大人になってから友人を作るためには、学生時代とはまた違った視点や心がけねばならないことがあるのは当然ですが、それでもやはり「豊かな人生を送る上で、大人になってから友人を作ることは極めて大事なこと」とするのは、外資系企業で活躍する澤円(さわまどか)さん。澤さんは自身のメルマガ『澤円の「自分バージョンアップ術」』に、そう判断する理由を記しています。
大人になってから友人を作る大切さ
皆さんこんにちは、澤円(さわ まどか)です。
友人の多い少ないで優劣が決まるわけではありませんが、大人になってから友人ができるかどうかというのは、豊かな人生を送るうえでは極めて大事なことだと思います。
友人のように感じるのは職場の同僚です。毎日顔を合わせますし、食事をしたりお互いのライフイベントで一緒になる機会も多いでしょう。実際、日本企業のカルチャーは「メンバーシップ型」であり、「チームとして行動すること」が求められる場面が多いですよね。
そのため、お互い公私を混ぜ合わせるようにすることで、信頼関係を築くというアプローチは大いにあり得ると思います。
ちなみに、外資系でもこれはなくはありません。ボクは海外にいるメンバーと家族ぐるみでお付き合いさせてもらったりもしています。これは、同僚という枠は飛び越えていて、完全に「友人」として付き合っています。
仕事の場面では、時には意見が対立したり、利害が一致しなかったりすることもありますが、友人関係にヒビが入るようなことはありません。おそらく、仕事での価値観をそのまま友人関係に持ち込まないようにしているせいではないかなと思います。
仕事は仕事、友人は友人、と切り分けられると、同僚を超えた友人関係が作れるように思います。
自分が何をGiveできるか
自分から何かをGiveしたい、と思えるのが友人ではないか、とボクは思っています。
ちなみに、ボクがもっとも嫌いな言葉の一つが「お友達価格」です。同僚が何かしらの特技…例えば手芸とかイラストとか…を持っていると、「お友達価格で(もしくは無料で)作ってよ~」と同僚から言われるケースがあるようです。実際、ボクの周囲でも同様のことは起きていますし、ボク自身が当事者になったこともあります。
ボクは「お友達価格」というのであれば「相場よりも高くお金を払う」くらいのマインドがちょうどいいと思っています。友人なら、何かしら助けたりサポートしたりしあうのがいい関係だと思っています。
もちろん価値観は人それぞれだと思うので、そうは思わないという人もいるでしょう。でも、大人の友人関係においては「Give Firstのマインドセット」がとても大事なのではないかと思います。
例えば、イベントを企画している友人がいたら、ボランティアを買って出たり、集客のためにSNSで宣伝したり、いろいろGiveできますね。何かの発表会や作品の個展などがあれば、足を運ぶことがそのままGiveになります。
ボクのかみさんはアーティストなので、時々展覧会やワークショップなどをやるのですが、大人になってからできた友人…それも忙しい人であればあるほど、来場してくださいます。これは、「その時間を確保することが一番のGiveになる」ということを知っているからでしょう。
行動によって与えられるGiveは本物です。
相手から「学ぶ」姿勢も大事
また、大人になってからの友人同士であれば、相手から学ぶというのも関係をよくしていくために大事なことだと思います。
お互い大人ですから、それぞれの価値観がかなり言語化できているでしょうし、場合によってはそれが相反するものかもしれません。でも、大人の友人であれば「その違いを許容する」ことが、関係を良好に保つために不可欠です。
実際、ボクの周囲の大人の友人たちの中には「その考え方はボクとは違うかな」という人はいます。でも、その人のことを嫌いになるわけでもないですし、ましてや「相手の価値観を変えてやろう」などとは一切思いません。
ただ単にその違いを相手から学ぶだけですし、一つの考え方として自分のライブラリに保存するだけです。
その考え方に無理やり賛同する必要はありません。「お互いに違うことを学び、受け入れる」というマインドセットを持つだけです。
このマインドセットは、友人関係をよくするだけではなく、あらゆる場面で活躍する人間になるためには絶対要件であると思います。ましてや、仕事のように「業務によってつながれた関係」ではなく「心を開くことで出来上がる関係」なので、お互いが常にオープンでフラットであることがとても大切です。
