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10円玉でおなじみの「平等院鳳凰堂」は、こんなにも謎めいていた

普段、私たちが使っている「10円玉」に描かれた平等院鳳凰堂、実はお堂が描かれている方が10円玉の表面だということはご存知ですか? それはさておき、あの建物の創建年や建立の理由など、私たちはあまりにも知らなすぎるような気がします。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、著者の英学(はなぶさ がく)さんが、 10円玉の表で燦然と輝くあの鳳凰堂のウンチクを紹介しています。

この世の極楽・平等院鳳凰堂

約1,000年前の日本人が思い描いた極楽浄土の姿を見に宇治へ足を運んでみて下さい。

平等院鳳凰堂と言えば10円玉のデザインを思い浮かべる人も多いかと思います。実は1万円札の裏面に描かれている鳳凰も平等院鳳凰堂の鳳凰なんですよ。

宇治・平等院鳳凰堂は、1052年に関白・藤原頼道によって創建されました。かつて生きていることが苦であった時代の人達の憧れだった「極楽浄土」とは、どのようなものだったのでしょうか。それを具現化したのが平等院鳳凰堂です。詳しくご案内しましょう。

日本に仏教が伝わったのは6世紀飛鳥時代で、平安前期に広まりました。当初は現世での救済を求めるという考え方が一般的でした。生きている間に災いがないようにと願っていたのです。平安時代後期になると、日本では「末法思想」が広く信じられるようになりました。末法思想とは、お釈迦さまが亡くなってから2,000年経つと世は廃れてしまうという思想です。その時がまさに1052年だったのです。ちょうどその頃都では天災が続き、人々の不安は高まり、この世の終わりを予感させるような出来事が起こりました。そんな状況の中、仏教の思想も現世利益から来世での救済へと変わっていったようです。

平等院が創建された当時、人々は極楽往生を強く願いました。そして西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来を祀るお堂・鳳凰堂を創建したわけです。この鳳凰堂は可能な限り極楽浄土をリアルに表現して建てられたと伝えられています。堂内には金箔、螺鈿、宝石が使用され、極彩色を使った装飾が施されています。まさに当時の貴族が憧れる来世の世界をこの世に実現したのが平等院鳳凰堂なのです。空想の世界を現実の世界に存在させたわけです。

現状は装飾のほとんどが剥げ落ち真っ黒で、かすかにかつての名残りが残る程度です。ただ今は隣接するミュージアム鳳翔館で極彩色に再現されたお堂の姿を見ることが出来ます。

有名な本尊の阿弥陀如来座像は、目の前の阿字池越しでも拝むことが出来ます。仏師の父とも言われている定朝(じょうちょう)の現存する唯一の作です。特徴は、大きな仏像を形作る小さな木のパーツを組み合わせて作る寄木造りの工法が用いられていることです。おそらくこの阿弥陀如来坐像が寄木造りの原点と言われている点でとても貴重なのです。

また堂内の壁に52体の雲中供養菩薩像が、立体的に舞っているのが印象的です。楽器を奏でながら舞う姿、祈りを捧げる姿など、阿弥陀如来と共に衆生を極楽浄土へと誘うさまが表現されています。今は52体の大部分がミュージアム鳳翔館に展示されています。

かつては本尊の頭上に、黄金に輝く天蓋が施されていたりと暗い堂内を少しの明りで輝きを演出する工夫が凝らされていました。それらは当時の貴族が持つ芸術的センスと極楽浄土への強い想いの表れであったことがうかがわれます。

鳳凰堂の屋根に立つ鳳凰は古代中国の想像上の鳥です。立派な天子が世に出るのを待って現れる鳥とされています。鳳凰堂の2匹の鳳凰は北側と南側では大きさが違うそうです。北の像は98.8cm、南の像は95.0cmの高さで北が鳳(オス)で、南が凰(メス)とい言われています。

現在屋根の上に輝く像はレプリカですが、オリジナルは鳳翔館に展示されているので、鳳と凰の違いを比べてみて下さい。

この時期は平等院の藤が見頃なので是非足を運んでみて下さい。ちなみに私が行った時はリニューアルオープン直後だったからだと思いますが、3時間待ちでした!

いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

image by: 京都フリー写真素材集

[touoroku]
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