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NY在住日本人社長が渡った「世界一」の橋とマカオドルの特殊事情

初の著書『武器は走りながら拾え!』が発売される今年の11月でニューヨーク在住20年になるという米国の邦字紙『NEW YORK ビズ!』CEOの高橋克明さんが、自身のメルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』で、3週間に亘ったアジア出張記の第2弾を届けてくれました。高橋さんは、成功者特有の行動力を持つという香港在住日本人社長とともに、「世界一」だと感じた橋を渡ってマカオへ。マカオ独特の通貨事情と、ベガスの売上を超えたというマカオでのカジノ体験を伝えています。

秋のアジア出張(2)

香港の中心地に位置するホテルに到着したのは、すでに夜10時を過ぎていました。今回の香港出張はもちろん、お仕事。クライアントへの挨拶と打ち合わせと、先方の工場への下見目的でした。今の時代、地球上のどこにいても、打ち合わせはすべてスカイプ等でできるけれど、やっぱりご一緒するプロジェクトが大きければ大きいほど、直接の顔合わせも必要です。

そのあたりは今も昔も変わってないと思います。先方の会社に直接、挨拶に伺うことで、スタッフ全員と顔合わせもできる。これから最低2年間は香港とニューヨークで仕事をするメンバーたちと。ということは、今回の出張は結局のところ「挨拶」くらいなもの。特に具体的な業務が待っているわけではありません。

ホテルは先方がとってくれました。チェックインする前にタクシーで降りて、建物を見上げた時点でビビります。「…、超高級ホテルじゃん…」。しかも、その最上階。窓からは香港市内が一望できる89階のペントハウス

その時点で「ラッキー」と思うより、「こっりゃ、一緒になるプロジェクト、絶対に手を抜けないなぁ」と逆にプレッシャーを感じました。その香港在住の日本人社長はさすがのビジネスマン。「人を動かす」ことに、ケチらない。僕に超高級ホテルを1泊プレゼントしたことで、僕をサボらせない権利を得たようなものです。窓から眼下の夜景を見下ろし「やられたなぁ」と感動し、苦笑いしたものでした。その時、LINEに「おつかれ!ルームサービスも自由にとってね」と入りました。「やっぱり…やられたなぁ…」

ただ、その社長の唯一の誤算は、僕が高級ホテルのルームサービスよりも、街中の屋台のやっすいローカルの食事の方が好きだということ。89階からエレベーターで降りて、真夜中の街をうろつきます。さすがにこの時間になると、従来の路面店はほとんど閉まっている。それでも、人の声がする方向へ歩くと、やっぱりありました。きったない屋台の群れ。

屋台の木のカウンターに座ります。この時間だというのに、数台並んだ屋台はどれも超満員。旅行者ではない、あきらかに現地の人間で埋まっていました。壁にかかっているメニューを眺めるも「さすがに広東語はさっぱりだなぁ」と思っていると、首に汚いタオルを巻いた下着姿の店主が「メイ・アイ・ヘルプ・ユー?」とカタコトでも英語で聞いてきます。さすが香港。見た目、ジャッキーチェンの映画に出てきてすぐ殺されそうなおっさんがまさかの英語で聞いてくれました。

たしかに、香港では英語だけでもなんとか生活ができる、と聞いたことがあります。そのあたりは中国本土とは別世界。僕自身、かつて世界100都市ほど巡って、英語が通じないのは、中国と日本くらいのものでした。香港人は、広東語、英語、そして中国語(標準語)を使い分けられると聞いたことがあります。そういった意味では、東京よりはるかに国際都市なのだと思います。

メニューの中に「出前一丁」の文字を発見。この屋台に来る前に、ふらっと寄ったコンビニの中でも「出前一丁」の存在感はひときわ目立っていました。「NISSHIN」は、日本の人が思っている以上に、国際的大企業なのだと実感させられます。試しに、観光でもいいので、世界のどこへでも出かけてください。そこがどこであっても、おそらくはかなりの確率で、出前坊や(例のキャラクター)を見ることになります。

(翌日、そのクライアントの会社にお邪魔して、香港人スタッフにそのことを話すと、あるYouTubeを見せられました。香港で流れる出前一丁のTVCMで、あの出前坊やが、少女漫画のイケメンキャラクターに変身して、お客さんの女性に壁ドンをしている動画でした。ちょっと面白かった。暇な時、探してみてください)

ニューヨークからラスベガス。ラスベガスから香港。この先1ヶ月に及ぶ長期出張のまだ3日目。すでに、もう、身体がいうことをきかないくらい疲労していることに、その時に気がつきました。30代の頃には感じなかった疲れを、香港の真夜中のきったない屋台で、出前一丁食べながら、実感します。

