遊びながら学べる幼稚園で楽しくのびのび過ごしてきた子供たちが、新1年生になって小学校のシステムやカリキュラムに馴染めずストレスを抱える事案、「1年生ギャップ」。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師の松尾英明さんが、幼稚園の公開研究会参加時に得た学びと気付きを踏まえて、小学校教育のあり方に疑問を投げかけています。
1年生ギャップを考える
幼稚園の公開研究会に参加した。そこでの学びと気付き。
幼稚園の活動は、遊びである。遊びの中で学ぶ。この感覚が、小学校以降の教員には理解され難い。
遊びの中で、国語と算数と理科と体育と図工と道徳と…すべてが行われる。「総合的な学習」の時間が当たり前である。小学校でいうと、生活科の「秋探し」の活動を毎日行っている感じである。
とにかく、面白い。どこへ行くのも自由だし、子どもたち同士も常に緩やかにつながっている。子どもたちは、幸せだと思った。これを見て「小学校では通じない」などというのは、完全なお門違いである。
そう。これだけの豊かな学びをしてきた子どもが、小学校ではいきなり「机と椅子について、皆さんご一緒に」である。無理に決まっている。小学校の側が「不自然」なのである。
本当に、小学校の入学当初から、一人ずつの椅子と机が必要なのだろうか。皆さんでご一緒にする必要があるのだろうか。4月最初の文字もない教科書において、その環境が「必須」な学習は、一切していないはずである。
「小1ギャップ」を埋める努力として、「スタートアップカリキュラム」がある。それはそれで大切である。しかしながら、もう少し1年生が馴染みやすい環境というのがあるのではないか。
時間に細かく区切られて、次々に追われるような暮らしに「喜び」を感じられない子どもがいても当然である。
小学校の「当たり前」が、全く通用しない世界。何よりも刺さるのが、幼稚園の子どもたちの幸せな姿である。ここに「戻りたい」と思うのが、ある意味で当然である。
小学校は、幸せな空間になり得るか。少なくとも、学力検査の結果に追われるような世界は、幸せからほど遠い。社会がそんなに甘くない、という意見はその通りだが、社会は、学校教育の常識が通用しない世界というのも事実である。
小学校教育の在り方。それを根本から考え直させられる、幼稚園での学びだった。
image by: ingehogenbijl / Shutterstock.com