2018年11月に発刊されるや、ネットでコピペ疑惑が取り上げられたり、SNS上で擁護派と批判派で論争が繰り広げられたりと大きな話題となった、作家・百田尚樹氏の著書『日本国紀』(幻冬舎刊)。この本について「愛国心が感じられない」と一刀両断するのは、3月31日に東京・日比谷で「大質問大会」と銘打ったイベントもひかえるメルマガ『竹内睦泰と読者で作る「未来へとつながる歴史、政治、文化座談会」』の著者、竹内睦泰さん。竹内さんは、「あくまで読書感想文」と断った上で、地政学者としての立場から、この本の問題点を指摘しています。
文献主義が薄める物語性、やせ細った単線的な通史ー『日本国紀』読書感想文
▼『日本国紀』SNS上“論戦”に思う
2018年11月に発刊された『日本国紀』(幻冬舎)ですが、Wikipediaからのコピペ疑惑から無断引用、改竄疑惑、ツイート舌戦まで、ネット上での論争もようやく下火になってきた感があります。
実は、こうした騒動には関心がないので、今回のメルマガを書くまでまったく知りませんでした。でも把握しました。およそ生産的な議論、論争とは言えない「揚げ足取り」に終始している印象です。
▼「紀」とはほど遠いパッチワーク通史
私がこの本を手にして最初に思ったのは、『日本国紀』というタイトルの違和感です。「紀」と銘打つなら当然「紀伝体」、すなわち天皇の年代記、臣下の伝記を中心とした正史形式であるべきだと。
ところが全然違っていました。
早い話が、高校教科書の「自虐史観的記述」を切ってネットの「右寄り言説」を継ぎ足し、個人の感想とその場で思い付いたような仮説を散りばめた「パッチワーク通史」です。
▼読みやすいが歴史ファンには物足りず
こうしたスタイルの通史は、研究者には絶対に思いつかない発想です。ユニークで斬新なアイデアと言えるかもしれません。
しかし、この本の狙いである「自国に誇りの持てる通史」の点では特に目新しさはありません。25年前、私はすでに『竹内流 超速日本史』(KKロングセラーズ)を出しています(ブックマン社『超速!日本史の流れ』シリーズ4冊はそのリニューアル版)。
『日本国紀』の語り口は、教科書の記述に近い事象と年号の羅列ですが、そこは当代きっての大ベストセラー作家です。現代と過去を往来するショートストーリーの積み重ねにより、初心者でも読みやすいような工夫が施されています。
ただ、歴史ファンには、物足りなさや欲求不満が残るでしょう。知っているところを飛ばせば、30分ほどで読了できそうです。
▼歴史を知らなくても通史が書ける
この本に意義があるとすれば、「歴史を知らなくても日本の通史が書ける」ことを世に知らしめたことでしょうか。
教科書を1冊買ってきたら、あとはネット情報を引っ張ってきて切り貼りをするだけです。ズブの素人でも半年足らずで1冊本が書けてしまいます。もちろん、売れるかどうかは別問題です。
知識はあまりないけれど、歴史の本を書きたくて仕方がない人には勇気を与えてくれる本だと思います。
▼専門外だからこそ期待できる発想・解釈
私は、歴史に疎い人が通史を書いてもいいと思っています。専門家には出てこない柔軟な発想、突飛だけれどハッとさせられる解釈が生まれる可能性、そして期待感があります。
想像力豊かなベストセラー作家が織りなす通史となれば、仮に著者が歴史に疎かったとしても非常に興味をそそられます。出版前からこの本が話題になっていたのも、そうした期待感があったからでしょう。
▼ベストセラー作家が書く通史への興味
『日本国紀』の「序にかえて」(序文)は、
「日本ほど素晴らしい歴史を持っている国はありません。」(p.2)
の一文から始まります。
世界に誇れる我が祖国日本がどのように描かれるのか、どんな素晴らしい日本が目の前に現われるのか。私たち読者は期待に胸を膨らませます。
・・・・・ひと通り読み終えて、私は複雑な心境になりました。
「これを読んで、本当に日本に誇りを持てるようになるのだろうか?」
正直な感想です。
▼「正式な国号」の起源をなぜ特定できない?