お酒の飲めない僕は、お持ち帰り用のアイスコーヒーを注文します。屋台を出て一口飲んで、「あ、そうだった」と気がつく。甘い。甘すぎる。香港は、おそらく中国でも、基本、コーヒーも紅茶も砂糖入り。あえてノンシュガーと注文しないと、当たり前のように、親のカタキのごとく、あっまいのが出てきます。路地のゴミ箱に一口しか飲んでいないコーヒーを捨て、見上げれば、そこが宿泊先ホテル。これだけ高層だと迷いようがない。屋台でラーメン食っただけなのに、疲れ果て、部屋に戻り、その日は終わりました。

そういえば、香港は今、世界的ニュースの真っ只中。例のデモ真っ最中です。僕が到着した日に、デモ隊の高校生が実際に撃たれる事件が発生しました。家族、スタッフ、多くの知り合いから、「大丈夫?」と連絡が入ります。後述しますが、このあと短い滞在で立ち寄った東京も、戦後最大の台風が直撃した日でした。正直、もう慣れました。

先月は、スコットランドで乗りかけた飛行機のパイロットが泥酔状態で、出発直前に逮捕され、そのことが世界的ニュースになりました。あのまま離陸していたら、墜落する可能性が高かったと報道されました。

19の頃、大阪に家出した年に、阪神大震災が起こり、27歳の時にニューヨークに渡ったその年に、同時多発テロが起こりました。死んだばあちゃんは、当時、いつも仏壇に手を合わせながら、「どうしてあの子は、いつも、そんな渦中に自ら行っちゃうの!?」と嘆いていたそうです。

ただ、今回の香港、空港で手荷物検査をかなり厳重にされた程度で特に、他に困ることはありませんでした。それに、ニューヨーク在住にしてみれば、それでも厳重とは言えないほど。日頃のNYPD(NY市警察)のチェックの方がはるかに厳しい感じです。日本は逆に恐ろしさを覚えるほど、手荷物チェックが軽すぎると感じます。

翌日、気がつくと昼前まで爆睡していました。今回の出張、このあとは日本が入り、そして、ニューヨークに戻る前に、またアメリカ西海岸に戻ります。日付変更線だの、時差だの関係なく、地球儀をデタラメな方向に行ったり来たりするのは、予想以上に疲労します。太陽の動きに追走したり、時には逆走したり、を繰り返すのが人間の身体にいいわけがない。そして、なにより困るのが「自分がいつ眠いのか」わからなくなるということ。

いや、さすがに、自分が眠いのはわかります。そうではなくて、この眠気が、昼寝レベルのうたた寝の眠気なのか、あるいは、数時間欲している夜の本格的な眠気なのかが判断できない、ということ。「やべええ、ねむいい…朝まで爆睡してやろう」と思ってベッドに入るも、90分後に、やたらスッキリ目覚めだり(そこで昼寝レベルの眠気と起きて気がつく)「次の原稿までソファで仮眠とろう」とふと横になると6時間きっちり寝ちゃったり(そこで本格的な睡魔だったんだ!と気づく)それが長期出張のツライところではあります。

クライアントとのミーティング中に、ウトウトレベルじゃない、耐えられない睡魔が襲ってくることもあります。そんな時は、目の前の数百万、数千万の契約がたとえ流れちゃっても、このまんま、目の前で寝てやろうかなとすら思えてしまいます。時間帯に関係なく、いつ、自分が急激に眠くなるかわからないのは怖いものです。

クライアントの社長と、彼の香港人であるスタッフのひとりが、ホテルロビーまで迎えにきてくださいました。ランチミーティングをホテルのレストランで済ませます。で、そのまま車で5分ほどの彼らのオフィスへ。社員さんたちと名刺交換。日本人半分、香港人半分でした。そのあとは、自社製品を作っている彼らの工場へ。そこで、今回の香港出張の仕事は終了です。ただ、地球の裏からわざわざ来たということが重要。残り2日間は、お客さんとプライベートでも仲良くなるための時間です。

その方は在香港14年目の日本人の50代。僕以上に世界中を飛び回っています。僕と決定的に違うのはすでに彼が「成功者」の部類に入るということ。やはり、創業者で、一代で、ビジネスで、成功した男の話は面白い。観念論でなく、あくまで実践的で、これまでのビジネスの経緯を聞くと、冒険譚さながらワクワクさせられます。何度も地獄をくぐり抜けて成功した男は、一律、みなさん、まず、やさしい。決して偉ぶらない。魅力的です。

