日本語は、表意文字の漢字と表音文字の仮名を使いこなす世界でも稀有な言語です。この文字としての日本語成立の兆しは、新元号「令和」で注目された万葉集に既に現れているようです。メルマガ『8人ばなし』の著者、山崎勝義さんが、漢字のみで書かれた万葉集の中に見られる「漢字の日本語化」の工夫について解説。表意文字を表音文字として巧みに使いこなしている点を指摘するとともに、遊び心のある当て字についても紹介しています。
万葉のこと
新元号「令和」は『万葉集』より採られた。元号選定の歴史においては初の国書原典ということになる。とは言え、採用されたところは和文部分ではなく漢文部分である。よって国書である点は揺るぎはしないが、より正確に言えば非漢籍の漢文からの漢語採用ということになる。
最初の元号である「大化」を645年に定めて以来、元号は飽くまで漢語であるべきという原則から決して逸脱することなく現代に及ぶまで続けてきた日本人の連続性へのこだわりが感じられて実に興味深い。因みに言うと本家中国では今現在元号は既に存在しない。
言うまでもないことだが新元号「令和」があるのは『万葉集』があるおかげである。また当時の日本語のあり様がある程度分かるのも『万葉集』や『古事記』『日本書紀』などの上代書物が書き残されたおかげである。
ただその当時の日本人は文字を持っていなかった。世界中の文字を持たない文明がそうであったように、特定の人間の記憶に基づいた口伝えのみに頼るような口誦言語だけでは、どんな言語もその担い手ごとごっそり歴史から永遠に失われても不思議ではない。
大昔の日本語も一時期においてはその状態にあったと言える。日本で最も早く書かれた書物の一つである『古事記』は「稗田阿礼の誦ふる所の先代の旧辞(=稗田阿礼が記憶している古くからの伝承)」を太安万侶が書き記したものである。このことを逆から捉えれば、太安万侶が筆を執るまでは稗田阿礼の記憶頼みという実に危うい状態であったということである。
そういった『古事記』にしろ『日本書紀』にしろ『万葉集』にしろ、全ての文章は文明先進地である中国の文字「漢字」によって記された。普通に考えれば、漢字を使うなら漢文で書くのが極めて自然な行為であると言える。現代風に言えば「和文漢訳」である。
しかし史伝の類ならまだしも、日本語を話す日本人特有の情緒の表現ともなれば近似的な和文漢訳には自ずと限界がある。言語と言語の間の壁は表現主体の内面の機微に触れようとすればするほど大きくなるものである。
そこで我々の先人達は考えた。例えば「やまとうた」などで詠まれるような日本人ならではの心情くらいはどうにか日本語として残すことができないか、と。その結果漢字の日本語化が行われた。
その方法は四大別でき、
- 正訓
- 義訓
- 借音
- 借訓
というふうになる。
このうち正訓と義訓は(音のある)表意文字として、借音と借訓は表音文字として用いる。
四季を例に簡単に説明すると
- 正訓spring 「春」を「はる」と読む
- 義訓autumn 「金」を「あき」と読む
五行で言うと「金」は「秋」に相当するから - 借音summer 「奈都」を「なつ」と読む
- 借訓winter 「経湯」を「ふゆ」と読む
となる。
面白いのは義訓で、意味的に相当さえしていればいいのだから時に悪乗りのレベルまで行く。「恋水」を「なみだ」とロマンチックに読んだり、「十六」を「しし(=鹿・猪)」と掛け算風に読んだりするのが好い例である。これらは遊びが過ぎるということで特に「戯書」と言われている。
ここで注目しなければならないのは、(音のある)表意文字と表音文字を既に使いこなしている点である。これは「漢字」と「かな」混じりの現代の日本語表記と根本的には変わらない。その意味においては、我々の先祖は実に効率よく文字というものを獲得したと言えるのではないだろうか。
image by: 日本古典籍データセット(国文研所蔵)CODH配信 [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons