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NY在住日本人社長が故郷・岡山で食べたもの、食べたかったもの

この11月でニューヨーク在住20年となった米国の邦字紙『NEW YORK ビズ!』CEOの高橋克明さんが、3週間に亘ったアジア出張記の第3弾を自身のメルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』で届けてくれました。高橋さんの出張はいよいよ日本へ。今回は、故郷・岡山と大阪での気付きや久しぶりに楽しんだ食べ物の話題を独特の筆致で伝えてくれます。

秋のアジア出張(3)

マカオから香港に戻ったあとは、飛行機で関西国際空港へ。飛行時間は約4時間です。日頃、飛行機に乗ったと思ったら14時間以上、閉じ込めらる生活をしているので、4時間なんてあっという間。アメリカ大陸に住み、世界は広いと感じる中、日本から、東南アジア、上海、香港、ソウル、釜山なんて、本当にご近所。北米だと国内線の距離です。

思えば19歳のとき、岡山から大阪まで家出しました。もう30年近く前の話です。二度と故郷には戻らない!と誓った10代の少年には、大阪という都会は故郷から遠く離れた約束の地。とんでもないところまで来た!と思ったものでした。ちなみに、今考えると、新幹線で45分の距離です。日帰りの距離だよ。なんなら通勤圏内です。

今回の飛行機も離陸までの機内で待たされる時間で45分なんて過ぎてしまいます。ちなみに、ニューヨーク-東京間は14時間。14時間も機内に閉じ込めらていると、そこがエコノミーであれ、ビジネスクラスであれ、残り2時間くらいになると、みんなその場でそろそろ帰り支度を始めだします。

岡山-新大阪間の走行時間の45分間。当たり前ですが、乗った瞬間、帰り支度を始める人はいません。人生において、生活の飛距離は劇的に変化しました。それがいいことなのか、悪いことなのかはわかりません。でも、少なくとも40代後半の初老の身体にはよくないことだとわかります。関西国際空港に到着した夜の8時にはすでに身体はぐったりでした。

久々の関空。たぶん10年ぶりくらい?思えば20年前にここからニューヨークへと単身飛び立ちました。思い入れはあるはずなのに、今は何の感慨もありません。それより早くホテルで寝たい。でも、空港に到着するといつもの儀式が待っています。両替して、日本用のケータイをチャージして、携帯用ルーターをレンタルして、この先行く予定になっている日本各地のホテルへスーツケースを宅急便で送る。めんどくさくてたまらないけれど、しょうがない。これらをしないと外国(日本)での僕は無力。何もできません。お金も使えない。ネットも繋がらない。電話も出来ない。何もできない。

両替する窓口では、ドルと、香港ドルと、マカオドルと、ついでに先日行って余ったスコットランドでのポンドを出して、嫌な顔されます。ここまできたら、どの銀行がどの貨幣がどれだけ得か損かも計算する気にもなれません。その一連をすべて終え、やっとホッとした時点で財布がなくなっていることに気がつきます。日本滞在時に遣う用の数十万円ごと消えている。焦りよりも、もう勘弁してくれよ、とグッタリ倒れそうになったと同時に、館内アナウンスで名前を呼ばれます。インフォメーションセンターにお越しください、と。この歳になって、フルネームを大音量でアナウンスされるとかなり恥ずかしい。無事、財布を取り戻した頃には、もう1歩も動きたくなくなるほど、疲労困憊でした。時刻は22時を回っていました。

空港内のカプセルホテルに宿泊します。意識ないほど爆睡しました。ついついイヤホンでYouTubeを聴きながら、寝てしまい、朝起きると耳からイヤホン外れてました。音もダダ漏れ。普通のホテルではないカプセルホテル。慌てて音を消します。狭い日本、無意識に自分が加害者になることもある。そのあと、新大阪で人と待ち合わせをして、確かに食事をした記憶があるのですが、このあたりは今振り返っても覚えていません。

