シリア拘束から解放された安田純平はメルマガで何を語るのか?

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3年4カ月もの長きに渡ってシリアで武装勢力に拘束、2018年10月に解放され帰国したジャーナリストの安田純平さんが、1月4日にメルマガ『安田純平の死んでも書きたい話』を創刊しました。拘束中に書き残した日記などを元に綴られる、その過酷な生活や知られざる裏話を配信していくとのこと。その創刊号において、多くの人々の関心を惹いた「身代金が払われた可能性」について、当事者である安田さんが自身の言葉で「思うところ」を初めて明かしました。その内容を一部抜粋してご紹介します。

“デマ”から始まったシリア人質事件

「こんなことやっても日本は絶対に金払わないぞ」

「日本は払う。お前はイラクで拘束されたのに解放されただろ」

「俺がイラクで捕まっていたのはたったの3日間だけだぞ」

「えっ。そうなの」

2016年5月23日、シリア北西部イドリブ県のどこかと思われる民家に監禁されていた私の部屋に、黒い覆面をした二人組が写真を撮影しに来た際の彼らとの会話である。拘束から11カ月もたっているのに拘束者たちがこの程度の認識であることは、私にとって衝撃だった。

2015年6月22日の深夜にシリアに入った私は、正体不明の武装組織に拘束されていた。同年2月、イスラム国(IS)に人質にされた日本人の後藤健二さん、湯川遥菜さんが殺害されており、日本政府が身代金を払わないことが明白であったにも関わらず、彼らは私を人質にした。

拘束当初、スパイ容疑をかけられていた私は、過去の仕事内容を説明する必要があり、その中で私が2004年にイラクで拘束された件を知った彼らは、「日本政府は拘束された人間によっては、もしくは、拘束した組織によっては金を払う」と考えた。私が2004年当時、「人質」と報道されたからだ。

2004年4月、イラクの首都バグダッドの西方約60 キロのファルージャを米軍が包囲攻撃を行い、数百人規模の死者が出ていた。その周辺部分を探ろうとしていた私は同14日、バグダッドの西20キロのアブグレイブで拘束された。

拘束場所には近所から子どもたちが見物に来たほか、当初は布で顔を覆っていた一部の拘束者たちも最終的には全員が素顔をさらすなど、「武装組織」というよりは地元の自警団という印象だった。暴行や虐待といったものはなく、同17 日の朝に解放された。

この件は、拘束翌日には日本メディアによって「人質」として報じられた。「どのような要求があったかは不明」という表現がされていたが、「要求があった」という根拠は何も示されていなかった。

このころ、ファルージャで日本人3人が人質にされ、「3日以内に自衛隊をイラクから撤退させなければ焼き殺す」と脅す動画が報道されて、日本国内は大騒ぎになっていた。私と一緒に拘束されたがすぐに解放された通訳から私が拘束されたと聞いた日本メディアは、同様の事件と判断し、事実関係が何も分からないまま「人質」と報道したわけだ。

2004年当時にイラクで拘束された安田さんが、先に人質となっていた3人の日本人と同様の事件と判断されて日本のマスコミに「人質」と報道されたことを知ったシリアの武装勢力は、日本政府から身代金を取れると踏んで「人質」にした、安田さんはそう見ています。

さらに、2004年のイラク拘束が「人質」では無かった根拠について、安田さんは以下のように綴っています。

拘束直後、座っている私の後ろに彼らが立ち、私のビデオカメラで動画を撮られたが、この映像は公開されていない。覆面をしていない彼らの顔を私が拘束前に撮影しており、彼らは「テープはカメラごと破壊した」と言っていた。

私の身柄と身代金など対価を交換するために絶対的に必要となる生存証明も、拘束されている間に一度も取られていない。生存証明がなければ、生きているかどうかも分からないまま一か八か金を払うことになってしまう。

生存証明で重要なのは、いつの時点まで生きていたか、である。単に動画や写真を撮ったり、個人情報を書かせたりしただけでは、いつの時点にそれが行われたのか証明できない。

例えば、私しか答えられないような質問を家族に書かせて拘束者に送り、返ってきた私からの回答が正しいと家族が認めれば生存証明になる。拘束者がいつ受信し、いつ私が回答したかは証明できなくても、少なくとも質問を送った時点では生きていたことは分かる。また、直近の新聞を持たせて写真を撮れば、その発行の日付までは生きていたことになるし、最近報道された事件の内容などを私に言わせて動画を撮れば、その事件発生までは生存していたことになる。

しかし、イラクで拘束されていた間にそうした類のものは一切取られていない。

先に人質になっていた日本人やその家族への激しい批判が巻き起こっていた最中に、身代金を払ってでも私を救出すると決定し、相手側と金額などの交渉をして、生存証明がないにも関わらず金を渡して身柄を引き取る、といったことが3日後に解放されるまでの間に行われたとは考えられない。

