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ほんまでっか?池田教授「人類の未来は人工知能とともにある」

AI(人工知能)という言葉が急速に浸透し、最近ではAIが人類を超えるという「シンギュラリティ仮説」も唱えられ始めています。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの生物学者・池田先生が、AIの過去から現在までを振り返りつつ、AIとともにある未来を推察しています。

AIの未来

AI(Artificial Intelligence 人工知能)の発展により将来多くの職がAIにとって代わられるに違いないという話は、今や常識になった。中には、ついには人間の知性を超えてしまうのではないかと夢想する(あるいは危惧する)人達もいる。確かにマニュアル通りにやる仕事はAIの方が早くしかもミスが少ないので、しばらくすると、単純労働はAIにやらせた方がコスト・パフォーマンスがはるかにいいということになるだろう。 例えばレジ打ちのような単純な仕事をこなす労働ロボットの価格がどんどん下がって、最低賃金を下回ることになると、レジ打ちの仕事はロボットにとって代わられるようになり、この世からレジ打ちという職種はあらかた消えることになる。

自動運転の車が普及して「自動運転車の車両価格+維持費」が、「非自動運転車の車両価格+維持費+ドライバーの給与」より安くなればドライバーという職業は、やはりこの世からあらかた消えてしまうだろう。そうなった時、人々の暮らしはどうなるのかしら。ホリエモンはAIにはできないスキルを身に付ければ、何も恐れることはないという意見のようだが、そういうことができるのは一部の人だけで、大部分の人々は、努力をしてもAI並みかあるいはそれ以下の仕事しかできないと思う。AI以上の能力がある人とそうでない人の所得格差は拡がり今以上に所得の二極化が進むだろう。1割の金持ちと9割の貧乏人といった社会になっていくに違いない。

そうなった時に9割の貧乏人の暮らしはどうなるのだろう。多少バラ色の話をすれば、AIの導入によって製造コストが安くなった製品を、今までと同じ価格で売れば、儲けは莫大になるから、儲けの一部(大部分)をベーシックインカムの原資にして製品を買ってもらおうという選択肢がある。 社会の大部分の人が貧乏になれば、製品を買ってくれる人は激減し、企業は潰れてしまうので、ある程度以上の価格で製品を売るためには、こうせざるを得ないわけで、これは、企業にとっても貧乏人にとってもウィン-ウィンゲームとなる。私は、近刊の『ほどほどのすすめ 強すぎ・大きすぎは滅びへの道』(さくら舎)で、こういう未来を構想したが、社会システムをベーシックインカム社会になるべく早く切り替えないとこの構想は頓挫するだろう。

AIの導入によって、製品の製造コストが下がれば、自由競争を旨とする資本主義社会を前提とする限り、製品は製造コストに呼応して安くなり、独占企業は別として、企業は巨大な利益を上げることができなくなる。これはベーシックインカムの原資がなくなることを意味し、ベーシックインカムの構想は瓦解してしまう。 ベーシックインカムが制度化されなければ職を労働ロボットに奪われた人々は暮らしていけないので、やむを得ず、労働ロボット以下の低賃金で働かざるを得なくなるかもしれない。理屈では、必需品の価格が半分になれば、賃金が半分でも暮らしていけるはずであるが、労働ロボットが作り出せない高級品を買うとか、上質なサービスを受けることは不可能になり、ぎりぎりの生活をせざるを得ない労働奴隷のような生活になるかもしれない。これは楽しくない未来図だな。

問題はその先である。AIが加速度的に進歩していけば、AI以上の能力のある人は減少してくる。もし、AIがすべての人の能力や知性を超えれば、究極的にはすべての仕事はAIにさせて、生身の人間の出る幕はなくなる、といった社会になってもおかしくない。病気の診断や治療は言うに及ばず、いかなる社会制度が最も適切かといった判断までAIに任せてしまえば、人間はすべての義務的な仕事から解放されて、後は他人に迷惑を掛けない限り、自由に生きてよいというある意味でユートピアのような社会になるのだろうか。果たして、AIは人の知性の限界を突破できるのか。

ところで、かつてAIブームは2回あって、今が3回目のブームである。最初は1950年代から60年代で、コンピュータに推論と探索をさせて正解に辿り着かせるものであった。厳密なルールとゴールが決まっており、ルールにのっとって正解を導くことがこの時代のAIだった。AIが迷路をうまく抜け出したり、数学の定理を証明したり、ジグソーパズルを解いたりできるのは、コンピュータを単なる計算機だと思っていた当時の人々には驚きであったろう。

第2次ブームは1980年代に起きた。専門家の思考をシミュレーションする所謂「エキスパートシステム」を開発して、AIに人間の思考を真似させようとのアイデアだ。日本でも結構なブームになって1985年の12月には「AIジャーナル」なる雑誌も刊行された。私はAIの専門家でも何でもないが、この雑誌に「構造主義生物学はなぜそう呼ばれるのか」と題する論文を寄稿し2回に分けて掲載された。いかなる理由で「AIジャーナル」から構造主義生物学の論文の依頼が来たかはよく知らないが、懐かしい思い出である。しかしこのブームはあっという間に過ぎて「AIジャーナル」も1987年の12月の第12号をもって廃刊になってしまった。

その大きな理由は、AIはフレーム問題を解決できないからだ。フレーム問題とは、有限の処理能力しかないAIはすべての事態に対応した解を導くことができない、という考えてみれば当たり前の問題のことだ。例えば、児童生徒の模範になるような学習ロボットを造ることを考えてみよう。授業のある日は遅刻せずに学校に来て、先生の講義を聞き、先生に教わったことを完璧に覚えるロボットを造ることは可能だろう。テストの問題も模範解答もロボットに作らせれば、先生の手間が省ける。

時間を守ることと講義の学習能力は完璧だが、プログラム以外のことはできない。登校時に川でおぼれている人がいても助けない。緊急事態が発生したときは、学校に来ることや学習を放棄してもいいよという普通の人間なら当たり前のことを覚えさせようとしても、緊急時とは何かというあいまいな命令は理解できない。緊急時に相当することは無数にあって、そのすべてをプログラムに組み込むことは不可能だからだ。おぼれている人は助けなさいという命令一つをとっても、これをプログラムに組み込むことは結構難題だ。川で水浴びしている人を、片っ端から引きずり上げないとも限らない。

そこで、おぼれている人だけ助けて、泳いでいる人は助けないでよい、といった指示を組み込んだロボットを作ると、川でバシャバシャしている人に向かって、あなたは泳いでいるんですか、おぼれているんですかと聞きまわり、泳いでいる人からは「バカ野郎、見りゃわかるだろう」と怒られ、その間に本当におぼれている人は溺死してしまうという事態になりかねない。(メルマガより一部抜粋)

image by: Shutterstock

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