新大阪に行ったということは、関空特急はるかに乗ったということなのでしょうか。それしかないよね。地下の食堂街で、「お好み焼き」屋さんに入った記憶はあります。メニューのライスセットを思わず、写メ。岡山出身ですが、お好み焼きをおかずに白ご飯を食べる習慣は、同じ西日本でもありません。店内を見回すと、確かに、お好み焼きとごはんを交互に食べている人を何人も目にしました。糖質制限が叫ばれ続けている昨今。その心意気に感動すら覚えました。ちょっとカッコいい。打ち合わせをひとつ終えたら、新幹線に乗り、岡山駅まで移動します。故郷までは前述したとおり、45分。記憶もないほどあっという間でした。

岡山駅に到着したのは、夕方頃だったと思います。故郷には障害を持った兄がいるのですが、帰省のたび着なくなった服を運び込みます。それが結構重い。スーツケース1つ分にはなる。でも、今の時代、ユニクロの出現以降、アパレルなんて、これ以上ないほど安い消耗品。たぶん、送料だの運賃だの手間だのの方が高くついてるんだろうな、と思います。それでも捨てられないのはただの貧乏性か。スーツケースの重さで身体中が痛い。岡山駅内のマッサージ屋さんにその足で飛び込みます。持参の古着の合計額なんて、この90分のマッサージ代に消えちゃうんだろうなぁ…。

その日は駅横のビジネスホテルで宿泊します。夜は駅地下のグルメ街のようなところを歩きました。おっしゃれえなカフェを通りすぎた時、ふと貼られたメニューに立ち止まります。「NEW YORK BRUNCH」本場ニューヨークの定番ブランチ!の張り紙。日本でよく見かける「ニューヨークスタイルのナントカ」。特に飲食店に多いです。申し訳ないけれど、そのほとんどが、イメージで、実際のニューヨークとは違います。

ニューヨークスタイルのブランチってどうせ、フレンチトーストかエッグベネティクト、サイドに、グリーンサラダか、太切りの皮付きフレンチフライのことなんだろうなぁと思いつつ(実際のニューヨークで、そんなブランチ出してる店は稀です)メニューを見ると、メインはフレンチトーストかエッグベネティクト、サイドはグリーンサラダか、太切りの皮付きフレンチフライを選べるようになっていました。まんまだ。

通常ならば、絶対に入店しないのですか、なぜかこの時はふらっと入ってしまいました。食べてみると、はっきり言って、“本場”ニューヨークよりはるかに美味しいブランチでした。値段も半額か3分の1くらい。こっちを“本場”と謳った方がいい。食に関しては、憧れる必要性ゼロだということをそろそろ気づいた方がいい。どうせ、厨房で料理してる人間は岡山弁丸出しなんだから。関係ないけど。

えっぐベネティクトごときじゃ全然、満腹にならない僕はその足で「岡山中華そば」のお店に入りました。岡山中華そばって、ラーメンのことなんだけれど、確かに子どもの頃から、岡山にいた時は「中華そば」って言葉をよく聞きました。創業昭和二十五年の老舗のお店に入ります。めちゃくちゃ美味しかった。よく「ラーメンの種類は何味が一番好き?」って話題になると思います。だいたいみんな自分の出身地でのご当地ラーメンを答えます。九州出身の知り合いで「とんこつ」以外の答えを言った人間に僕はまだ会ったことがない。で、僕も結果、「岡山の中華そば」って答えます。

ここで誤解されたくないのは、郷土愛からの発言ではないということ。広島の人間が決まって「尾道ラーメン、最高ですよ!」と答えたり、北海道の人間が「やっぱ、ラーメンといえば、札幌ラーメンでしょ!」と言ったりするのと同類と思われたくない。はっきり言って、僕は食に関しての郷土愛はサラサラありません。岡山名物のままかり(各自でググってください)も、マスカットも美味しいと思ったこともない。ただ単に、たまたま1番好きなラーメンの種類が47都道府県の中で、岡山ラーメンだったということです。岡山出身だから好きだと思われるのがすごく嫌で、上記のことを力説すると、妻から「でも、子どもの頃から食べてるから好きになったんじゃないの?それって、岡山だから、だよね」と一刀両断に論破されました。グぅの音も出ない。

