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マスコミが報じる「米中覇権争い」や「新冷戦」は存在するのか?

米中両国がさまざまな分野で緊迫したやり取りをしていることについて、「覇権争い」や「新冷戦」といった言葉が踊ることに強い違和感を訴えているのは、メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』の著者でジャーナリストの高野孟さんです。高野さんは、それらの言葉が成り立つ条件が両国間には存在しないと解説。トランプ大統領の貿易政策は、覇権国という居場所を失った米国が撒き散らす「老害」であると鋭く指摘しています。

「米中覇権争いで新冷戦が始まった」は本当か?

日本のマスコミが米中関係の緊迫したやり取りを報じるについて、いとも簡単に「覇権争い」とか「新冷戦」とかいう言葉を──定義不明のままに──乱舞させていることに、強い違和感がある。

私に言わせると、米中はいま、通商やハイテクなど様々な分野で「主導権(initiative)争い」を演じているのは事実だが、それと「覇権(hegemony)争い」は同じではない

米中の覇権争い?

覇権にはもちろん一般名詞的な意味もあるけれども、国際政治経済用語としては、16世紀のポルトガル、17世紀のオランダ、18~19世紀の大英帝国、20世紀の米国と、圧倒的な軍事力・政治力・経済力を持つ国がほぼ1世紀ごとに台頭して世界の秩序づくりを取り仕切ってきたという経過を表している。各時代の覇権国が、その時々の世界で最強の外洋艦隊を持つ海洋国家であったというのは偶然ではなく、資本主義はアフリカ、アジア、中南米の辺境の果てにまでフロンティアを求めて競い合い奪い合うことを通じて膨れあがってきたからである。

そこで問題は、米国の衰退が日に日に露わになる中で、21世紀には中国がそれに取って代わって世界を取り仕切る新覇権国になろうとしているのかどうかである。結論はノーである。

まず第1に、資本主義がすでに終焉を迎えている中で、覇権という概念もまた死滅しつつある。水野和夫が言うように、「利潤をもたらしてくれるフロンティアを求めて地球の隅々にまでグローバリゼーションを加速させていくと、地球が有限である以上、いつかは臨界点に達し、膨張は収縮に反転する。資本の自己増殖を目的とする資本主義が限界に達している現在、これは当然のなりゆき」なのである(『閉じていく帝国と逆説の21世紀経済』集英社新書)。大国同士が争えばそれは必ず覇権争いだと思うのは20世紀までの常識にすぎない。

第2に、仮に中国が勘違いして覇権国に成り上がろうと思っても、世界の7つの海を支配するだけの外洋艦隊を持っていないし、将来持ったとしてもそれを使って攻めて奪うべきフロンティアが存在しないから、そんなものを持とうとすること自体が丸っきり無駄である。軍事力にモノ言わせる時代は終わっている

第3に、確かに地球上では地理的なフロンティアはなくなったけれども、電子空間、第5世代(5G)移動通信システム、AIとその応用システム、GPS、宇宙開発など非地理的な領域で競い合いが激しくなっているではないかと言う人があるかもしれない。それはその通りで、地上で貪るものがなくなった資本主義はあくまで強欲に、電子空間や宇宙にまで仮想フロンティアを求めて舞い上がっている。しかしこれらの問題は、地球温暖化問題などと同様、どこか力の強い国が全体を支配すれば解決されるという筋合いのものではなく、国際公共の価値を皆でどうやって形成しルールを編み出していくかというアプローチに馴染む。

その意味では、これらこそ、ポスト覇権時代の「多国間主義」による国際共同管理体制への練習問題として取り組まなければならないはずだが、それを米国が一番理解せず、電子空間管理の問題を直ちに「サイバー・ウォー」の問題へと置き換えて、そこに国際法、とりわけ武力紛争に関する国際的なルールを適用するよう主張している。それに対してその米国のサイバー・ウォーの仮想敵とされている中国とロシアは、「国連サイバー政府専門家グループ」による国連ベースでの多国間協力によるルールづくりと紛争解決を主張していて、これに関しては米国が20世紀的で中露が21世紀的である。

こうして、米国の一部にもたぶん中国の一部にも、20世紀的発想の延長上で事態を覇権争いと捉える時代遅れの人々がいて、攪乱的な役割を果たしているのだけれども、本質的に考えて米中間に覇権争いはない

「新冷戦」とは何か

では「新冷戦」とは何か。これが言われたのは初めてではなく、米国がレーガン大統領の時代の初期に旧ソ連を「悪の帝国」と呼び「スター・ウォーズ計画」などを打ち上げて軍事的優位の確保を宣言した際に盛んに用いられた。今度は中国が相手の「新新冷戦」という訳である。

さて冷戦とは、上述の覇権システム変遷史の最後の1ページを飾った特殊な事象である。第2次大戦を通じて英国から奪って覇権を確立した米国は、1950年の名目GDPで見ると世界ダントツ1位の27%で、全部まとめても26%の西欧や3%の日本などを従えて、まさに盟主となったのだが、それはあくまで「西側世界」の盟主にすぎなかった。欧州正面の東側には旧ソ連(10%)というもう1つの盟主があって、東欧(計3%)、中国(4%)などを率いていた。

