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日本を「時代遅れ」にしている、入学式や入社式という悪習慣

4月に入り入学式や入社式のニュースが頻繁に流れるようになりましたが、それらはかならず「おめでたい」というニュアンスで伝えられます。そんな流れに異を唱えるのは、米国在住の作家・冷泉彰彦さん。冷泉さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、入学式をおめでたいとすることが「僭越を通り越して間抜け」としその理由を記すとともに、「入学式や入社式は徹底的に見直すべき」とバッサリ斬っています。

ここが変だよ、入学式・入社式

4月になり、新年度ということになりました。そもそもこの「年度の切り替えが4月というのも変な話です。国際的には12月が本決算で、3、6、9に四半期決算というのが主流なのですが、いつまでも3月決算を続けるのも時代遅れな感じがします。

学年の切り替えも、9月スタートに合わせようという声がありながら、守旧派にかき消されて今でもダラダラ4月入学をやっているこれもオワコンではないかと思います。

それはともかく、この4月になると入社式や入学式という意味不明な行事が行われます。ところで、この「4月に入社式があって、多くの若者が人生のスタートを切る」という言い方も、よく考えるとおかしいのではないでしょうか。というのは、現在は残念ながら多くの職種が非正規雇用の時代です。そして、非正規の場合は4月の一括入社もないわけです。

そんな中で、いつまでも「新社会人」とか「入社式」などが「春の風物詩」として話題になるというのも、おかしな話だと思います。

さて、そんな中でまず「入学式」ですが、色々と疑問があります。

まず、その位置付けですが、例えば小学校にしても中学校にしても「より若い世代が入って来て、新一年生になるのはめでたい」という前提で行われるわけです。つまり、幼稚園であったり小学生であることはめでたくない」のであって、そこを脱して上級の学校に入ることがめでたい」という思想が背景にあります。

別にいいじゃないかという考え方も可能は可能ですが、よく考えると、この考えの裏には「この学校の姿勢は不動のものであり、その学校に入ったことはそれだけでめでたい」という極めて尊大で守旧派的な思想があるのではないでしょうか?さらに言えば「この上級の学校には入っただけで『めでたい』のだから、全てここのルールに従えという押し付けも感じます。

全く違うのではないでしょうか?

時代は刻々と変化します。新しい世代が入ってくるということは、彼らの発想や彼らの感覚、彼らの経て来た上の世代とは違う経験が、その学校に持ち込まれるということです。学校は、それを受け止め、新入生によって伝統が乱されつつ前進することに期待するのが自然であって、そうでなくては学校というものはドンドン時代に取り残されていってしまいます。

ということは入学式で問われているのは、在校生と教員が、より新しい世代を迎えるために、自分たちが変わるということのはずです。そうではなくて、「ここに入って来たことはおめでたい」というのは、僭越を通り越して間抜けとしか言いようがありません。

まして、小学校の場合に「幼稚園児が集団行動に馴染んでいない」から「小一プロブレムを起こす」とか、中学校の場合には「一年生が先輩後輩のヒエラルキーに馴染めずに中一プロブレムを起こす」などといって、頭を抱えているわけです。

だったら、集団行動の訓練について方法論を考えるとか、バカみたいに先輩が威張るだけの野蛮で低脳なリーダーシップのスタイルをやめるとか、自分たちが変わらなくてはいけないのに、「プロブレムだとウロウロするこれもまた滑稽と言えましょう。

入学式で奇妙なのは、「来賓」の存在です。選挙運動の売名でやってくる政治家などは、その場で逮捕とまではいかなくても、「当落線上の二流政治家」という印象を拡散するだけなので、まだご愛嬌ですが、問題は教育関係者です。

教委とかPTAというのは、本来の意味としては学校の縁の下の力持ちであるべきです。究極には子供達のために良い教育ができるように尽くし、そのためには現場の教員が思い切り働けるように尽くすべき存在でしょう。

にも関わらず、教委やPTAが「来賓」だということになり、校長までがこうした人々に頭を下げて権威を落とし、では、その「来賓」が何か気の利いたことを言うかというと、型通りの挨拶しかしない…これでは「この社会はこのようなナンセンスで形式的なヒエラルキーでできているということを子供に教えて絶望させるためにやっているようなものです。

とにかく、教委とかPTAが威張るのは不自然で、まして校長より上席に座り、しかも偉そうなスピーチをする割に、中身は型通りというのは、「子女の訓育」とか「修身、修養」といった価値観の対極にあるトホホなものだということを真面目に考えていただきたいです。

そう言えば「東大の入学式」というのは、毎年総長訓示が話題になりますが、あれも相当にトホホな感じですね。特に、最近は「どうせお前ら新入生の世代は、ロクにモノを考えていないだろ的な上から目線の訓示が目立ちますね。そういうことをやればやるほど「終わった感」が出るということに「気づかない鈍感力」のある人ばかりが総長になるのかもしれませんが、猛省していただきたいです。

では、経済界の方はどうかというと「入社式」というのも、かなりトホホな部分が多いように思います。

まず良くあるのが、入社式の社長訓示で新入社員に対して「当社は国際化と情報化、そして働き方改革により徹底的に組織と社風の変革を行う」などと宣言するというパターンです。

この種の「ブチ上げ型の訓示というのは、勿論、半分は新入社員ではなくメディア向けのリップサービスだということもありますが(それはそれで変な話で、新入社員に対して失礼です)、意外と大真面目だったりするのです。

問題は、社長が「徹底改革だ」とか「未来から来た諸君の世代に期待する」などといった「耳障りのいい」訓示をした、その数時間後に、現場に配属されたり、研修に参加した新入社員に対して、中堅の管理職から「あの社長訓示は忘れろというような訂正が入ることです。

つまり「社長は綺麗事を言ったが、残業ゼロでは現場は回らない、とか、未来へのアイディアなど忘れてしまえ、まずは実務にどっぷり浸かって一人前になれ」というような言い方で脅迫するわけですね。実に「あるある」パターンというわけですが、そんな風に後で訂正するぐらいなら、「ええカッコしの社長訓示などやらなければいいんです。

後は、新人の方に「決意表明」などをさせる企業も間抜けですし、21世紀の今日に「社訓のコーラス」だとか「社歌の合唱」といった馬鹿げたことをやっている企業もダメダメという感じがします。

とにかく、学校にしても、企業にしても、「入学式」とか「入社式」というモノを徹底的に見直すことが必要で、そうでなければ時代の変化スピードの中で淘汰されていってしまうのではないかと思うのです。

image by: Hafiz Johari / Shutterstock.com

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東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

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