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違和感しかない。日本メディアの悪癖「実年齢」報道に潜む大問題

犯罪加害者はもちろんのこと、被害者の実年齢までが報じられる日本。そしてそんな報道に接する国民も、さして「年齢表示」に違和感を抱いていません。しかし、「年齢表示がマスト」というメディアの習慣の裏に大きな問題が潜んでいるとするのは、米国在住の作家・冷泉彰彦さん。冷泉さんは今回、自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』でその「問題」を取り上げるとともに、年齢、人種、性別などの属性をいちいち確認するライフスタイルを「完全にオワコン」と痛烈に批判しています。

いちいち年齢を聞くのはオワコン

日本のメディアでは、事件や事故の報道の際に、いちいち年齢を表示するという習慣があります。これはもう習慣というような生やさしいものではなく、まず絶対に表示しないといけないという「オキテ」があるようです。

例えば、交通事故のニュースで、ケガをした人を「山田太郎さん(仮名)」として紹介するような場合には「山田太郎さん(36歳)」とか「山田太郎さん(36)」という形で年齢が表示されます。例えば、個人情報に配慮して、実名を伏せて報道する場合も「Aさん(28歳)」というように、アルファベット+年齢という表示がされます。

被害者や加害者が未成年で、プライバシーを保護しなくてはならない場合も、「Bさん(17歳)」という風に年齢だけは必ず表示されます。小さなコミュニティなどで、年齢情報だけでも個人がほぼ特定されるような場合でも、特に配慮はされずに年齢は報じられることが多いようです。そして、こうした事件や事故の報道における年齢は、警察発表等のウラを取ることもあって、曖昧なものではなく、まず正しい情報であると考えられます。

この年齢報道というのは、色々なドラマを生みます。例えば、美容評論家として、自分自身も美肌を売り物にしてTVなどで活躍していた人が、亡くなって死亡報道がされたことがありました。初めてそこで年齢が公表されたのですが、その年齢が、社会的に認知されていた年齢よりも大幅に高齢だったので話題になったということがあります。

年齢が報じられたばかりに、死亡報道という厳粛な内容が、意外に高齢だったという興味本位の話題に転じてしまったわけです。職業柄「年齢を超えることを目指して」おり、そのために「年齢不詳」というキャラで売っていた方でも、死ぬと否応なしに年齢を晒されるというのは、どこか理不尽な感じがしたものです。

笑えないのが海外の著名人に関する報道で、これも日本では例外にするわけにはいかないらしく、とにかく年齢情報が出ます。しかも、どういうウラの取り方をするのか分かりませんが、かなり信ぴょう性の高い年齢を調べて報じるようです。どうして笑えないのかというと、欧米では芸能人の年齢などは一般的に非公表だし特に話題にはしないのが普通だからです。

例えば、今回、2月27日のアカデミー賞では、歌手のレディー・ガガさんが主題歌賞を取った曲のパフォーマンスをしたわけですが、こんなエンタメ関係のニュースでも、日本では「レディー・ガガ(33歳)」というように、実年齢入りで報じられます。別にいいんですが、やはり基本的に年齢不詳というか、キャラ自身が非日常的なファンタジーとして作られている芸能人の場合、実年齢を並べて報道されるのには違和感を感じます。

勿論、世界的に大きな責任を背負った政治家の場合は、ドナルド・トランプ(72歳)とか、ウラジーミル・プーチン(66歳)というように、一々その「正体をさらす」のも、悪いことではないと思います。ですが、芸能人の場合は、下手をすると本国で必死になって作っているアーチストイメージを、日本の「実年齢報道という縛り」が壊しているとも言えるし、夢が消えるということでは経済的にマイナスの効果もあるのではと思います。

こうした「年齢報道」ですが、特に目的があるのではなく、メディアの方が形式主義に陥っているだけだとか、細かいことにこだわる日本の悪いクセだとかという解説が多くされます。ですから、特に弊害はないという理解が一般的なようです。

そうなのでしょうか?実はそのウラには大きな問題が潜んでいると思うのです。

日本社会が年齢にこだわるのは、事件報道に関係する人物や、芸能人の年齢に関して漠然とした好奇心があるからではありません。そうではなくて、実社会におけるコミュニケーション様式に原因があるのです。

それは年齢による上下のヒエラルキーという問題です。一歳でも年齢が上なら、まず「タメ口」ではなく敬語で話した方が無難、会議や食事の場合は上座にという「序列意識」がコミュニケーションの中で意識されるからです。

仕事でも、プライベートでも、例えば近所付き合いや町内会でも、勿論、日本社会におけるヒエラルキーは、年齢だけで決まるわけではありませんが、とにかく漠然とした「序列」として年齢というものがあり、そこに心理的なプライドというものが紐付けされているのです。

何かにつけて日本人が年齢にこだわるのは、そのためです。そして、そのような習慣はもうオワコンなのです。

例えば、企業内の人事がそうです。年功序列で昇進するというような「のんきな人事」を続けられる会社は少なくなり、年齢が若い人が管理職として、年齢が上の人をマネージすることは当たり前になっています。

その際に、年齢が逆転しているから「お互いにやりにくいなどという甘えはもう許されない時代です。また、そのような年齢の逆転に加えて、出身国や性別など多様な人材が組織内でイヤな思いをしないように、「経営者や管理職は徹底的に腰を低くして、社内の風通しを良くする」とか「全員がお互いを『さん付け』で呼ぶ」とか「下から上も、上から下もデスマス調の丁寧なトークを心がける」といったフラットな組織を目指している企業も増えています。

さらに言えば、現代は高齢者も活躍するという時代です。70歳現役は当たり前で、75歳まで第一線というような時代になっています。ですから、例えば「73歳だから自分は偉い」という意識も不要だし、また「73歳なのに現場でかわいそう」という視線もまた不要です。それぞれが、年齢を気にしないで淡々と持ち場をこなす時代ということです。

一部には「年齢が若い方が価値がある」という考え方もあります。一部の高齢男性が、若い女性を見る視線などにそういった価値観が残っていますが、「#MeTooの考え方からすれば、そのような発想も、もう終わりというか、許されないということにしていいと思います。

つまり、日本の社会も十分に成熟してきたのです。ですから、年齢、人種、性別などの属性をいちいち確認して「アンタと自分とどっちが目上?」などという、マウンティング合戦をやらないとダメだとか、その上下関係で「タメ口(だ、である調)」と「敬語(です、ますちょう)」を選択するというバカバカしいライフスタイルはもう完全にオワコンなのです。

そうした社会の成熟に合わせるのであれば、事件や報道の際に「年齢表示がマスト」というメディアの習慣は、もう即刻終了でいいのではないでしょうか。

image by: MAHATHIR MOHD YASIN / Shutterstock.com

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東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

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