自国民がISに拘束されたフランスやスペインなど欧州諸国は身代金を払ったと報じられており、人質自身もそれを否定していない。これらの国々は、身代金を払わなければ殺害するIS相手にでも何カ月も値引き交渉を重ね、その間に生存証明を何度も取ったうえで解放させている。日本政府が、生存証明も取らずにたった3日で金を払っていたとは思えない。(中略)

私は10年後の2014年4月、アブグレイブ出身の高齢のイスラム教スンニ派法学者にインタビューを行い、「日本人をスパイ容疑で拘束したが、スパイでないと分かったので丁重にもてなして解放した、と報告を受けていた」との証言を得ている。

イラクでの拘束は「人質」では無かったという根拠を、自らの手で突き止めようと動いていた安田さん。しかし、当時のマスコミが流した人質という「誤報(デマ)」は、その後も訂正されることはありませんでした。

当事者そのものに会うことができなかったのは大きな心残りだったが、10年間ずっと心の中に引っかかっていた事件の事実の一端に触れることはでき、自分なりに納得はできた。しかしこれをメディアで発表する機会は得られず、「人質」報道を覆すリポートはできなかった。日本メディアは事件後、次第に「人質」ではなく「拘束」と表現するようになっていたが、「人質だった」という“デマ”は消えることはなくネット上に残ったままだ。

2015年6月にシリアで拘束された際、彼らに対しこれらの説明をしたが、「大金が入る」と思い込む彼らには通じなかったようだ。「俺たちはISと違ってよい組織だから日本は払うに違いない」という彼らに、「世界中の人間がお前らをISと同じだと考えている。人間を人質に取って金を要求するという行為が同じだからだ。ISに払わない日本政府がお前らに払うわけがない」と何度も言ったが、食い物を前によだれを垂らす飢えた野良犬のような状態の彼らに何を言っても無駄だった。

拡散された事実上の“デマ”が、シリアで本当の人質にされる大きな要因の一つだったことは間違いない。

ネットに残り続けた「デマ」によって、シリアで本当の「人質」になったと分析する安田さん。

そして、たびたび日本で報じられた、あの「オレンジ服」による写真の撮影についても、その裏話を明かしています。

2016年5月23日、撮影に来た2人組のうち英語のできる男にも同様の説明をしたが、初めて私の前に来たこの男は「イラクで人質だった日本人」ということしか知らされていなかった。「たった3日だった」と私が言うと驚いてしばらく無言だったが、気を取り直したのか、オレンジ色の服を出して「すぐにこれを着ろ」と言った。

オレンジ服といえば、武装組織アルカイダやイスラム国に人質に取られた人々が着せられて脅迫ビデオを公開される、中東報道ではおなじみである。そうした動画を公開された人質はほとんど殺害されている。

その服は子ども用のTシャツで、前面に大きな絵柄のプリントがされており、フードまでついていた。彼らがフードを切り取ったところ、襟元が大きく広がってしまった。そのため、Tシャツを裏返したうえで前後逆に着せられた。子ども服は、運動不足で痩せた私の体にも小さかった。

紙とペンを渡され、「助けてください。これが最後のチャンスです」と日本語で書くよう命じられた。「そんなのは恥だから嫌だ」と訴えたが、「強制されただけだということくらい誰でも分かるだろ」と言われただけだった。

抵抗しすぎると拷問や殺害の恐れがある。文章の中に暗号を入れることも考えたが、写真がネットなどに公開されるとしたら、それを見た日本人が暗号の意味をツイッターなどに書き込み、奴らにバレてしまうかもしれない。それは極めて危険だ。

日本側に送るためとしてこれ以前に書かされた文書に「放置しろ」という内容の暗号をすでに入れており、今回はおとなしく従うことにした。拘束から11カ月たっても身代金を払う動きを見せない日本政府が、今さらこの写真に反応することはないだろう。子ども用のTシャツを使うなんて、ただのパロディだと思われるに違いない。無理をして抵抗する場面ではないと判断した。

男は、書いた文字を見て「これが漢字か?」と言った。私が書いた内容を確認するためにわざわざ日本語を勉強したのだ。暗号を入れられる可能性を彼らも想定している。やはり無理は禁物だ。とにかく生きて帰らなければならない。

忘れた頃にたびたび報道された、あのオレンジ服姿の安田さんの写真にも、このような裏があったのかと驚かされます。

以上、創刊号よりほんの一部を抜粋してご紹介しましたが、次号以降も続くシリア拘束の「身代金支払い」に関する自己分析、そして、あの記者会見では語られなかった拘束生活の意外な真実の数々を、今後メルマガ『安田純平の死んでも書きたい話』で明かしていくとのことです。

40カ月もの間シリアの武装勢力に拘束されながら、無事に生還を果たした安田純平さんの記憶と記録を綴る奇跡のメルマガにどうぞご期待下さい。

Photo by: MAG2 NEWS

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ジャーナリスト安田純平が現場で見たら聞いたりした話を書いていきます。まずは、シリアで人質にされていた3年4カ月間やその後のことを、獄中でしたためた日記などをもとに綴っていきます。

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