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園児も「所有」を主張。NY在住日本人社長が幼稚園で見たアメリカ

日本の識者がときどき口にする「欧米では」や「アメリカでは」などの先進性を引き合いに出す言葉について違和感を表明するのは、メルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』の著者で、米国の邦字紙『NEW YORK ビズ!』CEOの高橋克明さんです。個性を伸ばす教育が進んでいるとされるアメリカで、双子の息子と娘を通わせ始めた幼稚園で見た光景を紹介し、いい面があることを否定はしないが、すべてが日本より優れているとも思えないと、もやもやした違和感を伝えています。

うちの子が通う幼稚園に見るアメリカ

たとえば、テレビのコメンテイター。よく「欧米では」って枕詞、聞きませんか。政治であれ、福祉であれ、雇用であれ、「欧米では日本より進んでいて…」とか。なにかあったら、「欧米では」「アメリカではすでに」「ヨーロッパはもう」とか。

物事には、いろんな側面ってあるはずだと思うんです。点ではなく、線でもなく、球体と言えるかもしれない。どの角度から見るのかが重要。日本で「最新の進んでいる世界」の代表として「欧米では」という言葉を聞くたび、「どの点を、というか、どの面を、というか、どの角度からしゃべっているだろう」と思ってしまうのです。

それら見識者の方々が「欧米では、すでに進んでいて」と言いたくなるいちばんの代表的な業界は「教育」ではないでしょうか。もしくは「教育現場」。日本の文部科学省の教育カリキュラムはなんかは、そんな方々にとって格好の的。非難しやすい対象です。

「日本の教育は詰め込み主義ですよね、自力で考えて答えを導き出すようなカリキュラムではなく、とにかく先生が教科書を読んで、それを丸暗記させる。そうなると今の子供達は、今後、肝心な人生という課題に自分で答えを導き出す力がつかないと思うんですよ」みたいなこと、聞いたことありますよね。

でも、そう言ってるその方も、学生時代、日本の教育を受けてきているはず。あなたと同じように、将来、自分で考え、答えを導き出す子供達も、この先今の教育現場から出てくるとは思えないのだろうか。

先日、元貴乃花親方、貴乃花光司さんにインタビューした時のこと、現在、青少年の育成事業に関わっている貴乃花さんは「今の子は…ってセリフは絶対に言っちゃダメなんですよ」と言いました。子供達に触れ合う中で、いちばん気をつけていることが、「今の子は…」というセリフを言わないこと、なのだとか。

「だって、我々が子どもの頃も言われていましたよ、そのセリフ」と彼は笑いました。「恒例行事みたいなもんですよね。結局、同じなんですよ。親の世代も、僕たちの世代も、そして今の子供達の世代も」そういう貴乃花さんを見て、僕が子どもの頃、こんな大人が近くにいたらなぁと思ったのでした。

少し話が逸れましたが、今の子供達に関わらず、日本の教育制度は戦後からそう変わっていない。「欧米」に比べて、今の日本の子供達が特別かわいそうだとは思えません。

…とは言っても。確かに、アメリカの教育は日本に比べて「自分で考え、主張する」という意味では進んでいます。その見識者の方々の言っていること自体は確かに当たっている。

うちには4歳の双子がいます。今月からPre-kindergarten、通称Pre-Kに通い始めました。Kindergarten(小学校)に通う前(Pre)。つまり幼稚園です。通わせているその幼稚園は、妻が入念に下調べをして、マンハッタンでも非常に評判のいい幼稚園。

我が子の教育関連はすべて妻に任せっぱなしの無責任父親の僕も、初日のオリエンテーションには駆り出されました。人生で初めてママから離れて、それぞれひとりずつ教室に閉じ込められます。それ自体は当然なこととしても、うちは双子。それぞれのクラスのオリエンテーションに、親は同席する必要があるため、無責任パパも同行させられたわけです。ママがトイレに行っただけで、どこー!?と号泣する息子のクラスには妻が。おそらく明日からでもひとりで生きていける娘のクラスには僕が入りました。

担任のTammy先生は大きくて、にこやかで、やさしそうな白人のおばさん。とてもいい印象で、外見だけで娘を預ける父としては安心しました。僕自身も、初めてこの国の幼児教育の現場に足を踏み入れました。面倒くささ半分で無理やり連れて行かれたにも関わらず、いざ授業(?お遊戯?)が始まるとかなり興味深く、面白い経験でした。