出張が多いその社長は、話の中で、当然のことながら「中国本土」と「香港」を分けて話します。で、「本土」から帰ってきて「香港」に到着すると、やはりホッとするのだとか。多くの香港在住者がそうであるように、やはり彼も、「北京」や「上海」であっても、中国を「外国」と見なしていることがわかります。アメリカで他の州からニューヨークに戻ってきたら、確かに僕もホッとするけど、だからってさすがに「外国」から戻ってきたという感覚にはならない。つまり、ニューヨークはやっぱり、アメリカで、香港は、それでも中国ではない、ということなのかもしれません。

かつて、香港人は、中国人を差別し、労働者として使っていた。いまや、その関係も逆転しつつあるそうです。それでも、香港が好きな彼は中国への投資を考えてないそう。とりあえず成功を手にした彼の次の投資先は、北米、でした。そして北米を制したいなら、まずはニューヨークを抑えるということを事業計画上、決定した。そこで、僕にコンタクトをとってきました。

実際、先月、彼はニューヨークに視察と遊びを兼ねて来ました。数日、打ち合わせとニューヨーク観光をご一緒しました。その際も、遊んでいるように見えても、彼の頭の中は、いつも「ビジネス脳」でした。ご一緒したステーキハウスにて、彼はお店のロゴが入ったソースをなめて、すぐにウエイターを呼びます。マネージャーかオーナーを呼んできてくれとお願いしていました。

店長が来ると、いきなり「このソースは、この店のオリジナルか?日本ですでに売っているか?まだ売られていないなら売る気はないか?」と立て続けに質問します。最終的にオーナーの連絡先をゲットした彼をみて、感心したものでした。ここからデカいビジネスになるかもしれない。いや、ならないかもしれない。でも、どちらにしろ「行動」を起こした。

ここでビジネス書や自己啓発本なら「いついかなる時もアンテナを張って、ビジネスチャンスを逃すな!」とでも叫びそうですが、彼を見ると、楽しんでやっているように見えます。そんなビジネスライクな必死さより、むしろワクワク、ニコニコしてエンジョイしている。彼はちなみに、飲食業ではありません。

世界中の多くの経営者と直接話す仕事をしている僕は、この歳になり、ふと、そんなビジネス書や自己啓発本は、無駄じゃないだろうかとさえ思います。今回、ステーキ屋で、さっそく、香港本社にその場で電話をかけて、ソース市場を調べさせている彼を見ながらもそう思いました。

本屋で、一般書で、成功本を、いそいそレジに持って行ってる時点で、その人は成功から遠いのではないかとすら思っちゃうのです。怒られることを覚悟で言うなら。多分、成功した人はその前に「行動」している。

かつて、北野武さんにインタビューした際、彼はこう言いました。「Can Swimじゃダメなんだよな。魚は、ただのSwimなんだから」と。つまり「泳げる」時点で、自然と「泳ぐ」魚には勝てない、ということ。向き、不向きはビジネスにはある。決して、努力や勉強を否定しているわけではないです。ただ、僕が今まで会った偉業を成し遂げた人は、それを「努力」や「勉強」とすら思ってやっていなかったということ。(確かに、必死になってモテ男になるファッション誌を読み漁ってるやつで、本当にモテそうなのは見たことないよなぁ…)、(あと…ブログに書いたら怒られそうなことを、特定の読者だからって、メルマガで書きすぎだよなぁ、オレ…)。

その日の夜には、ふたりでマカオに移動します。残り2日間はマカオでカジノざんまいです。「高橋さん、パスポート持った?」と社長。…、はぁ?香港からマカオに行くのにパスポート必要?本当に?騙されてる?オレ?「いや、いや、本当、本当。もちろん入国審査もあるよ

そう、香港は7年前に一度来たことあるけれど、マカオは今回が人生初。マカオって香港のとなり街でしょ?ニュージャージーとニューヨーク、埼玉と東京みたいなもんじゃないの?その程度の知識でした。(まず、香港とマカオの間に海があることすら知らなかった!)

