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シリア拘束の安田純平が自ら語る、「身代金」の有無について

3年4カ月もの長きに渡ってシリアで武装勢力に拘束、2018年10月に解放され帰国したジャーナリストの安田純平さんが、1月4日にメルマガ『安田純平の死んでも書きたい話』を創刊。その創刊号にて「身代金が払われた可能性」に関して思うことを初めて明かしました。さらに安田さんはこの続編の原稿を創刊2号でも公開、今回も内容の一部を抜粋してご紹介いたします。

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日本人を危険に陥れる”自爆”行為

ドアを開けて部屋に入ってきた私を見て、その男性は一瞬、驚いたような顔をして立ち上がった。40カ月も行方が知れなかった人間が目の前に現れたのだから、幽霊でも見たかのような気になるのもやむを得なかった。

「安田さんですね。お疲れ様でした。一応確認します。奥さんのことを何と呼んでいて、奥さんからはなんと呼ばれていますか」

黒いスーツを着たその男性に日本語で尋ねられた。

「『おく』と『ぷく』です」

私が答えると男性はうなずいて質問を続けた。

「小さいころ飼っていたペットの名前は何ですか」

思いもしなかった質問に、私は思わず破顔した。

イモです」

男性も笑顔になって「イモですね」と確認するように言った。

2018年10月23日に武装組織からトルコ側に引き渡された私は、トルコ・アンタキヤ市内の入管施設に入れられていた。

翌24日の朝、「すでに世界中が、お前がここにいることを知っているぞ」と入管職員に言われ、所長室に案内されると、在トルコ日本大使館の日本人職員2人とトルコ人通訳1人が待っていた。

最初の質問は以前にも拘束者たちから聞かれたものであり、「またか」と思ったが、その後に続いたいくつかの質問はいずれも初めての内容だった。「イモ」は小学生時代に自宅で飼っていたニワトリに付けていた名前である。こんなことを知っているのは私の家族だけだ。さらに、結婚パーティーを開いた場所、婚姻届の証人になった人の名前を聞かれた。私しか答えられない質問をして本当に私であるかどうかを試す、典型的な生存証明・身元確認の作業だ。

この時の質問項目を、私の妻が外務省邦人テロ対策室の職員から聞き取られたのは2015年8月。妻が日本政府に渡した質問事項はこれだけで、拘束中にはこれらの質問はされていない日本政府が私が生きているという生存証明を得たのは、2015年6月22日の拘束以降、これが最初で最後である。

私しか答えられない質問は監禁中にも拘束者から聞かれているが、前出とは違う内容だ。2016年1月6日に回答を書かされた、

  1. 妻を何と呼んでいるか
  2. 仕事で使っている椅子をどこで買ったか
  3. 普段買う焼酎の銘柄
  4. 通っているジムの名前
  5. 関西の親友の名前
  6. 本籍地
  7. 出会ったきっかけ

の7項目である。こちらの質問項目は、仲介役になろうとした危機管理コンサルタント会社CTSSジャパン」のスウェーデン人ニルス・ビルド氏が2015年9月に私の妻に書かせたものだ。

日本側からの反応がなかったからか、私は同16日にも同じ質問に答えさせられた。「Harochaakan」「Danko6446」「Bujifrog」という暗号を入れ綴りを少し変えるなどして「払っちゃあかん」「断固無視しろ」「無事frog(カエル=帰る)」という意味を伝えようとしたことは、帰国後に報道されたとおりだ。

問題は、私の妻が私からの回答を確認できたのが2018年8月になってからで、独自に入手した某テレビ局から見せられたのであり、日本政府からではなかったことだ。

約2年8カ月も過ぎていては、生存証明としての意味はない。回答が正しいことを確認しなければ無意味であり、確認できるのは妻だけだから、もしもこの間に日本政府が入手していたならば必ず妻に確認していたはずである。

私の家族への対応窓口だった外務省邦人テロ対策室の担当者と、私の家族とは互いに随時連絡を取り合っており、私からの回答を得たのならばわざわざ妻への確認を避ける必要もない。

無数の自称仲介者根拠不明の情報を日本政府側に持ち込んでいた状態で、情報分析にあたっていた外務省関係者によると「何が本当で何が嘘なのか判別することすら困難だった」という。たとえ日本政府が同テレビ局から知らせを受けていたとしても、そうした間接情報で生存証明とみなすはずがない。

つまり、日本政府はこのやりとりに全く関与していない

拘束中動画が4回静止画が1回公開された。ほかにも公開されていない動画を1回、2018年9月上旬に撮られている。日付と、拘束者から呼ばれていたイスラム名「ウマル」を言わされたものだ。また同8月下旬と、トルコ側に引き渡される前日と当日にリンゴを持たされて静止画を撮られている。

動画はいずれも私が日付を話しているが、これでは生存証明にはならない。過去や未来の日付を言わせて撮影していた可能性もあるからだ。撮影された動画も静止画もすべて、いつの時点のものか示すものではなかった。

結局、私の拘束中に取られた唯一の生存証明は、前出の2016年1月に2度答えた7つの質問への回答だけだった。それが機能しなかったことはすでに書いた通りだ。また、日本政府は私の妻から生存証明を取るための質問項目を取得していたにも関わらず、解放された後までそれを使用しなかったか、使用したが拘束者には届かなかった。日本政府は、私が解放されるまでの間、私が生きているかどうかの確認をしなかった、もしくはできなかったいうことになる。

身代金などの対価を人質と交換するためには、事前に生存証明を得る必要がある。これがなければその交渉相手が本当に人質の身柄を押さえているのか分からないし、生きているという証明がなければ、人質を救出できないうえに金だけ奪われる恐れがある。

解放1カ月前の9月中旬外務省の担当者は「信頼できる情報源」から得たとして、私の妻に私の近況を知らせたが、内容は事実とは全く異なるものだった。「過去にも人質解放に成功しており、その情報源がよいと考えている」ということだったが、私の拘束者につながる情報源だったのかというと疑問があると言わざるを得ない。

しかし、「信頼できる」と考えていたのだから、解放交渉をする気があるならばしていたはずだし、本当に拘束者なのか確認し、私が生きているのか確証を得るために生存証明を取っていたはずだ。

外務省担当者は当時、妻に「拘束者側のトップと話ができている。金は払わないという日本政府の立場は変わらず身代金以外の方法を探っている」と話していた。対価を渡すわけではないから、実際に私を拘束しているのか、本当に生きているのかを確認する必要はないと考えていたのかもしれない。情報が嘘だったとしても、何も渡さなければ失うものはない。生存証明を取ると身代金などを払うかのように思われる恐れがあり、あえて求めなかった可能性もある。

これらを考慮すると、日本政府が本物の拘束者との交渉ができていたかは疑問だし、できていたとしても、身代金など対価を渡すという話にはならなかったということは言えるのではないか。(つづく)

※この原稿は、メルマガ『安田純平の死んでも書きたい話』の創刊2号から一部抜粋したものです。全文お読みになりたい方は「初月無料」のメルマガをご登録の上、お楽しみください。

Photo by: MAG2 NEWS

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