確かに、軍隊のように、一斉にみんなが同じことをして、同じように座り、同じように先生が読む絵本を囲む日本に比べ、こちらのクラスでは、みんなバラバラ、好きに遊んでいます。わたしたちは、個性を大切にし、その子その子の個性を伸ばしていきます。オリエンテーションが始まる前の、全体挨拶の際、確かに、校長先生はそう言いました。

なるほど、日本よりは前述の見識者が主張するように、好感が持てます。初日から、子どもが幼児の段階ではアメリカ暮らしでよかったかな、と思わされるほどでした。ただ。なんとなく。うまく説明できないのですが。なぁんかね…。日本人の僕には少し腑に落ちない印象も持ちました。

うちの娘が、クレヨンで大きな画用紙にお絵描きをしている時。おともだちのMiaちゃんが金髪をなびかせ、画用紙の上からクレヨンでさーっと線を引いて、こう言います。「Miki!いい?ここからは私のスペースよ。あなたはこっちから向こうで遊んで」と。

なんてシッカリして頭のいい子だろう。おそらく入園の時期の関係で、うちの娘よりはひとつ年上のはず。体がうちの娘より一回り大きいのはアメリカ人だからではないはずです。

「そして、ここからこっちはアタシのスペース。あなたは入ってきちゃいけないの」とても理にかなっています。わーぎゃー泣きわめく日本の幼稚園児より、ずっと賢く、ずっと大人です。親としては感謝しなきゃいけない場面です。本来なら4歳、5歳は即ケンカになってもおかしくない。

クレヨンの取り合いになってもおかしくないシーンです。初日のオリエンテーションから、そんな聞き分けのいい子、うちの双子とはえらい違いです。それを見た僕も感心し、白人の太ったおばさん先生も満足そうな顔をし、白人のおかあさんも誇らしげに笑っています。スペースの取り合いになるより1000倍いいし、なにより正論です。

初日からすでにこんな感じということは、日頃からご両親の教育が素晴らしいということ。「いい?Mia、これはあなたのものよ。で、こっちはママのもの。お互いをリスペクトして。それぞれの権利を尊重し合うのよ」。そんな感じで教えているはずです。これからはうちも見習わなきゃ、と思った次第です。

直後、Miaちゃんが、クラス内のベンチに座ろうとした際、父兄のインド系のお父さんに向かって、言いいました。エクスキューズミー。これはアタシの椅子なの。あなたはアタシが座るはずの椅子に座っているわ。申し訳ないけど、どいてくださるかしら。

5歳児に言われて、慌てて照れ笑いしながら、そのお父さんは椅子から離れます。あ、ごめんね、と。また他の父兄と、先生と、Miaちゃんのお母さんは、微笑ましく、そのシーンを見て、笑い合います。当然、立ち上がったインド人のお父さんも頭を掻いて笑ってる。笑うしかない。

ん?なにか違和感。それ、クラスの共有ベンチだよね。miaちゃんの椅子じゃないよ。ふと、そう思ってしまいました。もちろん5歳の可愛い女の子の可愛らしい光景。微笑ましい、でしかない。誤解しないで欲しいのは、5歳の女の子に「間違ってるよ」と訂正したいわけでは決してないんです。どう見ても微笑ましい光景でしかない。

ただ、ちょっとだけ気になったのは、これは私の。それは貴方の。今はママの時間。お友達のスペース。etc.。所有格が会話の中にとてつもない量で入っている、ということ。

決して悪い、って言ってるわけじゃないんです。むしろ、というより絶対に「いいこと」なはずです。考えてみれば、幼稚園児だけでなく、ニューヨーカーは会話の中の「所有格」が多い

日常シーンでよく聞きます。「今はあなたの時間よ」「すいません、ここはアタシのスペースなんですが」「これはパパの部屋なの」「あなたにはその権利はないわ」「わたしにはその権利があるはずよ」etc.…。

当然といえば当然。世界各国の移民で成り立ってきた街。まったく習慣も文化も人種も違う人間たちが共同で生き抜いていくためには、まずは「じぶんの」権利を主張することからなによりスタートしたはず。でないと、生活できない。「じぶんの」を主張するところからすべてが始まったはずなんです。

くどいようですが、決して批判しているわけじゃないんです。むしろ素晴らしいこと、とわかってはいます。自分の権利を主張するということは、相手の権利を尊重するということにつながります。人間社会の基本であり、そうでなければ、戦争勃発です。絶対に素晴らしい。

でも…なんか、ね(笑)。この違和感をまだ言葉でうまく説明できないなら、メルマガに書くなよ、と怒られてしまいそうですが。そっこまで、所有格を濫用して、自分の、相手の、権利を、所有をくっきり、はっきり明確に線引きしなくてもいいんじゃないのかな…いや、した方がいいか、そりゃ、な、やっぱりな。すいません、何を言いたいのか支離滅裂ですが。

