超高齢化社会へと足を踏み入れた日本において、切り離せないのが「介護問題」。そんな中、今回の『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の編集長・柴田忠男さんが取り上げているのは、父を看取り、現在は認知症の母親の世話をしている阿川佐和子さんと、高齢者医療の第一人者である大塚宣夫氏の対談を収めた1冊です。阿川さんの経験から学べる話もさることながら、痛快で思い切りの良い大塚医師の一家言も必読です。
『看る力 アガワ流介護入門』
阿川佐和子・大塚宣夫 著/文藝春秋
阿川佐和子・大塚宣夫『看る力 アガワ流介護入門』を読んだ。94歳の阿川弘之を看取り、いまは認知症の母を世話する、介護経験豊かな阿川と、高齢者医療の第一人者が語り合う、親&伴侶の正しい介護法、理想的な老後の生活術、だという。わたしも妻も、もう親はいないから、「看る」も「看られる」も夫婦間の現実となる。これは避けては通れない。なにしろ当事者なんだから。
タイトルが全然違うぞ。これは「アガワ流介護入門」ではない。大塚先生のきっぱり正々堂々の意見に、介護に一家言ある、口の達者な阿川でさえ翻弄される痛快&スーパーリアルな対談である。阿川は「看る側」の心構えとして「介護は長期戦と心得よ」を挙げる。平凡である。相手が悪かった。いや凄すぎた。
認知症とは一言でいえば「記憶の障害があるゆえに、自分の中に入ってきた新しい情報をうまく処理できなくなっている状態」だという。基準となる照合すべき記憶に到達できないので、今の状況をどうしていいかわからない。それでも、本人としては少ない記憶を駆使して自分なりのベストの判断で行動するのだが、たいていは間違っていて、周りから叱責されたり咎められたりする。
人の非難を聞くと自分が何か悪いことをしたのかと不安になり、おどおどする。この混乱が次の混乱を呼び、認知症の症状が悪化したようにみえる最大の理由である。認知症になった相手には教育的効果は絶対期待してはならない。言われたことを覚えていられない。学習はおろか、新しく記憶ができないのだから。
かなり認知症が進んでも、ある程度のレベルを保つ生活は充分可能である。一人暮らしもできる。まわりの人がいうほど危険なことはまず起きない。余計なお世話は不要、もっと世間が寛容になるべきである。世間の不寛容さが、結果的に本人のもてる能力を削ぎ、衰弱を早める。高齢者医療の第一人者が、こう力強く言ってくれるのだから間違いないだろう。阿川はやや及び腰だが。
「孤独死で何が悪い」というのは大塚。人のいるところでなきゃ、死んではいけないのか、と。孤独死は「社会や国のせいだ」「家族が悪い」という論調で、「人は必ず誰かの見ているところで旅立つべきだ」といった「あるべき論」が盛んなことを、高齢者の現場で奮闘する大塚は苦々しいと思っているようだ。
一人、あるいは高齢者同士の暮らしは、少々体調が悪くても自分で動かなければならないから緊張感がある。一見苛酷にみえても、老化防止や認知症の進行を防ぐ特効薬である。周囲の人が助けたり、施設にいれてしまうと、それまで自分なりにやって来た生活全般が人任せになる。気力が失われ、体力が低下する。認知症に拍車がかかる。よけいなお世話が、何もできない存在を作り出す。
「認知症の方の言動は全部、その人なりの理由があります。本人にとって正しいことなんです。だから、周囲はすべてを受け入れて対処するしかありません。となれば早期診断は、ご家族が対処の仕方を早く学べるという意味でメリットがある。認知症のいちばん辛いところは、本人はともかく周囲が、それを『なかなか受け入れられない』という点ですから」。年寄りのいる家族、読むべし。
この対談は、老人の取り扱い説明書として有効である。「高齢者の認知症の始まりは、周囲は何となく分かる。何となく雰囲気が違う、人柄が変わったように思える、と感じたら認知症を疑ったほうがいいかもしれない」「75歳より前に死んでしまえば、認知症になる可能性がぐっと減る」いいね。
編集長 柴田忠男 72歳
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