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「みんな一緒」は悪いのか。ある中学の、子供を救い続ける試み

神戸市の小学校教師間暴力事件で、いじめを防止する立場である教師が「自分がターゲットになることを恐れ、教師同士のいじめを見て見ぬ振りだった」とした証言は、典型的ないじめの「同調圧力」がひたすら負の方向に働いた構図との指摘もあります。今回の無料メルマガ『いじめから子どもを守ろう!ネットワーク』では、「みんなと一緒」という意味合いでは「同調圧力」と同義と取られることもあるものの、正反対のベクトルを持つと言える「社会的包摂」を紹介、その考え方を実践し多くの生徒と保護者を救い続けているある中学校の事例を記しています。

同調圧力と「いじめ」の関係、不幸にならない考え方とは

最近、ネットのコラムかなにかで、「同調圧力」という言葉を知るに至った。多くの場合否定的な意味合いで使われていた。そこでは、卒業式で感じたことが紹介されていたと思う。

日本の大学および短大の卒業式の場合、服装は、男性ではスーツ姿が主流だ。最近では男性の紋付き羽織袴も成人式に続いて増えてきているようだ。しかし、女性は圧倒的に「袴(はかま)」を選ぶことが多い。レンタルで色とりどりの着物や袴を選ぶことができ、ヘアーやメイク、着付けサービスもついているので、卒業年の夏ころから人気店は予約で満杯だ。

その女子学生は、自分でよく考えた後、式ではスーツ姿を選び、謝恩会ではドレスを選んだ。ところが、その席で、周囲の女子たちから「どうしてスーツだったの?お金がなかったの?」と聞かれてしまったという。

日本でよくある「あるある話」である。彼女はこの「同調圧力」のため、せっかくの式が楽しい思い出にはならなかったという。彼女は不快だったのだ。彼女の選択は筋がとおっているし、それぞれ独立した精神を持っているはずなのに。どうして他人と一緒でなければならないの?

このように日本では、「みんな一緒が良い」という、空気が支配するイベントなどが結構ある。いわゆる就活も、なぜ皆、同じ黒いスーツ姿、白いシャツ、黒髪、女子なら頭髪を後ろに結ぶ?なんとなく女子中学生に戻ったがごとくである。一緒でないと不安なのだろうか。

一方、日本の小中高校の中には、公立、私立を問わず、制服が決められ校則も厳しい学校もある。そこには、子どもたちに、公私の区別を教え、公的な空間で規律正しくふるまうことを教えるメリットもある。服装規定に従う、時間を厳守する、校則を守る、これらを通じて、自制心や自律の精神を教えそれが大人になった時の経済活動の下支えになることも充分に理解できる。

しかし、フォーマルの基準を外さず、選択の自由が許されている大学の卒業式で、しかも成人している身で、スーツ姿を自由意思で選んだ女性を奇異な目で見ることは精神的ないじめ」と捉えられる可能性はあるのだ。

これが、フレンドリーなアメリカ人留学生なら、「あなたが来てくれて嬉しい。素敵なスーツですね。卒業式を楽しみましょう」と言い、祝福しあい、一緒に写真を自撮りし、インスタに乗せることもあるだろう。

最近、教師による教師に対する集団いじめ事件」が起きた(注:神戸市の公立小学校での教師間暴力事件)。様態を聞くと、なぜ先生たちがこんなことをしたのかと誰もが思うはずだ。それに至るには、小さな段階、決して踏み越えてはいけない幾つもの段階を、「同調圧力」が踏み越えさせてしまったのではないだろうか。だれもこの圧力に逆らえなかったのではないかと推測している。もしそうなら憂慮すべきことだと思う。たった一人で良いからこの卑怯なことを止めようと勇気を出して正義を貫けていたら、違った局面となったことだろう。

ここまでひどいケースでは無くとも、これに近いケースを教育現場で観たことがある。愚かな間違いがあってもなかなか上の立場の人が言い出したことを変えられない空気がある。学校は、人が人を指導するところ、いわゆる「人治主義」の場所だからだ。

ここで、考えてみよう。外見が「みんな一緒である」ということ自体が悪いということではない。どのような考え方や思いが、どういう形で現れれば、多くの人、みんなが幸福になるのかということを考えてみたい。

ソーシャル・インクルージョン、「社会的包摂しゃかいてきほうせつ)」という言葉がある。社会的に弱い立場にある人々をも含めて、ひとりひとりを、排除や摩擦、孤独や孤立から援護し、社会の一員として受け入れ支えあうということである。

