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精神疾患者たちの「ココロの詩」が教えてくれる「詩作」の可能性

精神疾患などと闘い、苦しむ人たちから寄せられた「ココロの詩」の優秀作品が6月に発表されるそうです。その審査委員長を務めたジャーナリストの引地達也さんが、審査を通じて感じた「詩」というものの可能性を、主宰するメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』で語っています。引地さんは、精神疾患者たちが自由に言葉で表現できる環境をどう作っていくかが、社会の課題だと訴えます。

ココロの詩に綴られた言葉に、人生の絶望と希望を見る

昨年から今年にかけて精神疾患者をはじめとする疾患や障がいで生きづらさを感じている方からの「ココロの詩」を募集し、その審査委員長を務め、ようやく最優秀作品が決まった。これは来月発表するが、切実な思いが込められた詩作は読み進めるにはかなりのハードな仕事だった。

1行の表現や思い、言葉が心を捉え、その先動けなくなる瞬間もあった。疾患であることの絶望から、ちょっとした出来事から希望に転じる詩もあれば、失意のどん底に打ち捨てられたようになったままのものもある。

自分を責める人もいれば、社会をなじるものもある。しかし、言葉に表現することは、達観することでもあり、結果的に普遍的で力強いメッセージへとつながっていく気がしている。やはり詩を書く行為は、自分の精神疾患を見つめるのにはよい行為のかもしれない。

今回の「ココロの詩」は第1回目で、歌に関する月刊誌『歌の手帖』とレコード会社「エイフォース・エンタテイメント社」と実行委員会を組織し行った。今年1月まで作品は郵送やメールで応募され、詩はもちろん、それぞれが抱える疾病名やライフストーリーも任意で書いてもらった。

任意にしているので、審査過程には影響を与えないことにしており、評価は詩作品そのもののみを対象としたが、詩の評価が終了した後で読んだライフストーリーの内容がどれも考えさせられるものばかりだった。

支援の仕事をしている身としては、それらの文面にある、現実としてある困難や障がいが何とか除去できないものか、と反応しながらも、結果として生み出された「詩」という言葉に、改善の可能性を見出し、一人で絶望と悦の繰り返す日々だった。

そこであらためて、「詩を書く」という作業に希望を見出している。この企画の当初、いくつかの福祉施設から精神疾患者や知的障がい・学習障がいの方への「詩の書き方」のレクチャーをお願いされ、私が話したのは「思いを書いて、願いを繰り返す」ことから始めるというシンプルなやりかただった。
今、この瞬間感じたこと、思ったことをそのまま文字にしてみる、その結果、なりたい自分やこうあってほしい現実を文字に「描き、繰り返す」との説明である。

朝起きて感じたことをつらつらと連ねて、昼間になって今の願いとして「ごはん食べたい」「ごはん食べたい」「ごはん食べたい」と綴るだけでも、素晴らしい作品になるから面白い。一歩踏み込めば「カレーが食べたい」も出てくるから、そうなれば味わいのある作品に仕上がってくる。
言葉を素直に描けることは、場の安心感が必然だから、自由に表現できることはすなわちストレスがないこと、その福祉施設の雰囲気も重要だ。だから、この作業には、さまざまな疾患や生きづらさを抱えながらも、発言や表現が自由であることが、よい作品を生み出す前提としてある。

1950年~60年代に米国で活躍した大詩人たちはニューヨーク派、ブラック・マウンテン派、ビート・ジェネレーションと呼ばれ、新しい言葉のリズムとその可能性を提示したが、それも言葉を自由に操ってよい環境があってこそで、半世紀を経た日本で感じるのは、精神疾患をはじめとする人たちの生きづらさの視点からの新しい言葉の連なりは、本来持つべき詩としての機能の中でまだまだ発揮できるものだと信じている。
それには「自由に思いを綴れる環境」が必要だ。この場を社会にどのように作っていくのか、これは社会の課題である。

image by: lzf, shutterstock.com

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特別支援教育が必要な方への学びの場である「法定外シャローム大学」や就労移行支援事業所を舞台にしながら、社会にケアの概念を広めるメディアの再定義を目指す思いで、世の中をやさしい視点で描きます。誰もが気持よくなれるやさしいジャーナリスムを模索します。

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