香港からマカオに行くには、海にかかる世界最長の橋、港珠澳大橋をシャトルバスで渡ることになります。実はこれ、去年に完成したのだとか。まずは香港側のイミグレーションを通り、シャトルバスの発着場所へ。入管審査でのお決まりの質問、「入国の目的は?」も聞かれず。そりゃそうだ、マカオにカジノ以外で行く人なんてそうそういない。24時間のシャトルバスはだいたい10分おきに出ているのだとか。到着までの所要時間はだいたい40分。

で、この橋が圧巻でした。かなりの迫力です。今まで渡った世界中のどの橋よりも大きく長く感じました。こんなの作っちゃうんだなぁ香港人、って感じです。

今までも北米の多くの有名な橋を車で渡ってきました。ニューヨークのジョージワシントンブリッジ。ブルックリンブリッジ。マンハッタンブリッッジ。サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ。キーウエストのセブンマイルブリッジ。先月はルイジアナ州で、北米最長のポンチャートレイン湖コーズウェイも渡りました。でも、そのどれよりも今回のは、迫力があった気がします。実際の長さは知りません。ネットで調べればすぐ出てくるだろうけれど、重要なのは体感。今回の港珠澳大橋は、とにかくあらゆる意味で、世界一の橋だと思いました。

天気のいい日に、橋の向こう側にマカオが見える。今まで、この橋を多くの人が、大金を獲得して歓喜で戻った。おそらくその何倍もの人が涙で戻ってきた。橋から海に飛び込もうと思った人も少なくないはず。カジノリゾートってそういう場所なはずです。

マカオに到着し、イミグレーションを通ります。そこからタクシーでホテルに向かいます。「マカオドルはマカオでしか使えないから、なるべく手にしない方がいいよ」タクシーの中で、社長にそう聞きました。マカオドル?なに、それ?また騙そうとしてません?何も知らない僕に、マカオでは香港ドルと、マカオドルが混在していることを説明してくれました。

もちろん、両方とも中国元とは別物です。しかも、最近のカジノでは、中国元も出回っているのだとか。え?よくわからない。カジノでは、香港ドルと、マカオドルと、中国元が入り乱れている?

カジノ以外のマカオでは、マカオドルと香港ドルが使用可能。でも、マカオドルは、マカオでしか使用できない。ややこしい。でも、ということは…。

「オレ、マカオドル、いらないです。換金する必要なくないですか?」そう答える僕に、毎週のようにマカオに来ている社長は「換金なんてしなくていい、しなくていい(笑)…、、ただ…香港ドルでコーヒー買っても、ジュース買っても、おつりはマカオドルで渡されるよ」

……すごい迷惑なんですけど、マカオドル。マカオでしか使用できない硬貨を2日間しか滞在しない旅行者の僕が手にしても…、。しかも、マカオから香港までの帰りのフェリーの売店ですら使用できないそう、マカオドル。ちょっとかわいそうな気もしてきた、マカオドル。

「ちなみに、カジノの中でも、マカオドル使えないカジノもあるんだよ」と追加の説明。マカオのカジノなのに、その中でも使えないんだ、マカオドル。やっぱり、ムカついてきたよ、マカオドル。

ここから2日間、滞在するホテルも社長のおごり。カジノ街ど真ん中のシェラトンをとって頂きました。とは言っても、部屋に滞在する時間は極端に短くなるはずです。到着してから48時間、ふたりでバカラ漬け、寝る間も惜しんでのギャンブルタイムが始まりますー。

カジノリゾートと言っても、ラスベガスは、まだショーだのコンサートだの、色々なエンターテイメントが充実しています。でも、マカオは、ベガス以上に、ガチ、賭博の街。ショーもやってないことないけれど、基本、カジノしかありません。賭けにくる街であることは間違いないみたいです。ここ数年で、売上高が、ラスベガスを超えたのだとか。

確かにミニマムチャージ(最低賭け金)がベガスのそれより、高い気がします。ネットで調べたわけじゃないけど、間違いないはずです。ラスベガスは、まだ10ドル、20ドルでも、少しの間遊べるけど、ここマカオの目の前にあるルーレットのミニマムは…550香港ドル。…てことは…えっと…70USドル…てことは7500円。

この1枚のコインが7500円てことは…、周囲を見回すと、ほとんどが中国人だらけ。もちろん見た目はわかりませんが香港人もいるはずです。5倍、10倍で色が違うコインも含め、ルーレットを囲み、座る、その人たちの目の前にはコインの山。いやらしいけれど、目でざっと計算する。…え。ミリオン?少なく見ても、日本円で数千万円分のコインを山にして、両手で囲み、ルーレットをしている人たちがそこらかしこにいる。向こうのバカラ台ではもっといる。

見た目、そのへんのおっちゃんたち、おばちゃんたち。でも、テーブルの上には数千万円。足元は百均で買ったであろうサンダル履き。マカオは、ラスベガスよりもカオスで、ビビットで、シュールで、ビッグ。そして、熱気は、ひょっとするとニューヨーク以上かも。

