ウズベキスタンに行くと、現地の人々が揃って教えてくれることがあるそうです。「これは、日本人が作ったものだ」──。現在のかの国を支えている建造物を作った「日本人」とは誰のことを差しているのでしょうか。参院議員で元在ウズベキスタン特命全権大使の中山恭子さんが、無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』誌上で、胸を打つ感動的なエピソードを紹介しています。
異国の地での合言葉「桜を見よう」
中央アジアの一国、ウズベキスタン共和国。戦後、この地に強制労働下におかれた日本人たちがいました。かれらは苦しい状況下に置かれながらも希望を失わず、懸命に生き抜いたのでした。
大使の仕事は両国の友好関係を深めることをはじめ、経済発展の支援や、両国の文化交流、人的交流など様々です。そのために各地を巡りましたが、行く先々で、必ずと言ってよいほど、現地の人たちが教えてくれることがありました。
「いま走っているこの道は、日本人がつくった道だ」
「あの建物は、日本人が建ててくれたものです」
「あそこの運河も日本人がつくってくれました」
「このアパートは日本人が建てたものだから強くて安心なんです」
それも、誰もがまるで我がことのように自慢げに話してくれるのです。他にも首都タシケントにあるナヴォイ劇場やベカバード市の水力発電所など、日本人によって建てられた建造物は枚挙に遑がありません。しかも、その多くが強い地震にも、びくともしなかったというのです。
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