翌朝、地元の友達が岡山駅まで迎えに来てくれます。僕の地元は岡山駅から車で1時間くらいかかる瀬戸内海側のど田舎。でも駅からバスも出ているし、平日にわざわざ申し訳ないから、その幼なじみには「必要ない」と断るのですが、とにかく迎えに行くと聞きません。隣の家で生まれ、物心ついた時からすでに当たり前のように、そこにいたそいつが迎えに来てくれます。来なくてもいい!と言うのに必ず来るのは、多分、年に1回か2回の僕の里帰りを何ヶ月も前から楽しみに待っているほど、日頃退屈な生活をしているのと、農業をしているので、時間に融通が利くからだと思います。われながらひどい言い方だけど。

岡山駅で待ち合わせをします。開口一番「よっちゃんのブランド力も、ニューヨークのブランド力も落ちたなぁ」と言ってきます。毎回僕の里帰りに合わせて、同窓会を開いてくれるのですが、数年前に、約30年ぶりにみんなと会った時は、オフィシャルの同窓会以上に、僕に会うために80人以上が集まってくれました。それが毎年、回を重ねるたびに人数は減っていき、僕の帰省の「ありがたみも、のうなったわ(なくなったよ)」らしく、今回は30人くらいしか集まらなかったのだとか。急な知らせだったし、30人でもありがたいよ、と言って、彼の車に乗ります。

岡山駅のロータリーを抜ける間、岡山駅周辺の街並みを眺めます。ど田舎で生まれたくせに、さすがに、ニューヨーク、ラスベガス、香港、マカオ、大阪と、世界の都会へ行った直後は、岡山という地方都市に「あれ、こんなに空が広かったっけ?こんなにビル低かったっけ?」と生意気な感想を持ってしまいます。それにしても、やっぱり田舎なんだな、と。「なぁ、駅前の商店街、こんなにお店閉まってたっけ?」そう聞く僕に、幼なじみは「ちょ待ってえや、市内出るまで、話しかけんで。車の運転に集中したいけえ」と真顔。「岡山(市内)都会じゃけえ、こえんじゃ、信号、ようさんあろう(怖いんです。たくさん、あるでしょう)」…。

その日の夜は、地元の友達が集まってくれて、地元唯一のカラオケ屋で宴会。さすがど田舎のカラオケボックスだけあって、必要以上に広いお店。しかも持ち込み可。店員のおばさんまで途中入ってきて、どれだけ田舎なんだと思わされます。持ち込み可能ということで、最初に男4人でスーパーに買い出しに行きます。

「せっかくニューヨークから来たんじゃけえ、好きなもん買えや」と言われたので「いちごジャムパン」と答えると、おっさん3人がその場に倒れるほどお腹を抱えて爆笑されます。なんでジャムパン? ニューヨークないんだよ。そんな会話の後、パンコーナーに行けば、たまたますべてのパンの中で、ジャムパンだけ売り切れ。またそこで、きったないおっさん3人に爆笑されます。

ムキになった僕は、サンドイッチ用の耳のない食パン一斤と、瓶詰めのイチゴジャムを購入させました。その後、所用を済ませ、会場に遅れて行くと、拍手で迎えてくれる中、何十年ぶりに会った、いまやすっかりおばさんになった同級生が「はい、これ!なんでこんなもん食べたいの?」とその場でジャムパンを渡してきます。プラスチックのフォークで塗って、作らされたのだとか。「ニューヨークってなんでもあると思ったけど、いちごジャムパンすらないんじゃな!たいしたことないな!」と。

でも、実は、日本滞在でも40代後半の同級生軍団が、そんなに日頃からいちごジャムパンを食べているわけでもなく、ひとくち食べてみると、連中ものきなみ全員「うんめえ!!」とハマってました。何十年ぶりに食ったけど、ジャムパンってこんな美味かったっけ、と。これで、毎回の同窓会の定番の「おつまみ」に決定しました。お手製ジャムパン。

時間を忘れるほど、楽しく。結局、明け方4時までお開きになりませんでした。世界中に旅をして、いちばん楽しい場所が、生まれ故郷になるとは想像もしていないことでした。何もない田舎が嫌で嫌で、19歳で飛び出しました。田舎者あるあるですが、行き着く先は都会、都会を転々とし、最終的に地球の裏の世界一都会にまでたどり着きました。でも、今思うのはニューヨークにあって、この瀬戸内海のど田舎にないものはないということ。そう思わせてくれたのは、当時の同級生軍団でした。