ひとつ例を挙げておきます。私の手元にある『日本国紀』(2019年1月15日第7刷発行)には、「日本」という国号の誕生について、次のように書かれています。
「『日本』という呼称が使われ始めたのは七~八世紀頃といわれているが、いつが正式な始まりかははっきりしない。(中略:中国や朝鮮などの史料を引用して諸説を紹介)・・が、真偽は不明である。」(p.55)
これは不可解です。特定できないはずがありません。
▼「疑わなくてもよい定説」を疑う不思議
701年の大宝律令で、天皇が出す詔書に「日本」の国号を入れることが初めて規定され、明文化されています。国定教科書にも明記されている定説です。以下は山川出版社『詳説日本史』の記述です。
「律と令がともに日本で編纂されたのは大宝律令がはじめてで、「日本」が国号として正式に用いられるようになったのもこの頃のことである。」(p.41欄外脚注)
もちろん、定説が覆ることはあります。国号成立の時期について諸説あることも知っています。
ただ、「いつが『正式な』始まりか」と問う以上、ここで海外史料を紹介して逡巡することはありません。日本が誇る大宝律令を根拠に「701年」と明記するのが歴史常識だと思います。
大宝律令は中国(唐)の法律制度をパクったものではなく、むしろ日本の独自性、独立性を誇れる内容を備えています。そのあたりも著者は勘違いしている可能性があります。
▼成立過程が曖昧な「日本」を誇れるか
国号の正式採用時期の特定はとても重要です。日本という国のアイデンティティにかかわってきます。
たとえば外国人に、
「YOUの国の国号が正式に使われたのはいつ?」
と聞かれて、
「たぶん7~8世紀かな。でもハッキリしない」
と答えたら、
「Why Japanese history?」
とバカにされかねません。
「あなたの誕生日はいつ?」と聞かれて、「たぶん3月から4月の間かな。でも真偽は不明」と答えるのと同じです。
正式な国号成立時期を曖昧にしたままで、日本を誇れるでしょうか。少なくとも僕は誇れません。
▼「記紀」を読んでいるのだろうか?
商業出版として通史の本を書くうえで、『日本書紀』と『古事記』の読み込みは必要条件だと思います。しかし、百田著『日本国紀』の第1章を読む限り、どうも著者は「記紀」(きき:『古事記』と『日本書紀』をあわせた略称)を読んでいないように思えました。
たとえば卑弥呼(ひみこ)や邪馬台国(やまたいこく)について、次のように断言しています。
「大和朝廷の歴史書である『古事記』『日本書紀』(併せて「記紀(きき)」と呼ぶ)には、卑弥呼のことも邪馬台国のことも書かれていない。」(p.19)
確かに「記紀 卑弥呼」でネット検索すると、「記紀に卑弥呼の記述はない」とする記事が上位にズラズラと並びます。
しかし、記紀を読み込んでいる人であれば、ここはもっと慎重に書くでしょう。小説家であればなおさら想像力をかき立てられ、本領を発揮できそうな部分です。
先ほどの「国号成立時期」とは逆のケースと言えます。
▼記紀に埋め込まれている「卑弥呼」
『日本書紀』は古代の漢文体、『古事記』は原日本語(大和言葉の漢字表記)で綴られています。一義的に解釈できるシロモノではありません。漢字の読み方をひとつ変えるだけで、意味も解釈も全然違ったものになります。
ハッキリ言いましょう。「記紀」には対外的、あるいは国内的に「わざとわかりにくくしている箇所」が散見されます。
「暗号」が埋め込まれていると考えるべきです。
「記紀」の成立以降、優れた学者たちが「記紀」の注釈書を書き、議論を戦わせ、「暗号解読」に挑んできました(いまも続いています)。
卑弥呼については、以下の「暗号」がそれと考えられています。
《日本書紀》倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
《古事記》夜麻登登母母曽毗売命(やまとととひももそひめのみこ)
上記の人名をコピペして検索してみてください。卑弥呼との関連性を明示または暗示する文献や記事がたくさんヒットします(だから信用しろという意味ではありません。念のため)。
▼文献主義が排除する豊穣な物語性
専門家や研究者の多くは文献主義です(口伝やフィールドワークの軽視または無視)。文献に書かれていない事象、たとえば古い神社に伝わる口伝や「正統竹内文書」(いずれ詳しくお話しいたします)などは「偽」としてハナから否定します。
しかし、記紀の原史料となった「旧辞」(きゅうじ)「帝紀」(ていき)「帝皇日継」(すめらみことのひつぎ)などは、そもそも天皇に仕える大臣(おおきみ:私の先祖の武内宿禰-タケノウチノスクネ-です)や神官一族、有力豪族などに伝わる口伝を蒐集(しゅうしゅう)し編纂(へんさん)されたものです。
『古事記』の魅力は豊穣な物語性にあります。これは口伝を重視した編纂の賜物と言えます。「暗記の天才」稗田阿礼(ひえだのあれ)がフィールドワークで蒐集・暗記した各地の口伝を太安万侶(おおのやすまろ)が筆録して『古事記』ができあがりました。
▼文献主義の限界とジレンマ
『古事記』を含め、暗喩に満ちた「物語」を文献主義で読み解こうとしても限界があります。豊かなストーリーから“余計なもの”を削ぎ落とすことで、一義的な解釈を引き出すしかありません。
そうすると、どうしても「死んだ解釈」「薄っぺらい解釈」になってしまいます。文献主義のジレンマです。
同じことが『日本国紀』にも言えるように思います。
▼私たちは何者?解くカギは日本神話
『日本国紀』の第1章(古代~大和政権誕生)は文献、特に海外史料に依拠しているので、教科書の記述をほぼなぞっている感じです。著者独自の見解や仮説が挟み込まれますが、「日本神話」の解釈に迫ろうとする意欲は感じられません。おそらく興味がないのでしょう。
しかし、この本の帯では「私たちは何者なのか-。」と問いかけています。「序にかえて」では次のようにも書かれています。
「ヒストリーという言葉はストーリーと同じ語源とされています。つまり歴史とは「物語」なのです。本書は日本人の物語、いや私たち自身の壮大な物語なのです。」(p.3)
日本という国、そして日本人の素晴らしさを誇るのであれば、そのルーツとなる日本神話の「壮大な物語」に触れざるを得ません。
▼「記紀」日本神話との接触を避ける
ところが、「記紀」を引用した説明で、事が日本神話にかかわる内容になると、著者はスルリと身をかわしていきます。「残念ながらこれも文献資料はない」(p.29)などとして、「記紀」日本神話との接触を巧妙に避けているのです。
しかも、著者は、継体天皇(けいたいてんのう)が皇位簒奪(こういさんだつ:本来、地位の継承資格がない者がその地位を奪取すること)して新王朝を築いたとする王朝交代説を「私も十中八九そうであろうと思う」(p.32)と支持しています。
▼継体天皇、王朝交代説をとるなら・・
この王朝交代説をとるならば、継体天皇の治世をルーツとする「日本の素晴らしさ」を説き起こしていくべきでしょう。ただ、それも都合が悪いため、著者は「継体天皇の時代には、すでに『万世一系』という思想があった可能性が高い」(p.32)という説をねじ込んで辻褄合わせをします。
「日本の素晴らしさ」のルーツを曖昧にしたまま、著者は以後「日本賛美」を続けることになります。苦しいです。非常に残念です。
▼痩せたストーリーによる平板な歴史
こうした著者の姿勢は、歴史解釈の平板化と単純化を招き、歴史と表裏一体のストーリーを痩せ細らせます。
著者が描き出す通史が歴史としての厚みに欠けるのも、歴史上の人物の魅力がステレオタイプな評価に落とし込まれるのも、要するに「物語への愛着」「人間への興味」の希薄さからきているように思えます。
さきほどお話しした「文献主義のジレンマ」と同じです。このあたりは一般の歴史ファンとは逆のベクトルです。
以下にいくつかの例を拾っておきます(カッコ内は筆者の補足)。
†「(平安時代について)この時代、朝廷はかつての逞しさや国際感覚を失っていく。遣唐使を廃止したこともあり、いわば『プチ鎖国』状態となった日本で、王朝の人々はひたすら『雅(みやび)』を愛する貴族となり、『平和ボケ』していったのだ。」(p.66)
†「(本能寺の変について)私は明智光秀が個人的な恨みから起こした単純なもので、用意周到に練られたものではなかったと思っている。なぜなら、その後の行動がきわめてお粗末だからだ。」(p.142)
†「(内匠頭-タクミノカミ-が刃傷沙汰に及んだ理由について)私は単に精神錯乱であったと思う。」(p.188)
†「(不平等条約の日米修好通商条約を結んだことについて)こうして書いていても、当時の幕閣たちのあまりの無知とお気楽さに頭がくらくらしてくる」(p.236)
▼戦後史も単純化しすぎのきらい
以上が私の読書感想文になります。著者が力を入れている近現代史や戦後史は、別の方がいろいろ語っているでしょうから、あえて古代史を中心に感想を綴ってみました。
ちなみに、戦後GHQによる思想洗脳や自虐史観教育、慰安婦問題(朝日新聞批判)などに関する攻撃的な記述は、まさに「ネット言説」の換骨奪胎(かんこつだったい:他人の構想や意見などに新味を加えて独自の表現にすること)にすぎず、いまさら感は否めません。
「GHQ洗脳説」の過大評価と日本人のメンタリティーの過小評価は、二分法による単純化のきらいがあります。日本国民はそんなにバカではないと私は思っています。
もっとも、そのあたりも計算づくで「わざと書いている」可能性があります。ネット上での「百田ファンvs.アンチ百田」の貶し合いを、ご本人は高みの見物で楽しんでいることでしょう。
全編を通じて、私は著者に「日本LOVE」を感じませんでした。(了)
【竹内睦泰さんイベント情報】
『竹内睦泰と読者で作る「未来へとつながる歴史、政治、文化座談会」』創刊記念 大質問大会
【日時】2019年3月31日(日)
13:30開場 14:00開演 16:00閉演
【会場】日比谷コンベンションホール
東京都千代田区日比谷公園1-4(日比谷図書文化館内)
【料金】税込 3,000円
※お申し込みは、コチラから
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