大人の友人関係が、年齢差や立場の違い、出身地や学歴などに縛られるのはもったいないと思います。相手の出自がなんであれ、いい関係が作れることが、大人の友人のだいご味だと思っています。
実際、ボクにはたくさんの「大人になってからできた友人」がいますが、共通しているのは全員「偉ぶらない」ということです。そして、「お互いに学ぶ」ということの価値が認識できていると、一緒にいる時間がとても快適になります。
そこには「自分なんて…」という無用の遠慮は不要です。自分側に何もないと思っても、相手から学ぶことはできます。それが一方的だと感じるのであれば、その学びの感想を述べたり「自分にはこのように見えた」というフィードバックを返せば、それは相手の学びになります。
例えば、相手が海外で暮らした経験があり、「自分が暮らしていた国では、夜中に銃撃戦があったりしたんだよ」なんて話をしてくれたとしましょう。「えー、そんな危ない国なんて行かなきゃいいのに」という返しは、ちょっと残念ですね。変わりようのない過去に対して、意味のない提案をしているからです。
「そうなんだ!わたしは日本でしか暮らしたことがないから、銃撃戦に遭遇したことはないなぁ。日本って安全な国って思う?それとも退屈?」と質問すれば、相手もさらに自分の体験を深堀する機会を得ることができます。
いかにプライドを捨てられるか
大人の友人関係を一番阻害する要素は「プライド」だとボクは思っています。相手と胸襟開いて話をするには、自分のプライドを捨ててしまうのが大事かなと思います。
プライドを持ってはならないという意味ではありません。関係をもっとよくしたいと思うとき、プライドは何も役に立たないというだけの話です。
「自分をよく見せたい」「もっと尊敬してもらいたい」という気持ちは、人間としては自然ではあります。ただ、友人関係という間柄においては、それは不要ではないかと考えています。むしろ「プライドに邪魔されることなく、自分のあるがままに振舞える関係」こそが友人関係において最も尊いものであると思います。
ボクも、大人の友人との会話の中では、自分の実績や立場に関する話をすることはありません。むしろ、子供のころ、若いころの失敗談や、今の自分のダメなところを言葉に出してしまうことの方が圧倒的に多いです。そうすることで、弱い自分を認めてもらえるという安心感が得られるからですね。
親しくさせてもらってる人たちは「この人、本当はえらいんだよなぁ」とか「ボクなんかにそんなあけっぴろげに話しちゃっていいのかなぁ」と思うことしばしばです。いかに遅刻癖があるかとか、書類仕事が苦手かとか、行政手続きが全然できないかとか、接待の最中に居眠りしたとか、そんな話ばかりしています。でも、それこそ友人同士の会話ですよね。
普段着ている鎧を脱ぎ去ることができる関係が、大人の友人関係なのかなと思います。
今、働いている人たちは、たいていの場合どこかで仕事をリタイアすることになります。リタイアしたとき、いつまでも過去の自分のプライドを引きずっていては、豊かな余生を過ごせにように思います。
これはあくまでもボクの予想でしかないのですが、過去のプライドに縛られている老人ほど、気の毒な存在はないのではないでしょうか。
過去の栄光や実績は、それはそれで自分で大切にすればいいでしょう。それより、生きている今をどうやって楽しむのか、そのためには「プライドをすてて気楽に暮らす」というのが大事になる気がしています。
本当に老人になって頭が固くなってしまう前に、プライドを捨てる練習、そして捨てたことによって開ける素敵な世界を体験しておきませんか?
最後に
つい先日、大学時代の友人と会ったのですが、20歳のころから知っているにもかかわらず、今ではいわゆる「大人の友人」にその関係は変化しました。学生時代の話だけではなく、今の自分たちに何ができて、将来どうしていきたいかを共有できる、いい関係になっています。今ではすっかりかみさんも交えて仲良くさせてもらっている、いい友人です。
昔話に花を咲かせる古くからの友人もいいものですが、こうやって未来も併せて語れるようになると、さらにいいですね。
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またお会いしましょう、では。
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