翌日は大阪に向かいます。今回、出版するにあたって、日本各地でご協力してくださる方々がいて、本当にありがたく、助かります。特に大阪は大きくふたつの後援会がバックアップしてくれるので、出版前にご挨拶に行くべき場所。まずは到着した夜に、一つ目の後援会の会長さんと新大阪で食事します。地下の焼き鳥屋さん。御礼もそこそこにあまりに美味しい焼き鳥に夢中になりすぎて爆笑されました。会長の50代の女性と、副会長の40代の女性はおふたりとも、いつ会っても元気。会うだけで、こちらまで元気をもらえます。

お会いしたのは2年前の大阪での講演会の際。講演後、僕ごときに、みなさん2ショット写真をお願いしてくださるのですが、その際、各地によって、特徴がでます。福岡、は、割とみなさん普通にお声がけしてくださいます。「写真、よろしいですか?」著名人でもないのに、お願いされるのはとても嬉しく「ありがとうございます」とこちらからお礼を言ってご一緒して撮ります。

名古屋の方は、ケータイを持ったまま、ちょっとだけ距離を空けられて、なかなか、声を掛けづらいのか、だいたい主催の方に「撮りたいなら、早く撮って」と促されて「よろしいですか」と声をかけて下さる方が多い。東京?さすがに、東京は僕レベルだと、そう2ショットをお願いされません(笑)。

で、大阪。大阪だけは特殊で、前述のふたりとの出会いも、講演会が終わった際「いやぁ、あんた良かったわぁ~!と肩をバシバシ叩きながら話しかけられました。あれ?知り合いだったかな、と思わされる距離感で話しかけられ「ありがとうございます」と、とりあえずお礼しつつ、たぶん、初対面だよなぁと考えていました。一方的に話しかけられて、途中「はい、じゃあ、あっち向いて」と指差された方向を見ると、ケータイカメラを構えたもうひとりが向いたと同時に「はい、チーズ」。条件反射的に、ピースをしちゃいました。

話しかけた方が会長で、カメラを構えていたのが副会長さん。その時から、(こちらがお願いしていないにも関わらず)あれよ、あれよと、後援会のようなものを作ってくださいました。今では本当に助かっています。自分ひとりでは絶対に無理な人数を集客してくださいます。おふたりと話しているととても楽しく時間を忘れます。楽しみながら、目的が達成されたらこれ以上のことはない。

翌朝は、もう一つの後援会の会長にご挨拶。天満橋で落ち合いました。60代のその男性のコネクションはすごく、本当に関西地区の有力な方々を1時間おきに何人も紹介してくださいました。その流れで、梅田のある建物に通されます。ここがどこで、一体、次に誰と会わされるのかも、そう説明はありません。1時間ごとに場所を移動するので、そんな暇もなく、いや、説明されたのかもしれないけれど、覚えられるわけがない。

エレベーターの中で「いつものように、トントントンと話してくれたらいいから。ね。」と言われ「トントントン?話す?」誰に、何を話すんですか?そう聞き返すと同時にエレベーターの扉が開きました。廊下を通って、通された部屋には30人くらいの生徒さん(らしき)が椅子に座っているクラス。「今日は、このデザイン専門学校に、ニューヨークからゲストが来てくださいました。それでは高橋先生宜しくお願いします」とメガネをかけた40代くらいの(担任であろう)女性に紹介されます。

主催者を見ると、笑顔で「どうぞ、どうぞ」と促されます。とりあえず、何か話せばいいのね。学生君たちの前で90分、とりあえず熱弁しました。徐々に、学生たちの目が熱を帯びてくるのがわかります。やっぱり楽しいなと思いました。その後も「偉い人」たちを多く、ご紹介いただき、ホテルに帰ったのは深夜2時。翌朝、新大阪のホテルをチェックアウトし、東京へ向かいます。

image by: Shutterstock.com

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全米発刊邦字紙「NEWYORK BIZ」CEO 兼発行人。同時にプロインタビュアーとしてハリウッドスターをはじめ1000人のインタビュー記事を世に出す。メルマガでは毎週エキサイティングなNY生活やインタビューのウラ話などほかでは記事にできないイシューを届けてくれる。初の著書『武器は走りながら拾え!』が2019年11月11日に発売。

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【著者】 高橋克明 【月額】 初月無料!月額586円(税込) 【発行周期】 毎週水曜日

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