庶民の僕が世界有数の大金持ちの彼らと対等に戦うにはせめて気持ちだけでは勝たないと、と鼓舞します。一体なにやってんだ、とささやくもう一人の自分を無視して。そこから明け方まで社長とふたりでバカラをやり続け…、途中、自分でも引くほど勝ちました。

でも、基本、カジノの勝ちはカジノでペイすると決めています。こんなところで運を使ってる場合じゃない。それに横に負け込んでいる社長がいるのに、自分だけ勝ち逃げはできない。せめて勝った分だけくらいは、使い切ろうと賭け続けます。

一旦、思考がそうなると、面白いもので、やっぱり順調に負けていく。ま、プラマイゼロでいいや、そんな気持ちでベットし続けると、あれ、気づいたら、負け込んでいく。ゼロでいいやと思いつつ、結構、負けが込んできた。庶民の僕にとっては冷静ではいられない負け額。

でも、カジノって不思議です。さっきまで大勝ちしてたから、このまま賭け続ければ、また時がくれば勝つだろうと根拠なく思い込んでいる自分がいる。危険だ。そうこうしているうち、負けの額が膨らんでいく。ここから逆転だ!と気合を入れたその時…きたよ。例の予想不可の睡魔。まさか、ここで?

ニューヨークからラスベガス。ラスベガスから香港。日付変更線も時差もぐちゃぐちゃの身体に、抵抗できないほどの睡魔。少々眠いくらいなら我慢します。でも、我慢できるレベルじゃない。すいません、ちょっと部屋で仮眠とってきます。そう言う僕の声も、横にいる、負けを取り返そうとしている社長の耳にはほとんど入っていませんでした。

部屋で仮眠をとって、再勝負!と思っていたところ。ベッドに倒れ、一瞬、目を閉じます。で、次の瞬間、目を開けると。あれ?さっきまで、朝の日差しが入り込んでいた部屋が一瞬で真っ暗。目を閉じて、目を開けたら、朝が夜に。したままの腕時計を見ると8時間経過。うそおん。8時間が体感2秒。

でも、まだ明日の朝出発のシャトルバスまで時間はあります。まだ取り返せる!そう思いつつケータイを見ると、着信履歴が15を超えています。ニューヨークの編集部から、「今日中に仕上げて欲しい原稿」が4本の指示。

仕事してる場合じゃねんだよ!そう返信しそうになるのを必死でこらえ、マカオカジノのホテルでノートパソコンを開いて、執筆活動。…この原稿で一体、いくら入るってんだよ…、そんなむちゃくちゃなことを考えながら。

原稿4本書き終わった頃には、心も折れかけ、ギャンブルマインドも下がっていました。結構な負けだけど、でも、まぁ、仕方ないか。社長の負けは横で見ても、目が飛び出る額だったし、それに比べれば、と自分に言い聞かせ、帰りのシャトルバスに乗ります。

社長に、ビビりながら、「結局、いくら負けたんですか?」と機嫌を損ねないように、おそるおそる聞いてみます。目の下にクマを作った社長は、何事もなかったように「あぁ、、結局、高橋君が部屋に戻ったあとくらいから勝ち出して…200万円くらいかな、勝っちゃったよ」とだけサラッと言って、そのまま座席に埋もれて寝てしまいました。

…………やっぱ、成功者ってこういうことになっちゃんだよなぁ……橋の下の穏やかな海を見ながら、脱力するのでした。

次は母国、NIPPON!だ!

新刊のお知らせ

アマゾン、先行発売中! 11月11日、全国の書店に並びます!1冊目の発売日が決定しました。 本日、出版社との最後の表紙案の打ち合わせを終え。最初にお話を頂いてから2年半ー、書きつくせないほどの色々な経緯から、この度、無事発売が決定しました。タイトル「 武器は走りながら拾え!」ブックマン社より、1400円。

まったくのゼロから、ニューヨークで新聞社を創った経緯、と半生記。 で、生意気ながら、今の日本の若い世代に話したいことを書き綴っています。今の時点で、すべてを出し切った作品です。

image by: NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明

高橋克明この著者の記事一覧

全米発刊邦字紙「NEWYORK BIZ」CEO 兼発行人。同時にプロインタビュアーとしてハリウッドスターをはじめ1000人のインタビュー記事を世に出す。メルマガでは毎週エキサイティングなNY生活やインタビューのウラ話などほかでは記事にできないイシューを届けてくれる。初の著書『武器は走りながら拾え!』が2019年11月11日に発売。

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【著者】 高橋克明 【月額】 初月無料!月額586円(税込) 【発行周期】 毎週水曜日

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