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心理学者が解説。ディズニーランドに行くと元気になる明確な理由

人生に終りがあることを頭では理解していても、ときどき永遠に続く循環の中にいるような気持ちになることはありませんか?これは自転や公転、地軸の傾きなどを源泉とする「サイクル魔法」の賜物と説くのは、心理学者でメルマガ『富田隆のお気楽心理学』の著者、富田隆さんです。人が活力をもって明日も生きていくために作り出した「サイクル魔法」。実は、ディズニーランドも用いているそうです。

サイクル魔法「終りなき世のめでたさを…」

サイクル魔法の源泉は大自然にあります。私たちが住む地球という惑星は、およそ24時間で一回転。さらには太陽の周りをおよそ365日で一周する。ちょっと地軸が傾いているお陰で、一年間で春夏秋冬がひと巡りするようになっています。そういう繰り返しの中で生きている。そして私たち人類は、カレンダーを発明して、曜日も発明して、私たちがあたかも「永遠のサイクル」の中で生きているかのような錯覚、いや、社会的な共同幻想を創ることに成功しました。

お正月は、もともとカレンダーの仕掛けによって決められた行事ですから、このお正月という儀式には、サイクルの魔法を解く力と同時にサイクルの魔法をかける力も備わっています。「一月一日」という文部省唱歌は、次のように詠っています。

年の始めの 例(ためし)とて  終(おわり)なき世の めでたさを  松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに  祝(いお)う今日こそ 楽しけれ

この歌では、門松は「冥土の旅の一里塚」などという縁起の悪いものではなくて、「終りなき世」を祝うための、めでたい標(しるし)とされています。一年というサイクルが一巡して、また新しい年が始まり、この循環の輪は永遠に回り続けて終ることが無い。これを象徴しているのが門松なのだから、めでたい、めでたい、というわけです。

とは言うものの、よく考えてみると、それだけじゃめでたいとは言えません。確かに一日、ひと月、春夏秋冬、一年、と時間の方は永遠に繰り返して終りがないとしても(科学的に考えれば、宇宙のゼンマイはどんどん緩くなっていき、やがては地球の自転も公転もゆっくりになり、宇宙全体が熱的平衡という死んだような状態に向かう可能性が高いのですが)、私たち個人個人は束の間の生涯を終えて早々に退場しなきゃならない。終りなき世に終りを迎えるのが私たちの人生なのですから、あまりめでたくはありません。

「輪廻転生」

これを救ってくれるのが「輪廻転生(りんねてんしょう)」的な考え方です。つまり、日の出と共に朝が来て、やがて夕日が落ちて夜が来るけれど、また明日になれば、太陽は復活して朝になる。これと同じように、私たちはやがて人生を終えこの世から退場するけれども、また時を経てこの世に生まれ変わる、と考えるのです。

輪廻転生的な再生を信じている人は、現在でも決して少なくないはずです。ヒンズー教徒や仏教徒の大半は、何となく「そんなこともあるんじゃないかな」という世界観を共有しているはずです。日本の古代の人々も、人間は生まれ変わって、あの世とこの世の間を何度も行ったり来たりするものと考えていました。

しかし、ユダヤ・キリスト教などの一神教を信じている人たちは、原則、輪廻転生を信じていないはずです。最後の審判により、この世の終りに生き返るのは「復活」であって、輪廻転生ではありません。一回きりで「繰り返し」はないのです。

彼らが中心になって創り出した自然科学の描く世界像も、ビッグバンのような始まりがあって、やがて、熱的平衡のような終りを迎える。そこに繰り返しはありません。そして、現代になると、ヒンズー教徒であれ仏教徒であれ、世界中の人々が科学的な教育を受けることによってこの考え方に変わりつつある。そうなれば、サイクルの魔法もその効力を失ってしまいます。 でも、本当にそうでしょうか?