具体的な事例で「社会的包摂」を説明したい。ある地方都市の、低所得者層の多い地域にH中学校がある。ここは、経済的に困窮する母子家庭も多く、3年生の修学旅行をだれもが楽しみにしている。なにしろ、東京ディズニーランドに行ったことがなく、ほぼ全員が、修学旅行で初めて、新幹線に乗る経験をする子どもたちだ。

この学校には、家庭内暴力から逃れて母子で密かに転校してきたという生徒も珍しくない。転校してきた子は制服が必要となる。他の都市で着ていた制服を着て登校するにはリスクもある。中学2年生や、あと少しで卒業という生徒に新品の高い制服を買うお金が無いことで結果的に不登校を誘発してしまうという残念な出来事も経験してきた先生たちである。教師たちは経験を積み、どうしたら一番良い方法かをあみだしていた。これまで、日頃から卒業する学生たち、特に弟妹たちに制服を譲らなくてよい生徒と親に担任が声をかけ、中古の制服をPTAのお母さん方で集めているのである。さまざまなサイズが必要だ。体操服やカバン学校グッズも集めている。

転校すると、担任や学年主任、教務主任までも、優しく声をかける。「PTAがリサイクル活動をしていますので、利用してみませんか。見るだけでもいいから」と小さな保管部屋に案内する。お母さんも新品同然の制服を見て「結構、きれいにそろっていますね。全然、傷んでいませんね」と、驚くという。なにしろPTAの方々が心を込めて、裁縫し修繕し、洗濯、アイロンがけ、糊付けをしているからだ。800円、500円、300円の中古の制服、100円の値札がついたグッズが並んでいる。先生は生徒に声がけする。「自分の小遣いで買えるよね」。そのとき、にっこりする生徒も多いという。

自分の力で購入してもらうことはとても大切なことである。無償で与えることは人間を堕落させる。「無料でもらって当たり前」は、いずれ未来に羽ばたく子どもたちに与える教育として、決してふさわしいものではない。「自助努力の精神を教えなければ、人間の尊厳を奪うことになるからだ。貧困の連鎖を断ち切るには、努力という汗を流さねば、それが為されることがない。

それだけではない。わずかな資金でも、買っていただけることで修繕費用が生み出され事業経営を永続的にまわすことができる。PTAもリサイクル活動費を寄付金に頼る必要がない

翌朝、「みんなと一緒」の制服を着て、同じバッグを持って、転校生は元気に登校してきた。朝の校門で、先生とかわす「おはよう」の挨拶は美しく輝いていた。

このように、「みんなと一緒」という意味では、卒業式の袴も、中学校の制服も同じように見える。しかし、「同調圧力のありようと社会的包摂のありようは全く異なっている。前者は、自己保身の心があり、人間を上下で考え、異なる人を見下したりする、そこには「人と違うことは許さない」という気もちが隠れている。後者は、学生のために何ができるかを必死に考え、無私なる心で実行し、多くの人を巻き込んで事業としているし、何より、中学生自身が喜んでいる。向いている心の針の方向が全く反対だ。

「みんな違って、みんないい」と、金子みすず氏はポエムにした。色とりどりの個性という花を咲かせて、この世界を自由で美しいものとしたい。また、一人だけを「下」にしないで「一緒になれてうれしいと感じることのできる世界、愛と思いやりという共感のあふれた世界を創りたいという願いがある。自助努力と同じく社会的包摂は社会を築く上で重要な考え方である。

教育界で道徳が必要だと叫ばれて久しい。宗教、真善美の哲学、さまざまな思想から導き出される「道徳」は質的に高みがある。一方で、より実践に即した「道徳」は、行動を伴う経験によって教師のスキルも磨かれていくという側面も忘れてはならないと思う。高みのある思想と実践とにかけ橋をかけること、それは、日々の努力と創意工夫の汗の結晶でしか生まれえない橋だ。教師こそ、常に謙虚な姿勢で反省し教育力を向上させていってほしい。

社会福祉士・精神保健福祉士
元保護観察官
前名古屋市教育委員会 子ども応援委員 SSW
現福祉系大学 講師  堀田利恵

image by: Shutterstock.com

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【著者】 いじめから子供を守ろう!ネットワーク 【発行周期】 週刊

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