平成の30年の間、バブル崩壊、デフレ不況ですっかり弱体化してしまった日本企業。令和時代に我が国は立ち直ることはできるのでしょうか。ジャーナリストとして数々のメディアで活躍中の嶌信彦さんは、自身の無料メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』の中で、世界の企業と平成時代の日本企業を比較しその弱さと出遅れを指摘するとともに、日本を沈滞から救うためにすべきことを記しています。
「GAFA」も「BATIS」も生まれない? ─こじんまりしてしまった日本社会─
「平成」が終り、「令和」の時代に入った。平成に入る時、その意味を当時の小渕恵三官房長官は「平らかに成る」と説明した。平成時代は、大きな災害がいくつかやってきたが、日本社会全体としては、確かに「平らかに成る」というような穏やかな時代だったといえるかもしれない。
だが、エネルギーにあふれ高成長時代を体現した「昭和」時代に比べると、何となく物足りなく、“熱さ”を感ずることが少なかったように思う。
統計数字にみる平成の弱体化
それらの実態は様々な数字に表れている。例えば株価だ。平成元(1989)年のピーク時には、世界の株価の時価総額ランキングに、日本興業銀行、住友銀行、富士銀行、東京電力などランクインした。1位から上位10社のうち7社が日本企業(残り3社はアメリカのエクソン、GE、IBM)だった。しかし、翌1990年にバブルが崩壊すると日本企業は次々と姿を消し平成31年(2019年)4月末時点では1社も無くなり、わずかに45位にトヨタ自動車が名を残すだけとなった。
そのバブル崩壊と2008年のリーマン・ショックで銀行は不良債権のヤマを築き、山一證券や日本長期信用銀行などが相次いで破綻。14行あった都市銀行は「みずほ」、「三菱UFJ」、「三井住友」、「りそな」のメガバンク4行に再編合併されてしまった。
ユニコーン企業の少ない日本
バブル崩壊の傷は製造業にも及び、高度成長期を彩った多くの名門企業が倒産したり、事業売却に追い込まれた。経営危機に陥った東芝は白物家電、テレビを中国企業に売却したほか、パイオニアは香港のファンド、三洋電機は中国のハイアール、エアバックのタカタは中国企業に買収され、日産自動車は仏・ルノーが大株主となって救済された。
また、レナウンや本間ゴルフなどのアパレル、スポーツメーカーも中国資本の傘下に入った。また未上場だが企業価値が10億ドル以上といわれる“ユニコーン”企業数もアメリカの151社に続き、中国は85社、インドは14社、韓国やASEANがそれぞれ6社を数えるが日本は1社のみだ。
さらに一時はスマホ大国といわれ世界でスマホの存在感を示していた日本企業のスマホは三菱電機、パナソニックが撤退、富士通、シャープも国内中心に切り替え、ソニーもヨーロッパと日本に集約し、世界シェアは1%を切ったという。世界ではいまや韓国のサムスン、中国のファーウェイ(華為技術)、アップルなどが急成長しているのだ。