ディズニーランドに潜む「死と再生」の神話

以前、『ディズニーランド深層心理研究』(KOU BUSINESS)という本の中で、「ディズニーランドには『死と再生』というテーマが隠されている」と書いたことがあります。例えば、「カリブの海賊」。船に乗って水路を進んで行くと、私たちは最初に死んでしまって骨になった海賊の姿を見せられます。骸骨と化した海賊がまばゆい財宝の上に宝物を手にしたまま執念深く座っていたり、嵐の中で幽霊船の舵輪を操縦しているのも骨だけになった海賊です。そこは生命の気配がない死の世界です。

ところが、狭い洞窟を抜けて広い空間に出ると、急に全てがにぎやかになります。生命にあふれた復活の空間が現れるのです。海賊たちはよみがえり、船に乗って大砲を撃ち合い、街を襲っては金品を略奪し、美女を追いかけ、酒を飲み、乱痴気騒ぎを演じています。死から再生への転換が見事に行われるのです。

同様に、一見、ただの観光列車のように見える「ウエスタンリバー鉄道」に乗っても、私たちは「よみがえり」を体験することになります。もっとも、このアトラクションでよみがえるのは人間ではなく恐竜ですが…。

列車がビッグサンダーマウンテンを通過するときアナウンスが流れ、遥か昔、アメリカ大陸には巨大な恐竜が生きていたが、今は化石となってこの山に眠っている、ということを知らされます。案内に従って左手を見ると、確かに、山の中から突き出た恐竜の骨が見えるではありませんか。そしてその後、列車がトンネルに入って行くと、不思議なタイムスリップが起こり、私たちの目の前に「生きた」恐竜が現れます。大地の子宮の中で恐竜たちは再生するのです。

その他のアトラクションなどにも、この「死と再生」というテーマは繰り返し現れます。皆さんも探してみてください。 大切なのは、お客さんたちが無意識のうちにこの「死と再生」という暗示(それとなく伝えられる心理的な手掛かり)を受け入れてしまうということなのです。お客さんが死と再生の神話に共鳴した結果、生まれ変わりの疑似体験は共有され、お客さん自身までもが生き返ったかのように精神をリフレッシュして元気になり、幸せな気分を満喫するのです。

確かに、合理主義と科学(ときには唯物論までも)を信仰する現代人は「意識のレベルでは」輪廻転生など信じていないでしょう。しかし、そんな現代人でも心の深い層、意識の光が届かない原初的な精神領域では、どこかで輪廻転生や魔法の力を信じたがっているのです。どんな大人でも、その心の底には無邪気な子供が生き続けています。ディズニーランドの成功は、これを証明しています。

幻や錯覚にも価値がある

そんなわけで、依然として「サイクルの魔法」は現代人に対しても極めて有効です。私たちは、サイクルの魔法を使って「永遠」という幻を見ることができるのです。未来は永遠に持続し、この世に終りはなく、私たち人間も輪廻転生を繰り返す不滅の存在です。いくら理性ではそれが非科学的で不合理な幻想だと知っていても、私たちの心中の子供はそれを求めています。ときには死へのカウントダウンという現実を忘れて「終りなき世のめでたさ」を祝いたいのです。

ロマン主義の芸術運動には近代の産業社会に対する反逆という一面がありました。19世紀当時の、合理主義と効率主義、唯物主義と科学主義によって支えられていた無味乾燥な社会にあって、彼らは人間性の回復を求めました。当時、人間の精神活動のうちでは合理的な「理性」ばかりが大切にされ、一見不合理な「感情」や「直観」などは邪魔ものあつかいされたのです。もちろん、ビジネスに感情を持ち込むことは許されず、あくまでも理性的にものごとを進めるのが正しいとされました。

しかし、スイスの心理学者C.G.ユングも指摘しているように、感情は好き嫌いや善悪などの「価値判断」をつかさどる大切な精神機能です。こうした感情を抜きにした理性一辺倒の社会はバランスを欠いて、非人間的で窮屈なものにならざるをえないのです。

ロマン主義の運動は、人間性を解放するために、恋愛といった感情が主役となるテーマを好んで取り上げ、幽霊や魔術、狂気や犯罪などの非合理なできごとに関心をもちました。彼らは合理主義者たちが見向きもしなかった、人間性の側面に光を当てたのです。

幻や錯覚は、合理的な科学的精神から見れば、単なる「まちがい」であり、意味のないものかもしれません。しかし、人間はときに幻によって救われ、錯覚さえも楽しむのです。唯物論的には意味のない虚構も、心理的にはリアルな現実であり、人間の心も行動も、こうした幻や錯覚によって動かされるのです。幻が現実を産み出すとすれば、そこには何らかの意味がある。幻や錯覚にも人間にとっては価値があるのです。

image by: Chih Hsuan Peng / Shutterstock.com

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