米朝会談「共同声明」の短さを批判する人は歴史を見る目がない訳

 

6月12日に行われた米朝首脳会談の際に両首脳により署名された共同声明について、現在も「具体性に欠ける」等の批判・落胆の声が多く聞かれます。これら否定的な意見に異を唱えるのは、ジャーナリストの高野孟さん。高野さんは自身のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』の中で、ブッシュ・ゴルバチョフ両氏によるマルタ首脳会談を例に取り「首脳同士が会うこと自体が、時代の基調の一大転換を象徴するという場面はある」とし、シンガポール共同宣言は短いながらも長い歴史の積み重ねの上に成り立っている点に留意する必要があると記しています。

※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2018年6月25日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

米朝共同声明の読み方について改めて──右往左往せずに歴史の大きな流れを捉えよう

6月12日にシンガポールで発せられた米朝首脳会談の共同声明が短すぎて具体性がないと文句を言う人がいる。

しかし、「冷戦の終わり」という世界史的な出来事をもたらした89年12月のブッシュ父米大統領とゴルバチョフ露共産党書記長のマルタ首脳会談では、共同声明そのものがなく、共同記者会見の冒頭にそれぞれが10分間程度の所感を述べただけだった。首脳同士が会うこと自体が時代の基調の一大転換を象徴するという場面はあるものであって、シンガポール会談もその1つだったと言える。

しかもそれには前段も後段もある。マルタ会談は、86年10月レイキャビクでのゴルバチョフとレーガン米大統領との初会談から始まった米ソの包括的軍縮交渉、その成果としての87年12月ゴルバチョフ初訪米によるINF(中距離核戦力全廃条約)調印と88年5月レーガン初訪ソによる同条約批准書交換──という長い積み重ねがあった上で、89年1月に就任したブッシュがその年の暮れ近くに、それらすべてを継承しつつ冷戦の終わりを宣言するに至るのである。そして

その後、数次にわたる外相レベルでの準備会談を経て、90年5月末から6月初めにかけて、ブッシュ大統領になって初めての本格的な米ソ首脳会談がワシントンで開催された。この首脳会談では、戦略兵器削減交渉(START)の基本合意を始めとして、エティオピアに関する共同声明、通商協定、長期穀物協定、民間航空協定、環境保全に関する共同声明など、軍備管理・軍縮、地域紛争、経済・科学・文化交流、全地球的問題といった幅広い分野にわたる多くの文書が合意され、署名された。

(1990年版『外交青書』2-1-1-1)

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