18人が死亡し180人が重軽傷を負った、台湾の特急列車脱線事故。今のところ運転士が安全装置を切っていたことが原因とされていますが、「日本国内では絶対にありえない事故」とするのは、米国在住の作家で世界の鉄道事情に詳しい冷泉彰彦さん。冷泉さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』でその理由を解説するとともに、ではなぜ台湾で日本製の車両が今回の事故を起こしてしまったのか、識者として想定した2つのケースを記しています。
台湾特急脱線事故、最悪のケースを想定すると?
台湾北東部の宜蘭県にある宜蘭市郊外の新馬駅構内で10月21日に発生した特急列車の脱線事故(18人が死亡し、180人以上が負傷)という惨事については、運転士が安全装置(ATP)を切っていたことが原因だとして、その後、事件に関する報道はやや落ち着いています。
現時点では、運転士が鎮痛剤を乱用していたことがあり、当日は検出されていないもののその作用で意識が朦朧としていた可能性などが報道されています。その一方で、技術的な問題に関しては、検証中ということで詳しい報道は出ていません。
とりあえず制限速度が65キロのカーブに、報道によれば140から150キロで進入したのが直接の原因ということは、ほぼ間違いないようです。ということは、なんらかの形でブレーキが効かないという現象が起きたということも想定されます。
さて、この列車、つまり日車(日本車輌製造)製のTEMU2000型電車のブレーキですが、「電力回生併用電気指令式空気ブレーキ」というタイプです。どういうことかというと、電力回生というのは、モーターを発電機に変えて強力な抵抗を起こさせてブレーキをかけるというものです。
この電力回生ブレーキは、直流だけでなく、今回のような交流電源による電車でも可能となっており、日本の新幹線車両のほとんどがそうですが、大きく2つの制約があります。1つは、モーターを積んだ「動力車(M車)」しか効かないということです。2つ目は、近所に力行している車両があるか、変電所があって近くに電力需要がないと電気の行き場を失って効かなくなる(回生失効)という問題です。
そこでこの車両の場合は、空気ブレーキが備えられています。空気ブレーキというのは、現在世界中の鉄道で主流となっているブレーキで、圧縮空気をタンクに貯めておいて、ブレーキを掛けるものです。この車両の場合は、モーターのない付随車(T車)は全部このブレーキですし、また最後に駅の停止位置に停める際には全車両の空気ブレーキが同時に動作します。更に、仮に回生失効になったり、あるいは緊急ブレーキを掛けるときは全車両の空気ブレーキが動作します。
では、運転士はどうやってこの2種類のブレーキを操作しているのかというと、実は操作は簡単です。「2種類のブレーキが組み合わさっている」などということは考える必要はないからです。現在のこの種の電車は、マスコン(マスターコントローラー)という1本のスティックで操作するようになっています。前へ押せばノッチが入って加速し、手前に引けばブレーキがかかります。
そして、現在の1本マスコンというのは、その時々の状況に応じてモーターに電流を流して加速する、電流を切って電力回生ブレーキをかける、空気ブレーキもかけるという3つの動作を、電子回路が判断して自動的に制御するようになっています。ですから、何もなければこの1本マスコンを操作するだけで、運転ができるわけです。
問題は、事故の前に「空気圧が足りない」という報告がされていたということです。私は、全くの仮説として、次のような流れを想定しています。
- もしかしたら、電気の行き場がない回生失効がたびたび起きていて、それで空気ブレーキを何度もフルで使ったのかもしれない
- ブレーキングを繰り返したので、空気圧が足りなくなった
- 空気圧が足りないまま発車した
- 郊外に差し掛かった地点で、周囲に電気の行き場がなくなって回生失効した
- そこで空気ブレーキに頼ることになったが空気圧が足りないので、ブレーキが効かなかった
このストーリーですが、現在日本中を走っている「電力回生併用電気指令式空気ブレーキ」電車のことを考えると、実は絶対に起きない話なのです。
というのは、世界の鉄道車両についているブレーキは「空気圧がないとブレーキが解除されない」という設計になっている、つまり「フェイル・セーフ」という考え方で機構ができているという点が1つあります。
ブレーキ用の空気圧が足りなくて、停車した場合は、空気圧が回復しないと、ブレーキが掛かったままで外れない、だから発車できないという構造です。日本の車両も勿論そうした思想で作られています。
もう1つ、現在のように「1本マスコン」で操作できるようになった電車の場合は、仮に回生失効だとか、空気圧不足などでブレーキ力が弱い場合は、動かないような設定になっているか、あるいは自動的に速度に制限がかかるようになっているという問題があります。
日本の鉄道車両の場合は、この2つの安全設計については非常に厳しく法令で決められており、これに違反した車両は走ってはいけないということになっています。また、このような安全設計は日本だけでなく、基本的に欧米の鉄道車両の場合も同じだと思います。
では、いったい何が起きたのでしょうか?
あくまで仮説ですし、どちらも「最悪」と思いますが、2つのケースを想定してみたいと思います。
1つは、この車両は日本製ですが、ATPという安全装置は欧州仕様のものが使われています。システム上、純粋に日本の車両・システムであれば「空気圧が足りないのにブレーキが解除できる」とか「ブレーキ力が全体的に足りないのに制限速度以上で走れる」ような「安全装置の外し方」はできないはずです。
ですが、「ハードは日本製+ソフトは欧州仕様」というチャンポンをやった結果、そのようなタブーが「起き得る」ような状態になっており、運転士がATPを切った結果として、ブレーキ力が足りないのに140キロが出せたというストーリーは、描こうと思えば描けると思います。
これがどうして最悪かというと、仮に、あくまで仮の話ですが、そういった運用が可能であれば、どんなに日本の鉄道車両が優秀でも、輸出の仕方に問題があると、勝手に危険な使い方をされてしまうからです。
もっと最悪なのが2番目です。この台湾の東部というのは、山が海に迫る地形もあって経済的には開発が遅れた地域でした。また、中国から内戦を逃れてきた人々ではなく、少数民族など台湾に先住していた人々の多い地域です。
現在の蔡英文総統が属する民進党は、この東部の開発を推進してきた勢力です。ですから、仮にその東部の宜蘭線でこうした事故が起きて、しかもその原因が構造的な問題だということになると、政治問題化する危険があるわけです。そうなると、運転士個人のヒューマンエラーという結論にどうしても誘導しがちになる、そんなファクターが絡む危険性もないわけではありません。
仮にそういった要素が働いて、真相解明ができないようですと、これこそ最悪の結果ということになります。そうならないように、事実の解明が待たれま
す。
image by: 蔡英文 - Home | Facebook