両陣営はそれぞれ自由主義、共産主義というイデオロギーの旗を掲げ、NATO、WTOという強固な集団的軍事同盟を作り上げ、いざとなれば全面戦争も辞さない構えで、万年、一触即発の緊張状態の中で対峙してきた。しかし実際には、本当に戦争になればそれぞれの盟主同士の核兵器の撃ち合いにエスカレートするのが分かり切っていたため、熱戦は抑止され、それ以外のあらゆる分野で抗争を続けた。だからそれは冷戦と呼ばれたのである。

そこで米中関係を見れば、そこには特にイデオロギーの対立は存在しない。時代遅れの反中国派は「共産党の一党支配が続いているではないか」と言うけれども、世界の多くの人々は、それが開発独裁の便法にすぎず、実際に中国が進めているのは社会主義市場経済という名の、政治に強くコントロールされた形の資本主義の別モデルの実験であることをよく理解している。従ってまた中国も米国も、陣営を形成することがないし、陣営がなければ盟主にもなれない。今どき、まだ米国を盟主だと思っているのは日本の自民党政権くらいしかないのではないか。

そもそも軍事力にモノ言わせる時代が終わっているし、米中間に戦争によって解決することができるような問題が存在しないので、両国間に全面戦争が起きる可能性はゼロである。南シナ海問題は少し深刻で(どう深刻かはいずれ分析する予定である)駆け引きが続くので、偶発的な衝突が起きる危険はあるが、双方ともそれを充分に認識しているので大事に至ることはない。戦争がないのであれば、双方とも陣営を形成して身構える必要もない。

さらに、かつて旧ソ連と米国との間に経済の相互依存は皆無だったが、米国にいる外国人留学生の3割が中国人で、GMが作る車の4割が中国市場で売れているという状況で、生死を賭けた抗争など出来るはずがない。

従って、いま米中間で交わされているのは、単なる2国間関係の駆け引きの激化であって、新冷戦ではない。

トランプの語り口

以上のような国際情勢知識のイロハをトランプ大統領が理解しているのかどうかは分からない。しかし、2月6日にようやく実現した今年の一般教書演説を聞く限り、彼はマイク・ペンス副大統領やピーター・ナバロ補佐官のような狂信的な反中国派とは明らかに一線を画しているようだ。中国に触れた部分の全文は次の通り。

▼驚異的な経済の成功を築くためには、最優先事項として、数十年にわたる悲惨な貿易政策を転換させることだ。

▼我々は中国に対し、長年にわたって米国の産業を狙い、知的財産を盗んできた今、雇用と富を盗み取るのはもう終わりだと明確にしておきたい。我が国は最近、約2500億ドル(約27兆4000億円)の中国製品に関税を課した。財務省はいま、中国から何十億ドルも受け取っている。

▼しかし、我々を利用したと、中国を非難するつもりはない。私は、この茶番を許した我が国の過去の指導者と議員たちを非難する。私は習近平国家主席をとても尊敬している。

▼我々は今、中国との新しい貿易協定に取り組んでいる。しかしその新たな協定には、不公正な貿易慣行を終わらせ、慢性的な貿易赤字を減らし、米国の雇用を守るために、実質的で構造的な改革が含まれなければならない…。

「とても尊敬している(I have great respect for)」という言葉まで用いて、習近平との対話を絶やすつもりがないことを表明したのは結構なことである。とはいえ、対中国に限らず貿易不均衡を「勝ち負け」で捉えるというトランプの余りに幼稚な発想では、とうてい満足できるような結果が得られないことはハッキリしている。

米国が赤字を出している国に関税をかけて輸入を減らせば、確かに赤字は減るけれども、その輸入に頼っている米企業や消費者は困ってしまう。例えばの話、トランプの選挙演説会では「アメリカ・ファースト」を強調するために星条旗の小旗が打ち振られるが、その旗は米国内では作っていなくて中国製だと言われる。

またある国からの輸入が減ったからと言って、米国からその国への輸出が増える訳ではないから、両国間の貿易は単に縮小均衡に向かうだけである。問題の根本は、米国の産業競争力が劣化して世界に胸を張って売れるものがますます少なくなっているということで、それは米国自身の問題であって中国からの輸入を止めれば米国の産業力が蘇る訳ではないし、米国内の雇用が増える訳でもない。

要するに米国は、20世紀に世界一の覇権国だった時のプライドが壊れるのを恐れて、背後に迫る中国に向かって当たり散らしているだけで、そんなことをしても何の解決にもならないことをよく自覚していない。老いたとはいえまだ充分に体も大きく腕力もある元覇権国が、自分の居場所をよく認知できないまま徘徊して暴力的に振る舞い被害が広がるというこの困った事態を、中露欧日はじめ主要国が巧く分担協力して介護し、静かに寝かしつけることが、21世紀の多国間主義の最初の試練である。

image by: AL hutluht, shutterstock.com

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早稲田大学文学部卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。現在は半農半ジャーナリストとしてとして活動中。メルマガを読めば日本の置かれている立場が一目瞭然、今なすべきことが見えてくる。

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