前述の見識者の言うように、アメリカの教育は確かに「自分の頭で考え、何通りもの正解を導き出し、判でついたような日本の教育に比べ、バラエティに富んで素晴らしい」と同時に、この国の成り立ちに関係しているとはいえ、それは「自分の所有格を主張する」教育でもあります。

多民族国家とは言えない今の日本にそこまでインディビジュアルに、自分の権利を主張する教育が必要だろうか。いや、もちろん、詰め込み教育ではなく、自分の力で考え答えを導き出す、というシステムだけをうまく取り入れたらいいだけの話なんだけれど。

ふと、権利や主張という単語で思い出す話があります。10年ほど前、友人のアメリカ人女性と話していた時のことです。彼女は自分と自分の父親が「ベストフレンドな関係なの!」とよくアピールしていました。あたしとパパは友達みたいな関係でなんでも話し合える仲なのよ、と。

「でね、アタシは彼氏とのセックスが一晩で1回じゃ物足りないのってパパに相談したら」「ちょっと待って、そんなことまで話すの!?」そう驚く僕にむしろ得意げに「そうよ、言ったでしょ。なんでも話せるオープンな関係なのアタシとパパは」「…でお父さんは何て答えたの?」「あっははは。心配しなくてもいいよクリスティン。実はね、一晩で1回以上を求めるのは…パパもなんだよ、あはっは」だって。

彼女は直後、「ね、グッドリレーションシップ!(いい関係)でしょ」と本当にリアルに親指を立てました。満面の笑顔で。グッドリレーションシップもいいけどさ、本当に知りたい?自分の親父の一晩での満足いく回数とか。そう聞く僕に、ムキになった顔で彼女はこう答えました。

「恥ずかしいの?恥ずかしい話じゃないわ。人は誰でもセックスをするものなの。求めるからこそ、人類は発展していった」(いや、いや、そんなたいそうなデカイ話してるわけじゃないでしょ)「それに、パパもアタシもそれぞれに、セックスを楽しむ権利もあるし、それぞれの夜のセックスライフをお互い、尊重し合うべきだと思うの」(出たよ、権利、権利、尊重、尊重…)「わかるけどさ。全然間違ってないけどさ。いや、正しいと思うけどさ」こう前置きして言いました。

少なくとも、将来、娘ができて、そんな話をし合えるからイコール、いい関係!とは僕は思わない。「娘からそんな相談されたら、オレなら号泣だ(笑)」と。

今回のメルマガ、すいません、自分でも明確な結論がでないまま書いています。それでも、アメリカの幼児教育の方がいいと思っている自分もいます。ただ、前述したテレビのコメンテイターがいうように、もろ手を挙げて絶賛できる側面だけではないということ。

ひとつの球体があったとして。「自分の頭で考え、答えを導き出す」という角度もそこには確かにあります。でも、ぐるっと半周すれば、「とにかく主張し、主張し、主張しまくれ」というエリアもある。それが現代の日本の教育現場にそっくりそのまま適しているかと言われれば、疑問です。

そこまで理解してその「欧米では」軍団は言っているのか。彼らが言うように、欧米の教育をまるまる持っていっても日本ではいい結果は出ない可能性の方が高いのではないかと思ってしまう。球体のある一点だけを都合よく持ってこれない。もれなく裏側の点もついてくる。

それになにより。今日の幼稚園のお迎え。パパー!と走ってくる我が子たち。手にはでっかいチョコチップクッキー。え?なに、それ。聞けば、毎日、おやつの時間に渡されるのだとか。日本では見かけることのないソフトボール大の表面には砂糖がバカほどかかってるシロモノ。

ひとくち食べてみる。やっぱり砂糖の味しかしない。これ、毎日?渡されるの?成人男性でも糖尿まっしぐらな砂糖の塊を手にする4歳の我が子に愕然。なにが「欧米では」だ。なにが「すでに進んでいて」だ。こんな面があるのも知っておいてください、見識者さま。

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全米発刊邦字紙「NEWYORK BIZ」CEO 兼発行人。同時にプロインタビュアーとしてハリウッドスターをはじめ1000人のインタビュー記事を世に出す。メルマガでは毎週エキサイティングなNY生活やインタビューのウラ話などほかでは記事にできないイシューを届けてくれる。初の著書『武器は走りながら拾え!』が2019年11月11日に発売。

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