人柄だったことが、彼の手記からは窺い知ることができます。

この茅原船長の言葉のように、戦争や飢餓を経験し、死の恐怖に怯え続けた子供たちにとって、陽明丸での3か月間の大航海は文字どおり幸福な楽園だったようです。赤十字の潤沢な資金によって船内には食べ物や衣類がふんだんに積み込まれていたのですから、それだけでも別世界でした。彼らが帰国後にずっと隠し持っていた数々の写真からは、船上生活の喜びが伝わってくるようです。

「陽明丸」の救出作戦が展開されたのは、日本人の心にまだ日露戦争の記憶が鮮明に焼きついている頃でした。ロシアに対する反感が根強かったことを考えても、この大航海がどれだけ勇気の要ることだったかが分かります。北室さんは勝田船主や茅原船長に共通するものとして「義侠心」を挙げられています。身を捨てる覚悟で子供たちの救出活動に臨んだ先人の生き方に、私たちも学びたいものです。

image by: Shutterstock.comWikimedia Commons

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【著者】 致知出版社 【発行周期】 日刊

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